説得

 五月三十一日。だんだんと暑さが厳しさを覗かせてくるが、緑葉女学館は一足先に猛暑日が来たような、異様なヒートアップを見せている。


『イケメン女子vsイケメン女子 世紀の対決!!』

『血で血を洗う異種剣技戦!!』

『愛と憎しみが織りなす美しくも残酷な決闘!!』


 昼休みに報道部が発刊した『GLタイムス』号外に躍るセンセーショナルな見出し。中身の記事は黒部真矢と清原操の対決を面白おかしく取りあげられている。『GLタイムス』の一部を手にした私はううう、と唸った。


「いつの間に……やってくれたなあ」


 どうも生徒会室での話し合いを、騒動を聞きつけた報道部員が盗み聞きしていたとしか考えられない。


 この号外には頒布許可を出していないので不意打ちを食らわされた格好だが、元々『GLタイムス』だけは例外として頒布許可が無くても発刊できるよう、生徒会と協定が結ばれている。自由な校風を謳うのであれば報道の自由も保障されなければいけない、という理屈らしい。


 とはいえ記事を読んでどう感じるかも自由なわけで、私としては全くいい気持ちではない。事実と虚構が混じってい記事は刺激の少ない田舎の女子校に通う身にとってこれ以上ない娯楽なのか、手にした生徒たちはきゃあきゃあ騒いで楽しそうである。私にはその感覚が理解できないが、それは私が東京生まれ東京育ちだからという理由ではないだろう。


 当事者たちは今日、全員「病欠」で学校を休んでいると聞いている。それを良いことに報道部は好き勝手書いていたが、ちゃんと本人に取材に行けよと思う。もっとも応じてくれるとは思わないけど。


 ちょうど私のクラスメートに宮崎杏樹みやざきあんじゅさんという報道部員がいるので、早速『GLタイムス』を突きつけてその辺の事情を問い正してみた。


「仕方ないじゃない。スクープを手にしたらそうするのが記者の宿命ってもんでしょ」

「怪文書事件の時は動いてなかったじゃん。あの時みたいに自重してくれれば良かったのに」

「あれは……大きな声じゃ言えないけどウチの部長、コンピューター部の部長さんと仲が良いからあまりこれ以上騒ぎを大きくするなって厳命されてたの」


 報道の自由に隠された闇の部分をさらりと言ってしまった。


「とにかく、本人や私達生徒会に一切取材せずに記事を書くのはどうなの? ウソもだいぶ混じって無茶苦茶じゃない」

「じゃあ菅原さん、インタビューしたら応えてくれた?」

「う、それは…‥」

「でしょ? だから推測して補うしかないの。記事をよく読んでよ、全部断定系で書いてるわけじゃないんだから」


 確かに文末に「~だろう」「~らしい」「と思われる」といった推定系が目立つけれど。


「いや、だからといって誤解を招くような記事は――」

「言っておくけど、私が書いたんじゃないんだからね。ていうか私、撮影班で記事を書くことは無いから。文句は書いた先輩に言って。んじゃ!」

「あ」


 宮崎さんはそそくさと教室を出ていってしまった。次の五時間目は芸術だから教室が分かれる。


 私はため息をつき、習字セットを用意する。すると宮崎さんがまた戻ってきた。音楽の教科書を忘れたらしい。だっさー、と心の中でちょっと毒づく。


 宮崎さんが急に私に振り向いた。心を読まれていた? まさか。


「まだ納得いかないって顔してるけど、かわりにとっておきの情報をこっそり教えてあげるからそれで勘弁してもらえる?」

「何?」

「清原さん学校に来てないけど、家にもいないらしいよ」

「うぇっ!?」


 おいおい、ということは家出? そっちの方が大問題だろうに。


「ま、噂だけどね。信じるか信じないかはあなた次第」

「な、何でそんな重要なことを私に?」

「単に菅原さんのびっくりする顔を見たかっただけ」


 何じゃそりゃ。


 でも聞いてしまったからには動かないわけにはいかない。私は放課後、直ちに古徳さんのところまで真相を確かめに武道館に向かった。彼女は清原さんと同じく三年西組で、仲が良いと聞いている。何か知っているかもしれない。


 古徳さんは黒帯を締めた柔道着姿で応対した。


「キヨちゃん、山ごもりするって言ってました」


 そう淡々と答えた。うん、何を言っているのかさっぱりわからない。


「あの、山ごもりって……」

「はい、読んで字のごとしです。あの子、大きな試合の前にはいつも山ごもりしますから。今頃どこかそこら辺の山にいるんじゃないですかね」


 何も心配はいらないですよ、といった感じの余裕の態度を見せられて、私は頭を抱えた。山は確かにそこら辺にいっぱいあるから探すのは無理だろう。


「菅原さんは、この決闘をどう思いますか?」

「そりゃあ、個人的にはやって欲しくないよ」


 一応、今津会長に意見はした。だけど「反対するなら代案を出せ」と強く言われて返答に窮してしまった。一方で美和先輩からはこっそりとこんなアドバイスを貰った。


「あの二人は戦争状態。じゃあ周りが反戦運動を起こせば立場が悪くなって自然とやめるかもしれないね」


 しかし『GLタイムス』は戦時中の新聞よろしく戦争を煽るような論調だし、それを読んだ生徒たちは戦争一色に染まっている様相だ。もちろん反戦派もいるだろうが、イケメン女子どうしの残酷劇を見たい生徒たちに比べればごく一部に過ぎないだろう。この雰囲気の中で反戦派を増やすのは簡単ではない。頭が良い緑葉の生徒でもコロッと流されてしまうのだから、メディアの力はげに恐ろしいと感じた次第だ。


 だったら、まだ本人を説得した方が望みがあるかもしれない。

 

「古徳さん、清原さんと仲が良いんでしょ? あなたからやめるように言ってもらえないかな」


 古徳さんはすぐに頭を振った。


「残念ですが、それはできません」

「どうして?」


 彼女は周りの視界を遮断するように、自分の顔の横に両手を添えた。


「キヨちゃんは一度こうだ! と思い込んだら最後、前しか見えなくなって誰の言うことも聞きません。もう勝って堂々と真奈さんを手に入れることしか考えてないですよ。でも、同じく武道をかじる者からすれば、その気持ちはよくわかるんです」

「だけど……」

「私にできるのはキヨちゃんの恋路を応援してあげることだけです。すみません、力になれなくて。じゃあ、練習があるのでこれで」


 古徳さんは丁寧に頭を下げて謝罪した後、稽古場に戻っていってしまった。


 仕方ない。清原さんは諦めて、もう片方の当事者に接触するしかない。


 私はLINEで生徒会メンバーに「今日は所用のため抜けます。会長にもお伝えください」とグループメッセージを送ってから、美和先輩だけにはさらに個別でメッセージを送信して、ママチャリを岩彦駅まで走らせた。


 *


 桃川東駅を降りてすぐのところにある団地の角に建てられた一軒家、ここが黒部姉妹の住む住宅である。美和先輩から「説得頑張ってね」と激励のメッセージを添えて教えられた住所の家にたどり着くと、確かに玄関に「黒部」の表札が掲げられている。


 ドアホンを鳴らすと、黒部真矢先輩の低い声がスピーカーから聞こえてきた。


『はい。ん? あなたは生徒会の……』

「こんにちは、生徒会執行部の菅原です。先輩にお話があって参りました」

『どうせあの件のことでしょ? 報道部の回し者として来てるんじゃないの?』

「ここで話したことについては一切漏らしません。生徒会の信用に傷をつけるようなことはしませんから」

『……わかったわ。ちょっと待って』


 すぐにドアが開けられ、深緑色のジャージ姿の先輩が現れた。元の顔が良いからジャージでもスポーティーでサマになっていて、なぜ家でも学校指定のジャージを着ているのかとツッコむのも野暮に思えてくる。


「上がってちょうだい」

「では、お邪魔します」


 私が案内されたのは、妹の部屋だった。真矢先輩はノックもせずにドアを開けた。


「真奈、菅原さんが来たわよ」

「菅原さん……」


 真奈さんはパジャマ姿のままで、ベッドの上に体育座りをして本を読んでいた。彼女は眼鏡のズレを直してから、


「私に何か御用なの?」

「いや、用があるのはお姉さんの方なんだけど……」

「じゃあ、コーヒーでも」

「私が淹れてくるからここにいなさい。いいわね?」


 真矢先輩が少しきつい口調で言って退室した。姿が見えなくなると、真奈さんは大きくため息をついた。


「姉さん、昨晩からずっと私の部屋に入り浸りなの」

「ずっと?」

「うん。寝る時もずっと一緒だって言い出して……さすがにそれだけは勘弁してもらったけど」


 言われてみると、部屋の隅には真矢先輩のものであろう布団がたたまれて置かれている。私は一人っ子だからよくわからないが、高校生ともなると姉妹で一緒に寝るのは恥ずかしいのだろうか。


「今の態度を見ても、どういう姉なのかわかったと思う」

「うん。でもまあ、ね。そのどう言ったらいいのか……姉さんは姉さんなりに真奈さんの身を心配してくれてはいると思うよ? その、ね。相手が出来たんだったらなおさら……」

「私、もう十六よ? 何をするにもいちいち姉さんの顔色を伺わなきゃいけないなんて、そんなのイヤ」

「だったら、そう言えばいいじゃん」

「言ったわよ。もう構わないでって。そしたら姉さん、『真奈に嫌われるぐらいなら死んでやる』って泣き喚いて手がつけられなくなって……」

「ええー……」


 何て面倒くさい人だ、と言いかけて堪えた。イケメン女子ランキング発表時の写真での凛々しいお姿が、妹が言うことを聞かないからという理由で泣き崩れるなんて想像できない。ファンがこのことを知ったら幻滅しちゃうかも。


 真矢先輩がアイスコーヒーが入ったグラスを三つ、お盆に載せて戻ってきた。


「どうぞ」

「頂きます」


 私はガムシロップとミルクを入れてゆっくりかき混ぜ、一口だけ飲んでから切り出した。


「先輩、異種剣技戦……いえ、決闘のことですけど、考え直しませんか? もし、万が一もないかもしれませんけど、負けたら先輩の名誉に傷がつきますし、勝ってもきっと真奈さんが悲しむだけだと思うんです。何もメリットは無いですよ。何か他に良い方法を……」


 先輩はスマートフォンを取り出して弄くりだした。聞く耳持たないという姿勢を露骨に見せられてつい、「聞いてください!」と怒鳴ってしまった。


 だけど先輩の方は冷静に、私にスマートフォンのディスプレイを見せつける。そこには赤いランドセルを背負った少女が映っていたのだが……長い黒髪はツヤツヤで顔立ちも可愛い、ではなく美しい。モデルとか子役とかだろうか。


「誰ですか、この子?」

「小学生時代の真奈よ」

「えっ? ええええっ!?」


 私は真奈さんに確認を取ろうとしたが、顔を背けていて耳が真っ赤になっている。その反応だけで本当だと確信した。


「真奈の小学生時代は校内一、いや県内一でも通用するぐらいの美少女で名が通っていたの。実際芸能界から誘いがあったぐらいにね」


 妹の自慢をする姉の目の焦点は定かではない。もしかしたら、ランドセルを背負った妹の姿をその先に見ているのかもしれないと思った。


「だからこそ、変な虫が寄ってきたのよね。老若男女問わず、真奈を自分のモノにしようとして擦り寄ってきた。そのせいで精神が不安定になって、小学五年の時に不登校になったの」


 そんな過去があったなんて……。

 

 真奈さんの方をもう一度見たが、顔を背けたままだ。


「私が緑葉でフェンシングを始めたのもそのことがきっかけ。出来たばかりのクラブで入部者は私一人だけ。しかも運動があまり得意じゃなかったけど、真奈に頑張る姿を見せて元気になってもらおうと、敢えて飛び込んだの。その甲斐あって真奈は再び外に出ることができた。姉さんと一緒の学校に通って応援したい、って言ってくれた。あの時、私はもう真奈を手放さないと誓った。真奈を守る騎士として生きていくと誓ったの」


 真矢先輩は右手を軽く握り込んで私に突きつけるように差し出した。それがフェンシングの剣の切っ先を向ける仕草だと理解するのに時間はかからなかった。


 そして私を睨みつけてくる切れ長の目。誰であろうと、自分であろうと妹に害を加える者は許さない。そう体で表現しているかのようだった。私は眼光に押されて目を背けたが、それをごまかすようにして真奈さんに振り返る。


「真奈さん。真奈さんの気持ちはどうなの?」

「……」


 学年一の優等生でも、豊かな文才の持ち主でも、姉の熱く煮えたぎるような気持ちに抗う術はもはや持っていないようである。


『真矢先輩の気持ちはわかる。だけど真奈さんだっていつまでも姉に守られてばかりというわけにいかない。不登校時代と違って、今の真奈さんは勉強に部活に立派にやっているじゃないですか』


 そう言える勇気が、今の私にも持ち合わせていない。


「だけど、緑葉は同性に手を出す者が多いからね。伊達眼鏡をかけさせて、髪型も三つ編みに変えさせて敢えて野暮ったい格好をさせたの。それでもまさか寄りついてくる害虫がいるとは思わなかったわ……」


 先輩の眉間にしわが寄り、目がつり上がる。


「あいつには妹を汚した落とし前をきっちりとつけてもらうから」


 その声には怒りを通り越して、殺意がこめられている。もはや説得は不可能と、私は悟った。


「わかりました……でも土曜日まではまだ時間があるのでよく考えてみてください」

「私達のことを心配してくれている、その気持ちは受け取っておくわ」


 アイスコーヒーを飲みかけのままにして、私は退室した。ドアを閉めきる前、真奈さんは申し訳なさそうに私を頭を下げてきた。こちらこそ力になれなくて申し訳ない気持ちで一杯だった。


 私は思い足取りで桃川東駅までトボトボと歩いて戻った。桃川市中心部から少し離れたこの地域には住宅が多く、ここから市内まで通勤する人が多い。時計を見ると午後六時前、駅舎からサラリーマンや学生たちが中からどっと流れ出てきた。線路の方を見ると上り線の電車が走っていくのが見える。一足遅かったようだ。


 次の電車まではあと三十分弱待たなければならない。私はこの時に限って、乗り遅れてもすぐにやってくる山手線や京浜東北線を懐かしく思った。


 上り線ホームでボーッと突っ立って待っていると、ポケットから振動を感じた。LINE通話の着信で、発信者は美和先輩だった。


「もしもし」

『千秋? もう話は終わった?』

「すみません、失敗しました……」

『ふふっ、まあそんなことだろうと思った』

「寒川さんの時みたいにうまくいくと思っていました。でも、ダメでした」

『そりゃそうだよ。あの時は相手が不利になる弱みを握ってたからね。コン部の調査も思い出して。ご禁制のゲームが見つかった途端、急に態度がしおらしくなったでしょ? 前もって弱みをしっかり握ってかからないと。私だったらそうねえ……真奈さんを誘拐してたかな?』

「ゆ、誘拐って……」

『そしたら清原さんも怒るだろうね。でもお互い真奈さんを失って困るわけだし、二人とも今度こそ解決に向けて真剣に話しあってくれるかもしれない』


 あまり褒められたやり方じゃないけどね、と付け加える。確かに決闘よりある意味酷いやり方だ。


「どうしましょう? 会長が考えを改めるとは思いませんし……」

『陽子だって何も考えなしにやってるわけじゃないよ。勝者に「はい」ってあっさり真奈さんを渡すようなことはしないと思う。ま、陽子に後は任せて成り行きを見守っていなさい。じゃあね、お疲れ様』

「あっ」


 通話が切れてしまった。最後ら辺は何だか突き放すような感じの話し方みたいだったけど、失望させてしまっただろうか。いや、考え過ぎだと思いたい。


「はあ……」


 自分はまだまだ未熟者だ。

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