清原操

 翌日、私は代車として母さんのママチャリで登校すると、赫多さんと古徳さんに出会い頭で笑われた。しかし彼女たちが笑ったのはママチャリのことではなく、私の鼻に貼られている絆創膏である。


「あははは! どうしたの、それ?」

「自転車が壊れて頭から落っこちたの!」


 私がヤケクソ気味に答えると、赫多さんはタンスの角に足の小指をぶつけた時のようなしかめっ面変わった。


「うわー、そりゃ災難だったね。鼻血出たんじゃないの、また?」

「出てない!」


 鼻の痛みはまだ残っている。きっと、今の状態で古徳さんのスッポンの生き血ドリンクを飲んだら二度と鼻が使い物にならなくなりそうだ。


 学校に着くと、私は真っ先に四年南組の教室に向かった。ここには茶川陽菜さんも所属している。その茶川さんがちょうど教室に入ろうとしていたので、呼び止めた。


「おはよう、茶川さん」

「……おはよ。どしたの、それ」


 相変わらず無愛想だったが、さすがの彼女でも私の鼻について気になったらしい。


「うん、ちょっと自転車でこけちゃって」

「……そう。お大事に。で、何か?」

「黒部さんを呼んできてくれるかな?」

「……待って」


 茶川さんは黒部真奈さんのところに向かうと、彼女の肩をポンポンと叩いて黙って私の方を指差した。おいおい、いくら無口でもこんな不躾な呼び出し方はだめだろう。


 真奈さんは私の顔を見て、あからさまにギクッとした。私はニッコリ笑って手招きして呼び寄せた。


「あ、あの、その、昨日のこと……ですよね?」

「まあまあ落ち着いて。とりあえずトイレで話をしよ? それに同級生だし、タメ語で良いから」

「う、うん、わかったわ……」


 トイレにはちょうど誰もいない。これ幸いにと、私はビニール袋に包んだ「ブツ」をカバンから取り出して真奈さんに渡した。


「はい、洗濯しといたからね」

「こっ、これって私の……ごめんなさいっ! 本当にごめんなさいっ!」


 真奈さんの顔面がゆでダコのように真っ赤になり、黒縁眼鏡がずり落ちるぐらいに頭をこれでもかと下げた。


「いや、謝られるようなことじゃないし。まあその、つき合っているんだよね?」

「え、ええ」

「誰なの?」

「三年生の、清原操きよはらみさおっていう子で……」


 ん、どこかで聞いたような名前だなあ……あっ、思い出した!


「イケメン女子ランキング四位の子だっけ?」

「そう。剣道部のエースなの」


『GLタイムス』を読んだときは一位の黒部真矢先輩に気を取られていて清原さんの顔までは覚えていなかったが、名前だけはかすかに記憶に残っていた。夕方見た感じでは気が強そうで、真矢先輩に比べて若干男性的な印象を受ける。もうちょっとくだけた表現をすれば「やんちゃ少年」といった感じである。


「文芸部と剣道部ってあまり接点が無いように思うけど、どうやってつき合いだしたの?」

「先月、うっかり定期を落としたことがあったのね。その時たまたま操が通りかかって一緒に探してくれて。それがきっかけで仲良くなったの。そこからトントン拍子でファーストキスと初体験まで行っちゃって」

「おおう……でも、橋の下で致すなんて大胆すぎやしない? いくら人気ひとけが無かったとはいえ」

「うん、でも学校の中だと操と一緒に行動できない事情があるから」

「事情?」

「私の姉さん、私が変なのとつきあったりしないかって目を光らせてるの」

「ああー、そういうことか」

「万が一操とつき合っていると知ったら姉さん、ああ……」

 

 真奈さんは自分の体を抱きしめるような格好でブルっ、と身震いする。彼女には申し訳ないがシスコン、という単語が即座に頭に浮かんできてしまった。


「お願い。このことは姉さんには黙ってて。お願いします!」


 真奈さんは私の肩を掴んで哀願してきた。


「しゃべらないよ。私はただ黒部さんの相手が誰だったのか知りたかっただけ。私に土を投げつけたことを怒らなくちゃいけないからね」

「操は普段はあんなことする子じゃないの。きっと急に菅原さんが現れたから焦ったんだと思う。だからあまり怒らないでね、ね?」


 真奈さんの眼鏡の奥の瞳が潤んでいる。そこまでされたら怒る気が失せてしまう。


「わ、わかってるよ。軽~くメッ! ってする程度だから」

「本当に、ごめんなさい」


 予鈴が鳴ったので、秘密の会合はここで終わった。真奈さんはまたペコペコ頭を下げて、南組へと駆け足で戻っていったのだった。


 *


 帰りのSHRが終わってから、私は生徒会室より先に武道場に向かった。清原さんに落とし前をつけてもらうためである。といっても真奈さんの「命乞い」もあって、ごめんなさいと言わせてそれで終わりにするつもりでいた。穏便に済ませられるのなら、それに越したことはない。


 校舎から出たら、生徒たちが騒ぎ立てながら走っている光景に出くわした。みんな慌てふためいた様子で口々に「武道場!」「武道場!」と叫んでいる。何だろう一体?


 猛烈に悪い予感がした私も駆け出した。


 武道場は二階建てになっており、一階は柔道部が、二階は剣道部とフェンシング部が共同で使用している。中に入るとその二階から怒声混じりの喧騒がしていた。


 階段を駆け上がると、凄まじい光景が目に飛び込んできた。


「黙りなさい! この色魔!!」

「何だと、このシスコン女!!」


 黒部真矢先輩と清原操さん、イケメン女子ランキング上位二名が羽交い締めにされながらも罵声を浴びせあっていたのである。


「姉さん、もうやめて! 全部私が悪いの!」

「キヨちゃん落ち着いてよ! キヨちゃんってば!」


 真奈さんと古徳聖良さんが必死に羽交い締めにして止めていた。さらに剣道部員と柔道部員とフェンシング部員、三つ巴で入り乱れながらイケメン女子たちの間に割って入って引き剥がそうとしている。これじゃまるでメジャーリーグの乱闘シーンのようだ。


「生徒会の者です!! 二人とも喧嘩をやめてください!!」


 私は生徒会執行部員証明書を掲げて離れたところから大声で叫んだが、誰も見向きもしない。そこでたまたま落ちていた竹刀を拾い上げて、


「生徒会の者ですっ!! 喧嘩をやめてください!! やーめーなーさーいー!!」


 バシバシと床に竹刀を叩きつけながら再度叫ぶと、部員たちが次々に私の存在に気づいて生徒会だ、生徒会だと騒ぎ出し、真矢先輩と清原さんの動きも鈍った。


「何がどうしたんですか!?」


 私が問うと、学校指定の深緑色のジャージを着た真矢先輩がキッ、と私の方に振り返った。長い黒髪がブワっとなびく。


「この女は、私の妹と不純同性交遊をしていたのよ!」


 低く澄んだ声が武道場に響き渡る。私はギクッとした。「バラしてないよ!」と真奈さんに目で訴えるも、彼女は泣いていた。


 続いて清原さんがベリーショートの髪をかきむしりながら、キンキンとした声で叫んだ。


「あたしは真奈を純粋に愛している。なのにこいつは私らの仲を引き裂こうとして突っかかってきやがるんだ!」

「真奈の純潔を奪っておいて何が純粋に、よ!」

「ちょちょちょっと、そんなこと大声で言わないでくださいよ!」


 私は真矢先輩を抑えにかかった。ほら、真奈さんめっちゃ泣いてるじゃない。


「とにかく、二人とも生徒会室で話を聞きましょう。誰か付き添ってあげてください」


 私はまた喧嘩にならないように配慮して、先に真矢先輩を退出させた。それを見届けてから、私は清原さんの方について優しく声をかけた。


「あの、覚えてるかな? 私のこと」

「ああん?」


 清原さんがギロリと睨んできた。真矢先輩の心を射抜くような切れ長の目と違い、彼女の三白眼は威圧的である。私は思わず目を反らしそうになった。


「あ、思い出した。昨日橋の下で……」

「そう。あなたに土を投げつけられたの」

「それは、どうも申し訳ありませんでした……」


 意外にも素直に、清原さんは私に頭を深々と下げて謝罪した。もう怒りはとっくに失せていたし、真奈さんもいる手前、「気にしてないからもういいよ」と水に流すことにした。


「でも黒部さん、何でお姉さんにバレたの? 私は何も……」

「ううん、全ては私のせいなの」


 真奈さんは涙を拭うと、地面に落ちている物を拾い上げた。それはクシャクシャになっていた冊子で、「リリーホワイト」という文芸部が月に一度発行する文芸誌だった。昨日私が頒布許可を出して、今日付けで今月号が発刊されていたがすぐ捌けて無くなってしまった。それだけ生徒の間では人気のある雑誌だ。


「これに、操と私をモデルにした恋愛小説を書いて載せたの」


 そう言って冊子をめくり、『水月』というタイトルの小説のページを見せてきた。作者は「なまこ」という変なペンネームだったが、きっと「真奈」→「まな」→「なま」→「なまこ」と転じたものだろう。


 手にとってざっと読んでみるが、時間が無いので真奈さんにどんな話なのかを聞きながら目を通した。簡単にまとめれば、江戸時代の武士と商人の身分違いの悲恋物語とのことだった。


 この武士の名前が「清川勲きよかわいさお」で娘の名前は「まき」で、人物描写もそれぞれ「三白眼の持ち主」「野暮ったい田舎娘を彷彿させる」とある。確かに、清原さんと真奈さんがモデルなのは明白だった。


 で、この二人は相当激しい恋をしたのだが、まきは大商人の家に嫁にやられることになっていた。そのためまきの父親は清川勲を邪魔に思い、罠にハメて殺してしまった。そしてまきは嫁入りの日の朝に、愛しい人を追って自害するという悲しい最期を迎えるのである。


 しかしこの小説、さすがに直接的で露骨な表現ではないが性描写もあって、未成年にとっては刺激的なものである。よく顧問の先生が許可したなと思うが、真奈さんの文は巧みで、じっくりと読んでみたいと心の底から思った。


「で、たまたまこの小説を読んだあいつが真奈に詰問して私らの仲を知ってしまった、というわけです」


 清原さんがそう言って嘆息した。


「ごめんね、調子に乗ってこの小説を書いたばかりに操に迷惑をかけて……」

「真奈は悪くない」


 清原さんは優しく真奈さんの体を抱き寄せる。それを見た古徳さんが咳払いをした。


「キヨちゃん、生徒会室に行かなきゃ」

「あ、ああ」


 古徳さんはポンと清原さんの背中を叩いて、連れたって歩きだした。


 *


 私の側で団六花さんが『水月』を食い入るように読んでいる。多分エロチックなシーンだけ拾い読みして妄想の糧にしているのだろう。目の前ではイケメン女子二人が言葉の刃で斬り合っているというのに。


「だいたいテメェ、真奈を束縛しすぎなんだよ!」

「妹を大事にしない姉なんかどこにもいないわよ!」

「私には四人の兄貴がいるけど自由にさせてもらってたぞ!」

「そりゃ、あなたが可愛くないからじゃないの!? 可愛い真奈と女を捨てたようなあなたとは違うのよ!」

「黙れ、このシスコン女!!」

「何よ、この色魔!!」


 両者、パイプ椅子を蹴立てて立ち上がる。私たちは慌てて間に割って入り、無理矢理座り直させた。


 生徒会室の隅では、真奈さんがまたさめざめと泣いている。そんな彼女を古徳さんが慰めているが、もう仲裁に入る気力も無いようだ。


「はあ~……美和ちゃん、どう思うよ?」


 さすがの今津会長でもお手上げの様子だ。


「どう思うも何も、この様子じゃ到底話し合いなんて無理でしょ」

「だろうな」


 会長は「よしわかった!」と大声を出した。


「途中から罵り合いになってよくわからんかったが、まとめるとこうだな? 清原さんは真奈さんが姉にがんじがらめにされているのに同情して、心を通じ合わせた。真矢先輩は可愛い妹を汚されたのが許せなかった、と」


 イケメン女子二人はうなずいた。


「どっちの言い分も理解できる。私からは結論が出せんな」

「じゃあどうしろって言うの!!」「じゃあどうしろって言うんですか!!」


 と、イケメン女子二人が同時に叫んだ。会長は腕組みをして尋ねる。


「手っ取り早い解決方法があるが、受け入れるかい?」

「何ですか?」

「決闘だよ」

「決闘!?」


 私たちはポカーン、となった。まさかこんなアナクロで暴力的な手段を提案しようと誰が思うだろうか。


「あ、みんな『何言ってんだこのメガネ』て言いたげな目で見てるな? ところが何と前例があるんだわ、これが。カワムー、アレ出して」

「はーい」


 河邑撫子先輩が手際よくサッ、と分厚い冊子を取り出した。『生徒間トラブルまとめ2002年度版』と背表紙にある。中のページをめくって、読み上げた。


「えーと、『十一月十九日火曜日。フランスからの帰国子女である高等部(※)一年生のMと、剣道部員である同じく高等部一年生Hが中等部三年生のAという生徒を巡って喧嘩が勃発。Mはフェンシングの心得があったため、生徒会の裁定によりフェンシングと剣道の"異種剣技戦"を実施させた。結果、Hが勝利した』と」(※2002年当時は中等部と高等部に分かれていた)

「……あの、生徒会がそんなことしていいんですか?」


 私はツッコんだ。


「日本には決闘罪という立派な法律があるんですが……」

「うん。だからこれは決闘じゃないの。『生徒会主催の"異種剣技戦"というスポーツイベント』なのよ」


 河邑先輩はニコッと笑った。ああ、これはアレか、景品を買い取っているのだから賭博じゃないよ、といった類の逃げ道か。卑怯というか何というか……。


「ちょっと待ちなさい。フェンシングと剣道じゃルールが全く違うのよ? どうやって勝負をつけるの」


 真矢先輩の疑問は最もなものである。これに今津会長が答えた。


「生徒会で独自に統一ルールを作って戦わせたんだ」

「統一ルール?」

「うむ。嫌なら嫌でやらなくても構わない。もっとも、もう話し合いで解決できる段階ではないと思うがね」

「私はやるぞ!」


 清原さんが再び立ち上がり、真矢先輩を指差した。


「お前、まさかやらないと言うわけないよなあ? インターハイ出るくせに逃げ出したら、ファンが失望して去っていくだろうなあ」


 憎たらしい顔で挑発すると、真矢先輩もまた立ち上がった。


「受けて立ってあげるわ。あんたこそビビって逃げんじゃないわよ」


 両者が至近距離で睨み合う。頭一個分背が高い真矢先輩は切れ長の目で見下し、清原さんも負けじと三白眼でガンを飛ばす。いつ殴り合いになってもおかしくない。


 極度の緊張感の中で、今津会長がパン、と手を叩いた。


「よしっ、ここにいるみんなが証人だ! 『異種剣技戦』の日にちは今週の土曜日、午後一時とする!」


 こうして、十五年の時を経て再びフェンシングと剣道による、実質的な「決闘」が行われることになってしまったのである。


 真奈さんの気持ちは置いてけぼりのままで。

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