第30話 他殺志願者殺人事件

「私を犯人にしてくれませんか? 先生」

「何だって!?」


 少女の声が上手く聞き取れず、探偵は必死に金網の隙間から手を伸ばし、彼女の肩を掴んでいた。それもそのはず、その少女は今屋上のフェンスを越え、今にも飛び降りようと淵から下を覗き込んでいたのだ。細腕の探偵が、青白い血管を浮き立たせ歯を食いしばった。


「落ち着くんだ! 早まっちゃいかん!」

「私を犯人にしてくれるんだったら、飛び降りるの止めます」

「分かった! 君を犯人にする! だからこっちに来なさい!」


 最早何を口走っているかも分からないまま、若い探偵は必死の説得を続けた。その甲斐あってか、ようやく少女はフェンスの向こう側から探偵のいる『安全地帯』にまで戻って来てくれた。ほっと息をついた探偵が冷や汗を拭っていると、少女は少しぼうっとした表情で彼を覗き込んだ。


「……約束ですよ? 先生、私をきっと犯人にしてくださいね?」

「ゼエ……ゼエ……犯人? 君は何か事件を起こしたのか?」

 探偵の問いかけに、少女は憂いを帯びた目をそっと伏せた。

「いえ……今からです」

「?」

「お願いです、真田先生。今から私を……お母さんを殺そうとした犯人にしてください」


 少女の言葉に、真田と呼ばれた探偵がピタリと動きを止めた。屋上にはまだコートを脱ぐには肌寒い風が吹き荒れ、俯いた彼女の長い髪をさらって宙に靡かせていた。


□□□


「どうだ? 少しは落ち着いたか?」

「…………はい」


 屋上から降りた二人は、ビルの一階にある寂れたカフェを訪れていた。この時間、店内に客はまばらで、あまり聞かれたくない話をするにはもってこいだった。運ばれてくる珈琲の香りに鼻を刺激され、真田は深く息を吸い込んだ。


「話してくれるか? 君に何があったのか」

「…………はい」


 真田が促すと、少女は俯いたまま小さく頷いた。歳はまだ若く、中学生に上がりたてくらいだろうか。およそ自殺や殺人なんて言葉とは縁がなさそうな少女に一体何があったのだろうか。しばらく彼女は押し黙ったままだったが、探偵は静かに少女の言葉を待った。


「……先日、私と二人で帰ってた時、お母さんが事故に遭って」

「…………」

 ようやく紡がれた小さな蚊の鳴くような声に、真田は耳を澄ませた。


「……まだ病院で、意識が戻らない状態で……」

「それは、大変だったね……」


 泣き出しそうになる少女に慰みの言葉をかけながら、探偵は少し首をかしげた。


「なるほど。お母さんが、大変な状況にある。それは分かったが……だったら何故君は、そんなお母さんを殺そうとしてるんだ? お母さんはまだ生きてるんだろう?」

「それは……」


 少女は恐る恐る目の前に座る探偵を覗き込んだ。


「自殺だと……保険金が下りないんです」

「ん?」


 彼女の言葉に、真田は珈琲を啜る手を止めた。


「どういうことだ?」


「実は……お母さんの事故は、自殺未遂と判断されてしまって。スーツを着た大人の人達が集まって話し合って」

「ふむ」

「自殺だと、健康保険法とかで事故と違ってすぐにはお金が出ないみたいで。これ以上ウチにお金なんてなくて……」


 そこまで声を絞り出すと、少女は目に涙を浮かべ俯いてしまった。折角運ばれてきた珈琲にも、一切手をつけないままだ。真田は口元に手を当て唸った。


「なるほど。それで事故でも自殺未遂でもなく、殺人未遂なら……と考えたわけだ」

「……お願いです、真田先生。私を犯人として警察に連れて行ってくれませんか? 私、真田先生のこと二時間SPで見ました……」

「う……あれを見たのか……」

「……TVに出てる有名な探偵さんの言葉なら、きっと警察も信じてくれると思うんです」


 探偵はしばらくじっとその声に耳を傾けた。


「私が殺すつもりで押したことにすれば、お母さんの治療費も出せます。それに、私が捕まれば、もうこれ以上家の負担にならなくて済むし……」

「……残念だが、そういうことなら私は協力できない」

「!」


 彼の返答に、少女は思わず顔を上げた。


「でも……でも! 先生! お母さんは決して自殺なんてするような人じゃないんです!」

「そうなんだろうね」

「だったら……!」

「だったら」


 真田は目深に被った帽子の隙間から、じっと幼い少女を見つめた。


「だったら君が私に頼むことは、殺人の偽装なんかじゃない。真実を解き明かし、それをその保険会社に突きつけてやることさ。君は二時間SPで私の何を見てたんだ?」

「そ、それは……ぅ……」

「私は真田一行目。どんな難攻不落の怪事件も立ち所に解決する、予定の新人探偵だ。よろしい。君のお母さんの事故、私が請け負った」

「え……」

「君、名前は?」

「お……岡です。岡、絵里……」

「岡君。早速現場に案内してくれ給え。この真田一行目、記念すべき初陣だ!」


 そういうと、真田は勢いよく立ち上がった。その途端、服に珈琲を引っ掛けテーブルにぶち撒けるのを見て、少女は思わず目を丸くした……。


□□□


「先生。真田先生。この間の二時間SPの録画取れてますよ。一緒に見ますか?」

「う……。いや、いい。どうせ結果は目に見えてるしな……。ハァ……二時間SPでTVに出られるなんて、『新人探偵紹介』以来だったってのに……クッソ……」

「そうですか……じゃあ私、家でお母さんと一緒に見ようっと」

「おい岡君」


 帽子を深く被り寝転んでいた探偵が、ソファから転げるように起き上がった。学生服姿の少女が振り返った。


「何ですか?」

「……解決編は見なくていい。いいか。私の事件で見ておくべきなのは、問題編だけだ」

「何言ってるんですか。探偵モノで解決編を見ないでどうするんですか。大体先生の事件なんて、大概解決編から始まってるくせに」

「何? どういう意味だ?」

「それくらい先生があっという間に、どんな事件も解決してしまうってことですよ」


 何故か嬉しそうな顔で事務所を去って行く助手の姿を、真田は困惑したまま見送るしかなかった。

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