第5話 ダイナミック自殺殺人事件
「犯人は……ご主人、貴方ですね」
細身の探偵がそう宣言すると、車椅子に乗っていた老人は声にもならない音を喉から絞り出した。物的・人的・状況・供述……と、ありとあらゆる証拠を立て続けに叩きつけられた老人は、もはやぐうの音も出ないようだった。沈黙こそが、自らの推理が正しいという証明だと言わんばかりに、探偵は不敵な笑みを浮かべ勝ち誇った。犯人にくるりと背を向けると、大広間に集まった警察官やギャラリー達が、皆口々に驚きの声を上げた。
「そんな……まさかそんなトリックが……!」
「なんて奇怪千万な男なんだ……!」
その一つ一つの感嘆や息を飲む音が、探偵にとってはどんなオーケストラよりもとても心地いい音色だった。彼が気持ちよく現場を後にしようとすると、向こうの廊下から学生服姿の少女が駆け寄ってきた。
「やりましたね真田先生! また一行目で事件を解決してしまったんですね!」
「嗚呼。助手君。その一言が言いたいがために、探偵をやっているようなもんだからな」
真田と呼ばれた男は助手の頭をくしゃくしゃっと撫で、上の方を見上げぼんやりと笑った。
□□□
「ちょっと待ってください、警部」
意気揚々と引き上げようとする二人組を尻目に、鑑識の若手が現場に走りこんできて、何やら警部の耳元で囁き出した。
「何だって? うむ……うむ……。そうか、なるほど……」
皆の注目が集まる中、強面警部の顔色がみるみる険しくなっていった。助手が真田に耳打ちした。
「またまた、一体どうしたんですかね? まさか、また自殺だったんでしょうか?」
「有り得ん。今回の事件、一件目はバラバラ殺人だ。被害者は死んだ直後、犯人によって解体されてる。第二の事件に至っては、我々は目の前で仮面を被った犯人を目撃しているんだ。自殺した人間にそんな芸当は不可能だ」
「確かに……じゃあ今回は大丈夫ですね」
「今回『も』な」
先ほど得意げに推理を披露したばかりの真田が、眉をしかめた。鑑識との密談が終わると、警部はわざとらしく一つ咳払いをして、皆の中心で右手を掲げて見せた。
「失礼。鑑識の調査の結果、今回の事件は自殺ということで結論が出た」
「何ですって!?」
急転直下の事態に誰もが目を丸くした。誰よりも驚いていたのは、先ほど完璧な推理をした真田だった。
「どういうことですか警部さん!? 自殺? あり得ない!」
「だがそういう結論だ」
「死体はバラバラなんですよ? 死んだ後自分の手足を切り落とし、それを冷蔵庫や風呂場に隠したっていうんですか? どうやって?」
食いつく真田に、強面の警部は視線を逸らした。
「それはまあ、何かトリックを使ったのだろう。『即死した後自らの体を解体し別々の場所に保存トリック』とか」
「バカな……そんなトリックあってたまるか」
真田はあんぐりと口を開けた。
「じゃ、じゃあ第二の殺人は……アレも自殺だっていうんですか!? 我々は大広間で、犯人らしき人物が堂々と目の前で被害者を刺す現場を目撃しています」
「それももちろん自殺だ。被害者は我々全員に、いもしない架空の人物に自分が刺されたと錯覚させたんだ。推理小説とかでよくあるだろ」
「ええ。私も好きですけど……。でもそのトリックは、『自分が被害者になることで、捜査の枠から外れる』目的でしょう? 今回のは、本当に死んでますよ」
「だからそこまで含めて、トリックなんだ。『自分が被害者になることで捜査の枠から外れるつもりが、本当に死んでしまうトリック』だ。トリックなのかこれは?」
「私に聞かないでください!」
「話は終わりましたかな?」
二人が言い争っていると、車椅子の老人がそばまで近寄ってきた。先ほど探偵にコテンパンに叩きのめされた容疑者が、真田を見上げ不敵な笑みを浮かべた。
「これはこれは探偵さん。どうも、貴方の推理は的外れだったようじゃ。被害者は自殺。警察の発表に間違いはあるまい。じゃな、警部さん」
「はい」
「ぐ……!」
「今日はこれで、お引き取り願えるかな? ワシももう歳で、疲れておるのでね。明日は警視総監殿と会食もあるしのぉ。フォッフォッフォ!」
「貴様……! まさか裏で警察に何らかの圧力を……」
「おっと小童。その辺にしておけ。それでなくても貴様は名誉毀損じゃ。悪いことは言わん。これ以上罪を重ねるな」
「何だと?」
追い込んだはずが、逆に追い込まれてしまったこの状況に、真田は血が滲むほど唇を噛み締めた。今にも老人に飛びかからんと歯を剥き出しにする真田の袖を、慌てて助手が引っ張った。
「先生! ここは一旦引きましょう! 恐らく何らかの国家権力が働いて、今回の事件をもみ消そうとしているのでしょう」
「ごほん、ごほん」
女子高生の耳打ちに、警部がわざとらしく咳を漏らした。頭に血を昇らせた真田が噛み付いた。
「バカな。こんな意味不明なトリックで世間が騙されるとでも思っているのか」
「しかし先生。誰も文句を言えないのが権力の怖いところです。たとえ他殺証拠がどれだけ残っていようが、権力者が自殺と言えば自殺なんです」
「クソッ!」
容疑者の高笑いを背に、苦い敗北を味わった探偵は拳を握りしめ現場を後にした。
□□□
「最初からそのつもりだったんだあのクソジジイ! 私を道化役にして、自分の罪をなすりつけるつもりだったのさ! それが何だ、私が完璧にそれを見破り、論破したら今度は裏でコソコソやりやがって」
「落ち着いてください、先生。言葉遣いが乱雑になってます」
「これが落ち着いていられるか、岡君」
次の日、助手が学校帰りに探偵事務所に立ち寄ると、真田はまだ怒りを爆発させていた。岡と呼ばれた少女は、何の因果か放課後になるとこうして真田の元にやってきて、彼の仕事の『お手伝い』をしていた。とは言っても、事件が発生しなければ仕事はやってこない。大概の日はこうして事務所で依頼人を待ってダラダラと過ごしていた。二人が事務所でそれぞれ怒りに任せてお菓子をぶち撒けたり、雑誌を読んだりしていると、一本の電話がかかってきた。真田がワンコールも待たずに受話器に飛び付いた。
「はいこちら真田探偵事務所!」
「真田君か。私だ。猪本だ」
「これはこれは警部。どうされましたか? また何かご依頼なら、昨日みたいなのはもう勘弁してもらいたいですね……」
電話の相手は、昨日の強面の警部からだった。真田はブツブツと恨み節を呟いた。よっぽど昨日のことが頭に来ているらしい。
「それだよ。昨日の事件なんだが……実は進展があったんだ。君にも一応、報告しておこうと思ってね」
「進展?」
「例のご主人が亡くなった」
「何ですって!?」
パイプ椅子を斜めに浮かせていた真田は、そのまま後ろにひっくり返った。
「今朝、使用人が自室で首を吊っているのを発見したんだ。部屋は完全に密室で、遺書も用意されていた」
「待ってくださいよ。あれだけ昨日私を馬鹿にして、国家権力まで利用して罪を逃れた人間が、自殺?」
「そうだ。確かにおかしい。元々奴さんは金持ちの資産家だ。強盗に狙われたっておかしくはない。昨日の殺人事件……いや自殺だったな、アレのせいで屋敷から人が減り、警備が薄くなってることは確かなんだ。だが物的・人的・状況・供述……全ての証拠は自殺と物語っている。一応警察の正式な発表はまだだが……どうだ真田、来るか?」
「やれやれ。無理やり自殺に仕立て上げたその次は、無理矢理他殺に仕立て上げるおつもりですか。いいでしょう。その謎、受けて立ちますよ」
しこたま殴打した後頭部をさすりながら、真田が受話器を手にニヤリと笑った。それに気づいた助手が机の向こうから身を乗り出して来た。
「何なに? 先生、事件ですか?」
「嗚呼。昨日と同じ現場だ。助手君、すぐに準備してくれ」
「人が殺されると元気になりますよね、先生って」
「バカな。変な言い方するな。『事件が起きると』、だ。私は探偵だからな」
急いで荷物を用意する助手とともに、元気になった真田は颯爽と現場へと急行するのだった。
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