第2話 双子替え玉密室顔のない時刻表秘密の抜け穴館殺人事件

 「犯人は館のご主人……貴方ですね」


 探偵がそう宣言すると、老人は椅子から微動だにせず、目の前に立つ彼を睨み返した。探偵の名は、真田一行目。今時トレンチコートを羽織り、頭には鹿撃ち帽を乗っけた”いかにも”な探偵であった。静寂とともに、張り詰めた空気が書斎を包み込む。やがて老人は床に目を落とすと、フッと笑った。


「フン。若造めが、よくぞ見破った……」

 館の主人のその言葉に、入り口に集まっていた使用人達がざわつき出した。

「そんな……まさか旦那様が実は入れ歯だったなんて!」

「なんて驚天動地なトリックなんだ……!」


 すると、老人の言葉が合図だったかのように、書斎の入り口から待機していた警察の波が雪崩れ込んでくる。探偵は自らの役目を終えると、先ほど推理を突きつけた犯人に背を向けた。探偵の仕事は事件を解決するのみ。まるで、それ以外のことには興味がない……とでも言いたげな彼の表情には、どこか満足感すら感じられた。


「おい若造」

 立ち去ろうとする彼に、観念した犯人が警察に連行されながらも呼び止めた。恐らく何か言いたい事があるのだろう。ドラマや小説でよく見かける、最後に犯人から探偵に向けて送る、負け惜しみの一言。


「ワシのし」

 老人が最後まで喋り終わる前に、無精髭の探偵は疲れた顔で書斎の扉をピシャリと閉めて出て行った。


□□□


 現場を後にすると、一仕事終えた探偵は館を囲む石造りの巨大な塀に背を預け煙草に火をつけた。外はすっかり、闇が空を覆っている。探偵がつかの間の休息を取っていると、暗がりの向こうから彼に向かって駆け寄ってくる影が見えた。


「やりましたね先生!」

 やってきたのは、学生服姿の少女だった。彼女は息を切らしながら、探偵を見上げて言った。

「また一行目で事件を解決してしまったんですね、先生!」

「助手君」

 助手と呼ばれた少女が、探偵に声をかけられ嬉しそうに顔を綻ばせた。探偵は薄雲の広がる空に白い煙を吐き出すと、疲れ切った声で笑った。

「全くの早業だったろう? ……自分でも記憶が無くて、怖いくらいだよ。ハッハッハッハ!」

「さすがです先生!」

 人懐っこい笑みを浮かべる少女から『推理グッズ詰め込みカバン』を受け取り、探偵はのらりと街道を歩き出した。学生服の少女が、隣で興奮したように囁いた。


「それにしても驚きましたね先生。まさか犯人が実は入れ歯だったなんて!」

「ああ。それに、実は双子だったなんてな」

「びっくりですよ。しかも死体が替え玉だったとは」

「まさかその死体を、秘密の小部屋に隠しているとは思わなかった」

「誰も気がつきませんよ。私達は最初から騙されていたんですね。奥さんの名前は、本当はジョセフィーヌじゃ無くて桜だったんだ……」

「見事な騙しのテクニックだよ。我々はずっと、あの殺人現場を密室だと勝手に刷り込まれていたんだ」

「あの後私、時刻表を確認してみたんです。やっぱり先生の言った通り、犯人のアリバイは完全じゃありませんでした」

「そうか。私もな、犯人が奥さんに呼びかけた時は、てっきりキッチンにまだ彼女がいるものだと思い込んでしまったんだが……」

「仕方ありません。死体に顔がなかったから……」

「改めて、すごい事件だったな……」

「ホントですね……」

「大変です先生! 真田一行目先生!」


 二人が話に花を咲かせながら塀伝いに歩いていると、突然後ろから鋭い声が飛んで来た。振り向いた先にいたのは、先ほど現場を指揮していた警部だった。トレンチコートを纏ったマフィア顔の警部が、息を切らしながら二人の元に駆け寄って来た。

「どうしたんだ警部?」

「それが先生……ハァハァ……。実は犯人の入れ歯が……もう一つ発見されたんです!」

「何だって!?」

 驚きの声を上げ、探偵と助手は顔を見合わせた。

「ということは……つまり……!」

「ええ。事件は、振り出しに戻りました……!」

「え? 戻ったんですか?」

「うーむ。何故そうなるのかはさっぱり分からないが、確かにそんな気がしてきた……」


 伸びきった前髪の向こう側で、探偵が頷きつつ目を光らせた。

「それに……ゼエゼエ……。館にもう一つ、隠し部屋がありました。使用人も知らない秘密の抜け穴も四つ……。新たな遺書が八枚、地元の民謡に擬えて庭に埋められた人形が六体。それから……」

「まだあるのか」

 探偵が目を丸くした。

「まるで、この事件の内容を予め知っていたかの如く事細かに描写された、台本のようなものも……その中には、真田先生の名前も出て来ます」

 警部が息を潜めじっと探偵を見据えた。


「先生……これって……」

 息を飲む助手の隣で、彼は腕を組んで唸った。

「確かに、発見されたもう一つの入れ歯というのは、一番気になるところだな……。もしかしたらこの事件の裏には、まだ隠された真実があるのかもしれない」

「犯人は別にいると……?」

「いいや。犯人は彼奴さ。事件は解決した。それは間違いない。だが我々は、まだ彼奴に試されている。『ワシの仕掛けた全ての入れ歯トリックを、見破られるものなら見破ってみろ』、とな」

「じゃあ先生……」

「嗚呼。行くぞ助手君。謎が呼んでいる! あの館に戻るんだ。この叩きつけられた挑戦状を、必ずや名探偵・真田一行目が解いてみせる! 何なら一行でな! ハッハッハッハッハ!!」


 それから探偵は誰も見ていない空間に謎の決めポーズで啖呵を切ると、おもむろに走り出したのだった。

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