12

「よぉ、久しぶりだな!」


 陽気な声が大胆に、明らかにこちらへ、肘を曲げた手を振る動作と共に放たれた。閑静とした空気を基本としているこの場所では場違いな程の大声は、嫌でも耳に飛び込んできた。特徴がある……イトスは止めた足を後退させながら拳銃を構える。


「やあ、情報組織にいる馬鹿じゃないか」

「あらパッシュ、久しぶりね!」


 それに驚愕の反応もなく仲間が応じるのを見て、イトスはため息を吐いた。知っている、特に身構えるような敵意のある相手ではない。


「おっと、その話をこんなトコでしてバレたらどうするんだよ」

「別に……ここで話をしても取り立てて問題は無いと思うけど」


 ミドセは長身の彼を呆れた目で見上げながらため息をつく。


 幻奏新和、通称ゲンシン――大手であり、大人数が所属する音楽組織――というのは一つの顔であり、もう一つ……一部の所属員は諜報を専門とする情報管理組織を裏の顔として持っていた。


 情報組織としての彼らは言ってしまえば〈イレイサ〉の重要な取引先。目先にいるパッシュはその中でも腕が立つ存在であり、同時に知名度も比較的高い所謂アイドルである。ゆえに表立った行動も得意としており、互いに面識があった。群青帽子から覗かせる顔は無邪気にして明るい。 


 この前のあの好戦的な表情とは大違いだ。イトスはそう思いながら彼らを見据えた。


「おーイトスじゃん」


 出来る限りミドセが注意を引いていて欲しい、と願っていた直後、狙っていたかのようにこちらに目を向けられ、落胆の衝動、思わず引き金を引きそうになる。おかまいなく暢気といわんばかりの言葉遣いはこちらに近づいてきた。


「どっか出掛けんのか?」

「どうでもいいだろ。で、何だよ。アイツとの話はしねーの?」


 イトスはやや距離をおいたミドセを、親指で示しながらそう言うが、アシュロと共に、もう一人……連れて歩いていたシエルと何やら話し込んでいた。と、なると最早切り返す手数はあまり残っていない。牽制しながら後退する。


「あっちはあっちでお楽しみだからさ……それよりイトス、そろそろどうだ?」

「あ?」


 解っていた。呆れた眼差しに不機嫌さを含みながら反応を示した。普段あまり気にもとめず、たとえアイドルであっても大体顔と名前が一致しない程度に忘れるイトスなのだが、この次の言葉で深く、彼に関しては記憶に刻み込まれている。


「バンド、そろそろ一緒にしようぜ?」

「散々言ってるけど俺は加入しない。めんどくせぇ」

「でもお前中々いい声してるんだぜ、だから」

「うっせ。これ以上言うと撃つぞ?」


 案の定だった、というのも出会い頭いつも同じことを言われるのだ。何を考えているんだコイツは……イトスはしっかりと射止めようと焦点を当てるが、パッシュは、また今度なとあしらうように、シエルの側に足を向ける。イトスはようやく胸を撫で下ろし得物を仕舞う。長らく続くのであればこの隙に家へと帰りたいのだが、流石にすぐに連れ戻されるだろう。今のイトスには諦めの色が強く出ていた。腕を組みながら聞こえてくる会話を耳にする。


「そう、じゃあやっぱり君の居た世界の森なんだね」

「間違いなく。しかし厄介な場所に落ちたものじゃ」

「記憶が曖昧な部分があるとは聞いていたけれど、これだけ明瞭なら上々だよ」


 ミドセはシエルの言葉をまとめ、納得したような表情で目を伏せた。


「では達者でな、くれぐれも惑った時動かぬようにな」


 橙の髪をなびかせたシエルは、兄であるパッシュの近づいてきたことに気づくと、そう言っては身を翻して彼との距離を狭めた。


「なあシエル、何の話だ?」

「ちょっとした取引じゃよ。仕事だから深くは言えぬ」


 パッシュの質問にそう答えつつもシエルの声色はどことなく満足そうに耳に届く。そうして強い風、一拍にして、彼らはそこに居なかったように姿を消した。


「ミッチー、私も聞いてて何のことかさっぱりだったんだけど」


 気まずそうに、聞いていたはずのアシュロがそういうと、ミドセはアシュロを一瞥した


「聞くだけじゃ決して理解できないものもあるんだよ、アシュロ」


 ミドセは一度崩れていたリィノを背負い直しながらイトスに顔を向け、目で合図し足を進めた。少しだけ距離を縮めるように、イトスは歩調をやや早めた。転移装置は目先までの距離にある。


「それで、リィノ。また眠りたい気分なのは山々だけど」

「ん……なーに」


 リィノは声を掛けられ眼をこすりながらミドセの問いかけに応える。


「あの装置、電力を最大出力できるのは君だよね。着いたら頼むよ」

「えぇー?」


 リィノの表情は変わらないが、驚愕の声が大きめに響く。落胆した色にもそれは聞こえた。


「最大出力って、何、どういうこと」

「僕達四人が同時に移動する。精度も併せて確実性を高めるには、君のような適性が高い者が魔力を注ぐのが一番安定するんだよ」


 どうやら転移装置についての話のようだ。イトスは内心成程と、それについては納得した。電力……即ち雷を属性の主軸とするリィノは電力を操作することはそう難しいことではない。若干であるが憐れみの眼差しをリィノに向けながら、内心自分の役割じゃなくてよかったと、イトスは安堵した。


 暫しして独特の空気が漂う場所へ。あれから一晩しか経っていないはずだが、特に通常目にする光景となんらかわりない風景がそこにはあった。血痕などは水に流れたのだろうか、いずれにしても瓦礫や崩れた支柱などが多いこの空間では特に気にならないほど平然としている。 そこから小屋のような入り口をくぐり、先日入った装置のやや狭い空間内へ入る。相変わらず電力は抑えめといった佇まいをしていた。


 ミドセの背から跳ねるように地面に降りバランスを取ったリィノが、大きな端末にある画面に触れる。


「へえ、これが転移装置!」


 アシュロが目をきらきらと輝かせてリィノの横から顔を覗かせる。


「面白い……まるで買い物場所にある認証機械みたい!」

「ここに来ること自体も初めてなんだね、アシュロは」

「うん! はー異界、どういうとこなんだろう」


 好奇心で嬉々としたアシュロはそのまま暫くその操作をみていた。リィノは気怠そうではあるが、手慣れた様子でその機械の液晶に触れていく。


「んと……それで、どこへ行くって?」

「〈チェゼリート〉、歴は五七〇。恐らく公用の履歴があるなら日付も出てくるはずだ」


 ミドセはアシュロとは逆の位置から、動かすリィノに指示していく、蚊帳の外からそれを眺めるように、入り口に背をもたれ、イトスは欠伸をした。チェゼリートすごい名前だ……と思ったと同時にどこかで耳にしたことがある。イトスは少し違和感を覚え、少し記憶を遡る、そして、あっと言葉を漏らす、アシュロはそれを聞き逃さなかったのか、興味の目をイトスにすぐさま向けた。


「ん、どしたのイトス?」

「そういやチェゼリート、クノンが行くって言ってたなって」

「どこでさ」

「いや……昨日ここで」


 無言という空白。その後ミドセは呆れた素振りを見せて言葉を放つ。


「やっぱりイトス……君はもう少し興味を持ったほうがいいと思うよ、じゃないとこんな肝心なことすら忘却する羽目になる」

「別に……面倒くせぇし必要もねぇ」

「君はそうかもしれないね……いや、まあ云うだけ無駄か」


 ミドセはそのままリィノの触れる液晶に視線を戻す。ふと、リィノの手が止まり、それから最後の動きを見せる。高めの電子音が一拍、リィノはふぅと大きく体勢を崩した後、顔を上げる。


「これでいいはず、もう俺終わったから帰っていい?」

「何を言ってるのリィノ! さっき私と一緒に行くって約束したじゃない!」

「えっ……いやまって、何のこと?」

「とぼけちゃダメよ。さ、行きましょ!」


 アシュロは若干強引気味に、気乗りしていないリィノの背後……肩から手を回すと、体重で押すように描かれた陣の方向へと向かう。イトスはやはり自分の立場があれじゃなくてよかったと内心思いながらそれを眺める。近場にいたミドセはその様子を黙っては居なかった。


「イトス」

「なんだよ」

「特にさっきのことは気にしていないよ。手がかりは元からあったし、セドの言うとおり時間に猶予はあるとおもうけど、あくまで総合的な話だ、あの陣の起動時間はそう長くないからさっさと行くよ」


 身を陣に向けながらも、ついてくるようにミドセが手招くと、渋々イトスは歩く。陣は煌々と光を帯び、電子仕掛けなのか、魔術仕掛けなのかもわからないような表情を覗かせる。


――近づく程、そこに引力があるかのようだ。源に吸い込まれるように足を運ぶと次第に歩調も早まった。


 片足を陣に落とすと一気に目の前が揺れたような感覚を覚える。ふらついた身体をもう片方の足を内陣に踏み込ませることで整えれば、ぐにゃりと視界が波打つ。


 光の白と闇の黒、両者が交じり合ったような、電流が大げさに放たれる音が耳に飛び込む以外の音は何もない。


――久しぶりの感触だな


 忘れていた記憶を引き出すようにイトスは目を閉じ違和感から背く。地面に着いていることを忘れたような、否、今はついていないんじゃないかといわんばかりに無重力に浮く感覚だ。


 やがて音も聞こえなくなる。真空のような、水中のような……。


 違和感は長くは続かなかった。静寂から飛び込んできたのは、今まで居た場所よりも肌寒い感覚と、嗅覚に飛び込む樹木の香りだった。




 目を開けると、そこは一面の緑だった。

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