第53話モイライの三姉妹
キューピッドはハーデースの宮殿を後にすると三姉妹が済むオリンポスの山へ向かった。
そしてオリンポスの宮殿に向かう道すがらにある『運命の洞窟』と呼ばれる薄暗い穴倉の中でモイライの運命の三女神を見つけた。
彼女たち三人はいつもこの洞窟で湧き出る運命の糸を紡ぎ、巻取り、断ち切っていた。
糸を紡いでいたクロ―トーは気配を感じて頭を上げた。そしてキューピッドの姿を認めた。
「どうしたのですか?キューピッド。あなたがここに来るとは珍しい」
とキューピッドに声を掛けた。
キューピッドは立ち止まってクロートーに目をやった。彼女は深い紺のドレスにまとい、長い髪は後ろで綺麗に纏められていた。肩から胸にかけてその髪が綺麗に流れていた。キューピッドに声を掛けながらも左手から生み出されていた運命の糸は右手を経てラケシスの元へと流れていた。
「うん。ちょうどいい酒が手に入ったんでゼウスのところに行こうと思っていたんだ」
とキューピッドは答えた。
「ほほぉ。その酒はどこで手に入れたのじゃ?」
クロートーから受け取った運命の糸を糸巻きに巻き取っていたラケシスが興味深そうに聞いた。彼女もクロートーと同じようなドレスをまとっていたが、長い髪は編み込んで後ろに括り付けていた。彼女の声は幼女のようでもあるが、口調は老婆のようだった。
「これ? これはハーデースから貰ったんだよ。『いつもケルベロスにお菓子を持ってきてくれるから』ってさ」
キューピッドはそう言って手に持った酒瓶を振って見せた。
「もしかしてそれは『アポロンの酒』か?」
今度はアトロポスが目ざとくハサミを握りしめたまま聞いた。彼女は黒いレースのベールをかぶり、二人の姉が紡ぎだす運命の糸を切るタイミングを待っていた。彼女の声は若々しい少年の声にも聞こえるほど張りがあった。
「その通りだよ。良く分かったな?」
「ああ、その酒は飲んだことがある。とってもうまい酒だ」
アトロポスは昔を思い出すように表情を緩めるとキューピッドの持っている酒瓶を物欲しげに見つめた。彼女もどうやら『アポロンの酒』には目が無いようだった。
――食らいついた――
キューピッドはそう思ったが、表情は何も変える事もなく
「へぇ。そうなのか。それは良い事を聞いた。早速ゼウスのところに行って飲まねば」
と答えた。
「ちょっと待て! ここまで見せびらかせておいて素通りはないだろう?」
アトロポスはキューピッドのその言葉で我に返ったように彼を押し止めた。
「う~ん……そうは言ってもねえ……」
キューピッドは腕を組んで考え込んだふりをした。と同時にキューピッドは自分がやり手のベニスの商人になったようなおかしさを感じていた。案外、こういう駆け引きは嫌いではない……と心の中で思っていた。
「なんだ? 急ぐのか?」
アトロポスはキューピッドを伺い見るように聞いてきた。
「いや、そういう訳ではないが……」
「だったら少しぐらい寄り道してもよいではないか」
とラケシスもこの酒が飲みたいようだ。
「う~ん」
キューピッドは少し考えていた……いや、それは考えているふりをしたと言うべきであろう。
三姉妹はその様子を固唾をのんで見守っていた。薄暗い洞窟で毎日毎日人の運命を司る糸を紡いでいるだけが彼女たちの日々だった。
勿論、ここを訪れる者は滅多にいない。勿論キューピッドはその事を知っている。
――そう言えばアポロンがその酒を持って来たのはいつの事だったか……――
――あの酒は美味かった。もう一度味わいたいものじゃ――
彼女たちは口には出さなかったが、顔にはありありとそう書いてあった。
「何か美味しいツマミでもあるのか?」
キューピッドは聞いた。
「ここは神の山だぞ。何でもそろう」
そう言うとアトロポスは一つの果実を差し出した。
「これはどうじゃ?『無常の果実』だ。美味いぞ」
キューピッドはそれを手に取ってじっと見た。そして
「これってギガントマキア―でデューポーンに食わせたとんでもないブツだろう?」
と言ってアトロポスに軽く投げ返した。
「ああ、知っていたのか? そうだ。それだ。 でもこの実は美味いぞ」
「美味いかもしれんが食ったが最後、どんな願いも敵わない上に力を奪うとんでもない果実じゃないか! そんなものが食えるか!! 他にはないのか?」
キューピッドは呆れ返ったように三姉妹に言った。
「いいえ。まだまだここには沢山食べ物がありますわ」
慌てたようにクロートーが答えた。
「じゃあ、それを出してよ」
キューピッドはぶっきらぼうに言った。
それを聞いて三姉妹は黙って顔を見合わせた。
彼女たちはギガントマキアーの大戦ではアクリオスやトオーンという名のギガース(巨人族)を殴り倒し、キューピッドが言った通りデューポーンにこの実を食べさせて敗走の憂き目に遭わせていた。
運命の三姉妹と言いながら、案外力任せな強引な手段も平気で選ぶような荒っぽい姉妹でもあった。
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