第50話万策尽きた



「だから出来ればお主の力になってやりたいと思うのじゃが……人の寿命を司るのはモイライの運命の三女神じゃ。ワシではない。そんな事も知らぬお主ではあるまい」

と諭すように言った。


「あ!」

キューピッドは思い出したように小さく叫んだ。



 モイライの運命の三女神とはクロートー、ラケシス、アトロポスの三姉妹の事だ。彼女たちが手にするのは「運命の糸」。

その「運命の糸」をみずからの糸巻き棒から紡ぐのがクロートーだ。次にその長さを計るのがラケシスで、最後にこの糸を、三番目のアトロポスが切る。このようにして彼女たちは人の寿命は決めていた。



「なんだ? 本当に忘れておったのか?……兎に角、その話をするならワシにではなく彼女たちにするがよい」

少し呆れ気味にハーデースは言った。


「ああ、そうだった。あの三姉妹はあまりにも強いから運命の三女神であることを忘れてしまっていたわ」

とキューピッドは頭を掻きながら言った。

そして

「しかしなぁ……あいつらが僕のいう事を素直に聞いてくれるかが問題だな」

と自信なさげに呟いた。


「うむ。一筋縄ではいくまい」


「う~ん。あいつらにその力を与えたのはゼウスかぁ……そこまで行くとちょっと大ごとだなぁ……」


「そうじゃ、お主の言う通り……その力を与えたのはあの浮気者じゃ……お主も幾度となくその片棒を担いだじゃろう?」

ハーデースは目を細めて愉快そうに口元を緩めた。


「まぁ、そうなんだけどね。でもそれとこれとは別問題だから……」

キューピッドは薄笑いを浮かべながら答えた。


「そうじゃのぉ……ゼウスをもってしてもあの三人は首を立てに振るとは限らんからのぉ……ところで、お主は、アポロンとは……」


「アポロン? あ、あいつはダメだ。 ダフネ―の一件から口もきかん」

とキューピッドはアポロンと言う名が出た瞬間に首を激しく振った。


 キューピッドはアポロンにからかわれた事があった。その仕返しにキューピッドはアポロンがダフネ―という妖精に恋をするように矢を放ったことがあった。勿論その恋は報われることが無く、ダフネ―はアポロンから逃げるために自らを月桂樹に変えた。

そんな事があってからキューピッドとアポロンは仲があまり良くない。



「ふむ……手の打ちようがないかもしれんのぉ……」

とハーデースは諦め顔で呟いた。


「そういう訳にはいかない……が、何故アポロンの名前がここで出る?」

キューピッドはハーデースを睨みつけるような表情で言った。



「いや、少し気になった事があったのでな」

ハーデースはそう言うと沈黙した。



 キューピッドはハーデースの次の言葉を待つた。今のキューピッドにはなんの妙案も思いつかなかった。

やはり人の寿命を延ばすのは無理なようだ。



 ハーデースは暫く考えていたが

「ちょっと耳を貸せ」

そういうとキューピッドを手招きして、彼の耳元で呟いた。


「お主は『アポロンの酒』の事を知っておるか?」


「いや知らない。それはなんだ?」


「アポロンが人の寿命を延ばしてくれとモイライの三姉妹に飲ませた酒じゃ」


「そんな事があったのか?知らなかった。で、三姉妹はアポロンの願いを聞いたのか?」

驚いたようにそう言うとキューピッドはハーデースに向き直った。


「ああ、あの三姉妹、酔った勢いで願いを叶えてやった」


「という事でじゃ、お主はアポロンに頭を下げられるか?」

ハーデースはキューピッドの覚悟を確かめるように険しい顔で聞いた。

暫く考えてからキューピッドは

「あの疫病神に頭を下げる事ぐらいはなんでもないが、あれが俺の頼みを聞くとは思えない」

と答えた。


「まあ、そうじゃな」

ハーデースはそう頷くと軽くため息をつくと玉座の背もたれに体を預けて目を閉じた。

キューピッドは黙って再びハーデースの次の言葉を待っていた。


「その娘の残された寿命はお主には分かっておるのじゃな」

ハーデースは目を閉じたまま聞いた。


「ああ、知っている。残された時間はもうほとんどない」


「それまでに間に合うかだな……」


「あてはあるのか?」

キューピッドはハーデースの真意が読めずに聞いた。


「ない事はない」


「本当か?!」

キューピッドは思わず叫んだ。


「ああ、ない事はないというだけだ。お主を喜ばせる事になるとは限らん……もっとも間に合ったとしても……」

と抑揚のない声で言った。


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