第36話夕子の本音


「でもキューピッドってもっと可愛い幼児だと思っていたのに、案外イケメンのイラストで違和感を感じていたんだけど……ふ~ん。あのイラスト通りだったのねぇ」

と感心したようにキューピッドの姿を眺めていた。


「まあね」

そう答えながらキューピッドは、この彼女が麻美のようにキューピッドと小便小僧と一緒にしなかったのでほっとしていた。


――本当にあれはないよな。あれは――


未だに少し根に持っているキューピッドだった。


「ちょうど、君の書き込みを見てね。ちょっと気になってやってきたんだ」

とキューピッドは夕子に言った。


夕子は

「そうなんだ。それはわざわざありがとうございます」

と頭を下げた。


 少し話をして落ち着いてきてはいたが、よくよく考えるとここにキューピッドが立っているという事実は色々な意味で俄かには信じがたい出来事だ。冷静に彼女は現状を把握していた。


 一呼吸おいてから顔を上げた彼女は、キューピッドを見つめて

「それにしても……まだ……あんなことを書くなんて……ね」

と言って下唇を噛んだ。彼女の表情が曇った。


 言いたい事は沢山あった。今、この瞬間、キューピッドに全部ぶちまけてしまいたくなったが、それを夕子は必至で抑えていた。


 今まで途方もない意志の力で全ての感情を理論で抑え込んで来たのだ。納得したのでは無く納得させようと努力してきたのだ。だから少しでも気を緩めると心の底に沈めた感情が一気に噴出してくるのが分かっていた。


 そんな彼女が唯一、自分の感情のほんの少しを吐き出した場所があのサイトのあの掲示板だった。


――だから麻美はあのコメントが気になって仕方なかったんだな。あの子は妙に勘だけは鋭いからな――


 このか弱い……一見ひ弱そうな少女のどこにそんな強い意志が潜んでいたのか? キューピッドは不思議だった。自分の感情を全て抑え込んで納得させて死を直視しておきながら、まだこうやって学校に戻る事をあきらめずに勉強もしっかりと続けている。いや、それだけではなかった。こうやって受験勉強を続けることで彼に余計な心配をかけまいとしていた。


 彼女が掲示板に書き込んだ優しい彼はまだ彼女の余命が幾ばくも無いという事を知らないでいた。それは彼女が「このことは誰にも言わないでほしい」と医師にも家族にも懇願していたからだ。だから彼女が入院中も受験勉強をしている姿を見て彼は安心していられた。いや、彼もそれで安心しようとしていたのかもしれなかった。


 そうやって彼女は一人で全てを背負い込んで自分の人生と戦っていた。所詮人生とは自分の心との闘いかもしれない。彼女を見ているキューピッドはそんなことを考えていた。


「もう少し……いや……いずれ冥府の神ハーデースの使いが君の元に訪れるだろう。その時、君に苦しみではなく安らかな眠りが訪れる事を願っている」

とキューピッドは絞り出す様に彼女に言葉をかけた。今の彼に言える言葉とはこんなことぐらいしかなかった。


「そう。ハーデースというのね。私を迎えに来るのはその使いね」

彼女は表情も変えずにキューピッドの言葉を反芻した。


「あと残された時間は少ししかないかもしれないが、僕にできる事があるなら聞こう」

キューピッドはなるべく感情をこめないように気を付けながら彼女に聞いた。


「じゃあ、寿命を延ばしてくれる?」


「……それは無理だ……申し訳ない」


「それは残念ね。でも良いの。気にしないで……とりあえず言ってみただけだから」

彼女はキューピッドを責める様子もなく微笑んだ。


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