第33話夜の病室
夜の病室。
消灯時間は過ぎていたが、この部屋は個室だったので誰にも気兼ねせずに灯りがついていた。
一人の少女がベッドに備え付けられたテーブルに向かって座っていた。長い髪の高校生と思われる女の子だった。
病室に備え付けられている小さな棚には教科書や参考書が並べられていた。彼女はこの病室でも一生懸命勉強しているようだった。そう、彼女は死期も迫っていたが、受験も控えているようだった。
テーブルの上には赤いカバーのノートパソコン。彼女はマウスを操作しながらそのモニターを覗き込んでいた。そのマウスの横にはさっきまで広げられていたであろう英語の教科書と辞書が無造作に置かれていた。
モニターに映し出されていたのは麻美が作ったWEBサイトの掲示板だった。
彼女は自分が書いたコメントをボーと見ていた。心ここにあらずと言う風でもあったが、目はちゃんとコメントを追いかけていた。
そこには色々なコメントが書き込まれていた。
「諦めないで!」
書き込まれたコメントの中で一番多かったのがこのセリフだった。
勿論彼女も諦めたくはなかったが、余命いくばくもないこの命ではたとえ願いが叶ったとしてもそれは一時の幸せでしかなく、残された人の事を考えるとこれ以上この思いを募らせるのは罪悪のようにさえ思えていた。
「人の気持ちも知らないで……」
とは彼女は思わなかった。
本当なら諦めたくはない恋だった。未だに心の中では葛藤を続けている。
ベッドの上の彼女をキューピッドは部屋の入り口近くの壁にもたれて黙って見つめていた。
彼はどうやって声を掛けようか悩んでいたのだが、それ以上にこの状況の彼女に何を話して良いのかも分からなくなっていた。
ふと部屋の隅から視線を感じたその少女はモニターから顔を上げて病室の入り口に目をやった。そこにキューピッドの姿を認めると一瞬驚いた表情を見せたが、軽く呼吸を整えると
「もしかして死神?」
と静かに聞いた。
「何故、そう思ったの?」
キューピッドは表情も変えずに聞いた。
「だって人だという気配が全然しないから……」
「ふむ」
壁にもたれて立っていたキューピッドは、組んだ腕を
「死神か……昔……そんな事も言われた時代もあったな……」
と独り言のような小さな声で呟きながらベッドに近寄った。
「確かに人ではないが、死神でもないよ」
キューピッドは口元に軽く笑みを浮かべながらベッドの端に軽く腰を下ろした。
「じゃあ、悪魔?」
「いや、それも違う。つい最近も同じ事を誰かに言われたが、全く違う」
と少し強めの反論の意思を乗せた声で言った。
「じゃあ、あなたは誰?」
少女は恐れる様子もなく彼をまっすぐ見据えて聞いた。その姿を見てキューピッドも腹の座った女の子だなと感心していた。
「僕はキューピッド。愛を司る神だよ」
キューピッドは彼女の顔を見つめて無表情に言った。
「え? 嘘!」
少女は軽く驚きの声を上げた。この場で一番そぐわない言葉を聞いたような気がした。
「ご期待に沿えなくて申し訳ないが、嘘ではないよ」
キューピッドは彼女を見つめながら、「そうだ、僕が死神だ。君を迎えに来た」と言えた方がどれだけ楽な事だろうと思っていた。この場は愛の神様よりも死神の方が間違いなく似合う。
今、彼は自分自身に残された時間がほとんどないという事を知る彼女の前で「キューピッド」と名乗る愚かさを十二分に噛み締めていた。「今更、何をしに来た! 嫌味か!」なじられても仕方なかった。
――麻美の馬鹿め……だから僕はここに来たくなかったんだ――
キューピッドは心の中で麻美を恨んだ。
「そうなんだ……死神でも悪魔でもないんだ……」
少女はなじる代わりに小さく残念そうに呟いた。
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