第26話西野少尉

「島民は全員逃げたのか?」

とキューピッドは聞いた。


「ああ、うちの親分が『残って戦う』とか言っていた島民を全員追い払ったんだが、ここに一人だけ言う事を聞かずに残った奴が居たようだ」

そう言った兵士の頭の上を銃弾がかすめた。兵士はまた地面に頭をこすりつけるように伏せた。


「あんた、死ぬのは怖くないのか?」

キューピッドは兵士と同じように地面に伏せたまま聞いた。


「ああ? 正直に言うと、もうそんな感情も忘れたな。今は兎に角、自分に与えられた責務を全うするだけだ」

とその兵士は表情一つ変えずに答えた。


「そうか……」

キューピッドはこの兵士をじっと見た。


「あんた。国に残した家族がいるだろう。死んだらもう会えなくなるぞ」

キューピッドは兵士に話しかけた。


「ああ? 良く分かったな。だが、最後の別れはここに来る前に済ませてある。大丈夫だ」


 何が大丈夫なんだ? とキューピーは理解に苦しんだが、その兵士は既に覚悟を決めているようだった。

結局、キューピッドはターゲットのマイケル・トーマス中尉を発見したが、愛の弓を射る事は出来なかった。


 兵士はうつぶせの姿勢からゆっくりと仰向けに寝返った。


「俺たちは戦うための機械だ。だからここで死ぬのは覚悟している。しかし死ぬ時は地面を見て死ぬより、こうやって青空を見ながら死にたいな」

と呟いた。

爆炎の隙間から見える青空を見上げて兵士は言った。

キューピッドはかける言葉もなくそれを黙って聞いていた。


 仰向けで空を眺めていた兵士は

「でも、貴様、そのおもちゃのような弓で敵さんを射抜こうというのは、いくら何でもアメリカさんを舐め過ぎじゃないか? その気持ちは分からないでもないが……」

と笑いながら言った。


自分の愛用の弓をおもちゃ呼ばわりされてキューピッドは少し腹立たしかったが、それは聞き流した。


「僕はこの弓を長年愛用してきたんだ。だからこれで良い」

それでも声に微かな怒気が含まれたかもしれない。


「そうか。自慢の武器だったのか。それは失礼した」

兵士はそれを察して素直に謝った。そして自分の持っている小銃を空に向かって構えた。


「人の事は言えないな」

兵士はそう言うとその小銃をじっと見た。


「これだってお上から賜った自慢の小銃だが、アメリカさんの武器と来たら自動小銃だもんなあ……あれに比べたら豆鉄砲みたいなもんか……工業力がそもそも違う。子供が大人と喧嘩するようなもんだ」

と自嘲気味に言った。


「なんでそんなところと戦争をした?」

キューピッドも仰向けに寝転がって兵士に聞いた。


「さあ? そんな事はこの国のお偉いさんに聞いてくれ」

兵士はそう言うと仰向けからまたうつぶせに態勢を入れ替えた。


「西野少尉さんはお偉いさんではないのか?」

キューピッドは唐突に兵士を名前て呼んだ。


「あ?なんだ? 俺の事を知っていたのか? どこかで会っていたか?」

西野少尉と呼ばれた兵士は驚いたようにキューピッドの顔を見た。

キューピッドはそれには答えずに黙って笑った。


「まあ、いいか……もっとも俺は繰り上げ少尉だからな。間違ってもお偉いさんではない」


「繰り上げ少尉?」

キューピッドはいぶかし気に聞いた。


「ああ、学徒出陣で大学を追い出されて兵役に駆り出された口だよ」

と西野少尉はまた自嘲気味に言った。


「それより今なら大丈夫だ。奥の塹壕まで走るぞ」

そう言うと西野少尉は腰をかがめてジャングルの奥へキューピットを連れて逃げ込んだ。

爆音と銃声は鳴りやむことなく聞こえるが、今はこの辺りには砲撃が集中していないようだった。



 暫く走って草むらに隠れている塹壕に二人は飛び込んだ。

「ここなら、まだ大丈夫だろう……」


「他の兵士はどうした?」

キューピッドは少尉に聞いた。


「うちの小隊は直撃を喰らってほとんどが死んだ。残った奴らもほとんど動けなくなったので、坑道の中にいる。基本は偵察斥候が任務だが、この状況では全く機能していない」


「じゃあ、どうするんだ」


「夜になったら敵さんのところへ狩りに出かけるんだよ」

そう言うと少尉は銃を構えて撃つ真似をした。


「狙撃するのか?」


「そうだ。今は斥候よりもこっちの方が本職になってきたな。この頃、敵さんも警戒して二人一組で歩哨に立っているからな。反撃に気を付けないとこっちがやられる」

少尉はそう言うと続けて

「だから、夜まではここで待機だ。貴様は暗くなったらこのまま奥に逃げるんだ」

と言ってジャングルの奥を見つめた。


「それまでは?」


「寝てろ」


「敵は攻めてこないのか?」


「あいつらは艦砲射撃で根こそぎ焼き尽くした後でないと攻めて来ん。まあ、そろそろ自動小銃を持った奴らが出てくる時分だ。それは基地守備隊の奴らの獲物だ。援護射撃で撃って来る重火器は鬱陶しいのでこっちが側面から狙うがな……」

西野少尉はそう言うとおもむろに小銃を構えた。

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