第二章 潜降 物語る道の果ては2




 ゴルンとシュチャクがクタレ村を出てからすでに数日が経っていた。ところが次の村は一向に現れなかった。その日も村は見えず辺りはもう夕暮れに包まれ夜はすぐそこまで忍び寄っていた。


「はあー、村、ないね」


 シュチャクは溜息を吐いた。


「ああ、そうだな」


 ゴルンは至って冷静だった。


「あーあ、もう少しだけカールさんとこに泊まれば良かったな」


「おまえ、しつこいぞ? 昨日から三度目じゃないか、それを言うのは」


 長い草原の地帯を通り過ぎ、今、二人の周りには背の高い木がずらっと生い茂っていた。ハリキリと呼ばれている杉の一種だ。これのせいでより辺りは暗くなっていて不安が掻き立てられた。


 そんな時、二人は一本のハリキリ杉が道を塞ぐように倒れているのを見つけてしまった。


「やはりか。村はまだ遠いってことだな」


 女神の創った道を歩くということがこの世界の唯一の交通手段だった。その神聖な道が塞がれたまま放置されているということはこの辺りを通る人間が少ないということに他ならなかった。


「仕方ない、今日も野宿だな。その辺の落ちている枝を拾ってくれ。薪にするから」


 ゴルンたちは腰につけていた鉈を取り出し拾った枝を適当な長さに切断した。そして十分薪を集めると袋から取り出した紐でそれを結び、背中に担いで再び歩き出した。取り留めもない話をしながらどのくらい経っただろうか。ようやく視界が開けた。林が終わり今度は道の両端になだらかな赤い砂地が広がっていた。


「おっ、砂だ! 久し振りだなあ」


 シュチャクは思わず喜びの声を上げた。砂地は空に浮かぶこの世界ではとても珍しい地形だった。


「砂地があるってことはクァズラ石があるかもしれんな。後で探してみるか」


「クァズラ石? あの良く燃える石? あれって砂地で採れるの?」


「クァズラってのは空に浮かぶ馬鹿でかい生き物の名前なんだ。こういう砂地の赤い砂はクァズラが岩を食って栄養分を吸収した後に吐き出した残りかすなのさ。そしてそこにクァズラ石が混じっていることがある。燃えやすくて持続性もある便利な石だからな。ガラスや鉄を作る時にも使われるし、どこの村でも大喜びされるから探しておいて損はない」


 とりあえず二人は適当な所に荷物を下ろすと薪に火をつけ休んだ。クタレで貰った堅いパンを焼いているうちにシュチャクが溜息を吐いた。


「はあ、これで本当に最後だよ、食料」


「明日はきっと村に着くさ。それよりクァズラ石を探してみよう。俺はこっちを探してみるから、おまえはそっち探してみてくれ」


 手分けして探すことになりシュチャクは道を挟んで反対側の砂地に向かった。黒っぽいクァズラ石は赤い砂の上ではなかなか見つからなかった。そのためあっという間にシュチャクは飽きてしまった。ちらっと父の方を窺うとゴルンは下を向いたまま熱心に石を探し続けていた。


 シュチャクは石探しを父に任せてこっそりさぼることにした。父に気付かれないように時々様子を窺えばいいや、そう思った彼が顔を上げた、その時だった。


「語りの一族の者よ」


 後ろから語り掛けてきた者がいた。ひどく低い何かが軋むような耳障りな声。人間のものとは思えなかった。心臓を掴まれたような感覚と共にシュチャクは振り向いた。


 そこに立っていたのは異様な姿の者だった。背格好こそ普通の人間だが、ぱっと目に付くのはその皮膚の色だった。それは人とは思えない完全な灰色をしていたのだ。服は着ておらず、男性であることがわかる。よく見ると驚くことにそいつの体には同じ灰色をした大きな翼が生えていた。シュチャクはこんな生き物をこれまで見たことがなかった。


 シュチャクは驚き、悲鳴を上げようとした。しかしなぜかその悲鳴は喉を逆流したように音になることがなかった。それだけではなく体も指先一つ動かせなくなっていた。シュチャクはただ眼を見開き、それと対峙するしかなかった。


「女神に祝福されし語りの一族の者よ。我は『落ちる者』なり」


 落ちる者? 初めて聞く名だった。人間とは違う生命体なのか。


「落ちる者は女神に最初に創造された人間の末裔なり。そう、地上を創り忘れた女神が放り投げ奈落に落ちていった哀れな『最初の人間』の意志を継ぐものである」


 創世の話をシュチャクは思い出した。どこかに落ちていったという最初の人間。しかしその後を伝える物語など昔話に詳しいシュチャクでさえ全く聞いたことが無かった。


「さて語りの一族の少年よ。おまえはなぜ旅をする?」


 殴りでもされるのかと覚悟していたシュチャクは突然の問い掛けに驚いた。


「おまえたちは生まれてから死ぬまで旅をする。その意味とは何なのだ? 生きる意味を見つけるために生きる、そんなことを言う奴もいるが、それは虚言に過ぎない。死ぬ間際にそれがわかったとしてどうなる? 後悔しても一からやり直すことなど出来ないのに」


 ギシギシギシギシギシギシ……。軋むような声がうるさかった。


「そうだ、おまえの旅に意味など無いのだ」


 そう言われた瞬間、シュチャクは奇妙な感覚に襲われた。体はそのままなのに自分が縮んだような感じ、体と心の繋ぎ目がずれた、そんな気がした。それに伴い両足の先が急に冷たくなってきていた。依然として体を動かすことが出来ないため確認することは出来なかったがその原因はなんとなくわかった。


 たぶんこれが石化なのだ。


 自分という存在、精神が目に見えぬどこかの穴にすぽっと落ちかけているのをシュチャクは感じていた。


 その時だった。


「シュチャーーーク!」


 ゴルンの叫び声と駆け出す音がほぼ同時に聞こえてきた。そしてほぼ同時に落ちる者は崖に向かって走り出し跳んだ。砂地、そして断崖の向こうには何も無い。空が広がっているだけだ。しかしその名に反するように難なく空中に浮かんでみせた彼はゴルンに向かってにやっと笑うと翼をはためかせてそのままどこかに飛び去ってしまった。


「くっ……。おい、シュチャク、しっかりしろ! 今、心の傷を塞いでやるぞ」


 もう石化は腰の辺りまで進んでいた。それと共に意識がずるずると少しずつ見えない穴に落ちていくのをシュチャクは感じていた。しかし薄れる意識の中でも父が抱きかかえてくれたことに彼は気付いた。


 辺りの空気が変わる。ゴルンの第二の唇が物語を語り出した。


 小さな虫が動物たちを虐める化物を倒すため何度も何度も傷つきながら果てしない戦いを挑み、徐々に進化をして最後には鉄の体を手に入れ、ついに勝利を収めるという物語。


 無駄に思える繰り返しにも意味がある?


 それに気付いたシュチャクの中で何かが変わった。それと同時に胸まで進行していた石化が止まり意識もはっきりし始めた。父親の温もりを感じ、ゆっくりではあるがその体が元に戻っていった。


 シュチャクが完全に自由を取り戻すと疲れ果てた二人はそのままぺたりと地べたに座り込んだ。


 いつの間にか日は暮れて辺りは真っ暗だった。一息つくと二人はすっかり消えた焚き火を再開した。パチパチという焚き火の音だけが響き沈黙が暫く続いた。先に口を開いたのはシュチャクだった。


「……父さん、あの『落ちる者』って奴のこと知っていたの?」


「ああ、実は昔、あいつらと会ったことがある」


 そう言った後ゴルンは黙り込んだ。焚き火が照らす彼の表情は何かをためらっているように見えた。


「……ひょっとして母さんに関係あることなの?」


 父が沈黙する原因はいつも母の死と関係があるとシュチャクは前から気付いていた。


「ああ、そうだ。いよいよおまえに話さなきゃならん時が来たか」


 ゴルンはこれまで一度も語ることの無かった自らの半生を語り出した。




 話はシュチャクの祖父の代まで遡る。


 物心ついた時、ゴルンはすでに父と二人きりで旅をしていた。シュチャクもそうだったように、そのことを気にしたこともなかったし、父に問い詰めることも無かった。


 その時、現れたのが「落ちる者」だった。そいつはゴルンに母のことを問うた。


 おまえは自分の母のことを知っているのか、おまえの父は隠しているんだぞ、おまえの父はおまえの母を捨てたんだぞ、と。


 その瞬間、ゴルンの体は石化し始めた。落ちる者は逃げ、慌てて駆けつけたゴルンの父が第二の唇の力を使いゴルンは助かった。ゴルンは父に説明を求めた。


 父はまず落ちる者のことを語った。ゴルンは「落ちる者が他にもたくさんいて女神を憎み創世の時代から語りの一族と数え切れない争いをしてきたこと」を知った。語りの一族が話によって奇跡を起こすように、彼らは呪いの言葉によって人の心に無理やり傷をつけ、稀有なはずの石化という病を自在に引き起こすのだという。落ちる者の恐ろしさをゴルンは知った。


 それから父はゴルンが生まれたばかりの時のことを語り始めた。ゴルンには実は十五も離れた兄がいたという。ゴルンが生まれた時、その兄は歳の離れた弟の誕生を大層喜んでくれた。そんな兄を落ちる者が襲ったのだ。まだ第二の唇を持たず奇跡も起こせなかった彼はなすすべなく石像と化した。ゴルンの父が何度も奇跡の力を使ったが、一度完全に石化してしまった人間は語りの一族の力をもってしても元には戻らなかった。ゴルンの父と母は優しく賢い自慢の長男が石となった姿を見て悲しみに暮れた。


 時が経ち、ゴルンの父は立ち上がった。旅を再開しようとしたが一方で妻は立ち上がることができなかった。夫が語りの一族であることを責め、長男の石化を防げなかったことをなじった。ついには自分は旅を止め、この村にゴルンと共に残ると宣言した。しかし語りの一族には後継者がどうしても必要だった。ゴルンの父は泣き叫ぶ妻からゴルンを無理やり奪い去り、妻をそこに置き去りにして旅を続けたのであった。


 父の告白を聞きゴルンは衝撃を受けた。優しい父が母を捨てていた、仕方なかったことと聞いてもどこか父を見る眼が変わってしまった。悩み、考え、ついにゴルンは父にある思いを打ち明けた。


 母に会いに戻りたい、と。


 一方方向に旅を続ける語りの一族の掟からすれば絶対許されることではなかった。しかし父は何も言わず承諾してくれた。そして餞別だと言ってゴルンに第二の唇を与える儀式を行ってくれたのだ。「まだ十三のおまえにはちょっと早いが」、そう言って寂しそうに彼は笑った。ゴルンの心は揺れた。しかし自分の足の速さには自信があった。一目、母に会ったらすぐ戻って来て必ず追いついてみせる、そう父と約束して彼は別れた。


 父と別れて六年が経った頃、ゴルンは父に教えてもらった村らしき場所に辿り着いた。まだ見ぬ母に胸は高鳴ったが、彼は深呼吸して落ち着くと畑にいた男性に母のことを聞いてみた。何しろ二十年も昔の話だ。母が今でもこの村にいるとは限らない。むしろ辛い思い出のあるこの村から出て行ったと考える方が自然だ、そう思っていた。だが母の話をした瞬間、村人は驚きの表情を浮かべ、彼女がまだこの村にいることを教えてくれた。何か複雑な表情をしていたが、その場ではそれ以上何も言わなかった。


 不安を覚えながらもゴルンはその村人に案内され、ある家へ入った。そこにいたのは何かを抱く格好のまま、その何も無い空間に向かって「ゴルン、ゴルン」と呼びかけている白髪の老女だった。父に聞いていた実年齢よりはるかに老けた母に彼は泣きながらしがみ付いた。しかし母は何の反応もせず、ただ見えないものに呼びかけ続けるだけだった。ゴルンたちが去ってから彼女がずっとこんな感じであること、かわいそうに思った村人たちが交代で面倒を見ていることを聞いたゴルンは母とここに残らざるを得なかった。


 もちろんゴルンは心の傷を治す語りの一族の力を使ってみたが母を治すことは出来なかった。そこでゴルンは初めて「力は万能ではない」ということを知ったのだ。


 自分を認識しない母を世話する生活。それは二年に及び、結局母は見えない赤子のゴルンと共に死んでいった。母の葬儀を終えた彼は村人たちに深く礼をし全力で父の元へ帰った。出来る限り走り続け、途中途中のすでに顔見知りとなっていた人々に助けられて父を追った。


 そして四年後、ついに父がいるという村に辿り着いた。しかしそのことにゴルンは違和感を持った。その場所が別れた村からそれほど先に進んでいない地点だったからだ。健脚の父がそんなに遅いわけがない。胸騒ぎを覚えながらゴルンは父がいるという家に入った。


 そこにいたのは見たことの無い老人だった。痩せ衰えた体に真っ白な頭、ベッドの上で息も荒く寝たまま動けない様子の彼は弱々しいが確かに父の声でゴルンを呼んだ。


「良かった、間に合った。おまえ無しではたったのここまでしか歩けなかったよ」


 自嘲気味に力なく父は笑った。十二年振りに会う父の変わり果てた姿にゴルンは激しい後悔の涙を流した。しかし父はゆっくり横に首を振った。


「悔いることなどない。おまえはやるべきことをした。全ては運命だ」


 それが父の最期の言葉だった。


 父の葬儀も終え、ゴルンは一人ぼっちになった。


 母どころか、父も失ったのは自分の我儘のせいではなかったのか。


 自分を責め、それでも父の意思を継ぎ、ゴルンは前に進むしかなかった。


 辿り着いた村で話をし、新しい話を聞き、また次の村へ向かう。語りの一族の基本に帰り、ゴルンは旅を続けていった。しかし寂しさを忘れようとすればするほど虚しかった。


 父の死から数年後、ゴルンはある村が数名の路賊の襲撃にあったところに出くわした。隙をつかれ村長の娘が人質になったという。止める村人たちを振り切り、ゴルンはそこへ乗り込んでいった。そして唇の力を使い、見事に路賊たちを改心させ、娘を助けたのだ。村長は泣いて喜び大変感謝した。ゴルンは次の村へ急ぐつもりだったが、村長に引き止められ、一日が経ち、二日が経ち、いつの間にか日が過ぎていった。


 気が付けばその村に来て一年も経っていて、不思議と当然のようにゴルンと娘は結ばれた。そしてシュチャクが生まれたのだ。美しい妻に可愛い子供。手に入れた幸せに反比例するかのように彼は悩んだ。


 父から受け継いだ語りの一族の使命、それは大切なことだ。だが村長の大事な一人娘である妻が一緒に行ってくれるだろうか? もし拒絶されたら自分は父のような過ちを犯してしまうのではないか?


 悩むゴルンの様子がおかしいことに妻は気付いた。一人で悩まず打ち明けてください、そう言う妻にゴルンは自分の父のこと、母のこと、全てを話した。聞き終えた妻は優しく言った。それがあなたの使命であるなら、もうそれは私の使命でもある、と。二人はいつまでも抱き合った。


 次の日の朝、二人は村長にゴルンの使命について話をした。もちろん彼は猛烈に反対したが、娘の決意の強さを見て最後は旅立ちを許してくれた。


 旅立ちの日の朝、村の外れまで村長と数人の村人が見送りに来てくれた。最後の別れの握手をしようとした、その時だった。村の方から慌てた様子の男が走ってきた。改心したはずの路賊が村を襲っている、しかも無差別に村人を切りつけている、男は息を切らしながらそう話した。皆は急いで村に戻った。


 ゴルンたちがそこで見たものは血の海に倒れる村人と血走った眼で刃物を握る男の姿だった。確かにそれは以前見た覚えのある顔の男だった。


「貴様ら、なんてことを! 改心したと言っていたではないか!」


 そう言って村長が僅かに前に出た瞬間、家の陰から別の男が飛び出してきた。手には刃物。村長は倒れ込んだ。目の前の男に気を取られていたゴルンは一歩も動けず止めることが出来なかった。妻は悲鳴を上げ、彼女が抱いていたシュチャクも泣き出した。


「おまえらああ! 許さないぞおお!」


 湧き上がる怒りと共にゴルンの額の唇が開いた。しかしそこから聞こえてきたのはいつもの奇跡を起こす物語ではなく、地の底から響くような言葉にならない呪いの声だった。男たちはそれを聞くと苦しそうに胸を押さえて次々と倒れ込んだ。我に返ったゴルンは男たちの元へ駆け寄った。死んでいる。辛うじて息をしているのは一人だけだった。


「しっかりしろ! おまえら、なぜこんなことをした?」


「へ、変な灰色の化物が現れて仲間を石にしやがったんだ。言われた通りにすればおまえらだけは助けてやるって言われて……。怖かったんだ。す、すまな……」


 そう言うと男は息を引き取った。


「あーあ、とうとう人に危害を加えたな。おまえの力は」


 聞き覚えのある声。座っていたゴルンがはっとして顔を上げるとそこにはどこから現れたのか、落ちる者が立っていた。子供の時に自分を襲ったあの時と同じ顔だった。ゴルンは妻とシュチャクを守るように手を広げ二人の前に立ち塞がった。


「貴様がこいつらを!」


「こいつらを、何だって? やったのはおまえの方だろう?」


 落ちる者は冷たく言い放った。


「何でこんなことをしたんだ! 貴様のせいで俺はこいつらを……」


「おまえのせいだよ」


 ぎりり。何だ? どこかで捻れる音がしていた。


「おまえの父が死んだのもおまえのせい。村人たちが死んだのもおまえのせい。この路賊たちをやったのはもちろんおまえだ」


 ぎりりり。音は大きくなっていた。


「初めて見させてもらったぞ、語りの一族の呪いを。ひどいものだな、救いの力を破壊に使うとはなあ」


 ぎりりりりりりりいり!


 音を立て捻れているのが自分の心だとわかった時、どこかが砕ける感覚と共にゴルンは石化し始めた。心の穴が大きいためか、下半身が一瞬で石に変わってしまった。


 もう第二の唇の力も間に合わないだろう。頼れる父もいない。


 ゴルンが覚悟を決めた瞬間、妻が優しく抱き付いてきた。


「大丈夫、私に任せて。今まで黙っていたけれど、あなたが語りの一族であるように私も女神様に力を頂いた特殊な一族の末裔なの。その力を使えばきっと」


 そう言った彼女の体がうっすら光り出し、それと共になんとゴルンの石化は解け始めた。


「なんだと! そんな馬鹿な! 女、貴様、何者だ?」


 落ちる者は驚きの声を上げた。 


「私は身代わりの力の一族。一生に一度だけ、愛する人の身代わりになることが出来るの」


 ゴルンと入れ替わるように彼女はあっという間に石化し始めた。そして力を失った彼女は崩れ落ちた。すっかり元に戻ったゴルンはすぐさま彼女を抱き上げ憎しみの視線を落ちる者に送った。そいつは舌打ちしながら高々と舞い上がりどこかに消えた。


「ああ、なんてことを! 今、助けてやる!」


「駄目なの。引き受けた災いは二度と消すことが出来ない。恐らくあなたの力でも」


 瞬く間に首まで石化は進行していた。


「どうして、どうして俺なんかのために……」


 ゴルンは涙が止まらなかった。


「私の母は高熱を出し死に掛けた赤ん坊の私の身代わりになったの。だから私も……。これが私の使命なのよ。シュチャクにはあなたが必要だわ。きっとあの子もあなたのように悩む時が来るような気がする。その時あなたがいてあげて欲しいの。辛い経験をして自分を責め続けてきたあなたの存在が、きっとあの子に何かを教えてくれる。だから……」


 石化が口まで達するのと最後の言葉はほぼ同時だった。音にならなかった声。それでもその言葉ははっきりとゴルンに聞こえた。


「この子を頼みます」


 愛する人の石像を抱いたままゴルンは泣いた。傍らにいた赤ん坊のシュチャクも母の死がわかったかのように泣き続けた。




 父の話が終わると、シュチャクは放心したまま、焚き火を見つめた。落ち着きなく揺らぐ炎が今の自分の気持ちを表しているかのようだった。


「母さんのこと、今まで黙っていて悪かった」


 ゴルンは息子に頭を下げた。


「おまえを連れて旅を再開してこの十数年、今まで落ちる者は一度も現れなかった。まさか、また会うことになるとは」


 祖父と父、落ちる者との因縁の壮絶さにシュチャクは言葉が出なかった。自分がこれからそれに関係していくことが恐ろしくもあり、それでいて今一つ実感が湧かなかった。


「これからも落ちる者が何か仕掛けてくるかもしれん。気をつけて欲しい。だがな、おまえは絶対に私が守るから安心しろ。母さんとの約束だからな」


「……うん」


 気持ちの整理はなかなか付けられなかったが、父の思いは十分に伝わってきた。これまでだって尊敬してきた父。今まで言葉ではうまく説明出来なかったその理由のようなものがわかった気がした。やっぱりこの人が自分の目標なんだとシュチャクは改めて思った。


 バオオーン!


 突然つんざく様な声が聞こえた。驚いて二人は断崖の方へ振り返った。すると月明かりに照らされ巨大な丸くて黒い頭が下からぬっと現れた。体に似合わぬ小さな眼が光っている。体の脇にはこれまた巨体に似合わない小さな翼が生えていた。


「クァズラだ! 石じゃなく姿を見られるなんてこりゃすごい! かなり珍しいことだぞ!」


 ゴルンは興奮気味に、それでもクァズラに気付かれないように小さな声で囁いた。


 バオオオーン!


 ギザギザの歯が生えた大きな口を広げ、猛々しくもう一声叫ぶとクァズラは断崖の下へと消えていった。二人は呆気に取られ暫く立ち尽くした。


「あっ、父さん、あれ!」


 月明かりに何かが光った。それに気付いたシュチャクは赤い砂の上を指差した。二人で近くまで駆け寄ってみると握り飯ほどある黒光りした石が落ちていた。


 クァズラ石だ。


 ゴルンとシュチャクは先程までのことを忘れたかのように顔を見合わせ笑いあった。やがて笑い疲れると二人は焚き火を消し、久し振りにぴったり並んで眠りに就いたのだった。





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