第二章 潜降 交わるパラレル2
その日はウヒョットの番であった。
芸術好きでひどく飽き性の聖カンショネラ王タリラが小説を書いて出版すると宣言して早一ヶ月、王の側近であり実際の政治を執り行う補佐官ターイン、タンクァ、ウヒョットの三人は忙しい仕事の中、交代で王から呼び付けられ執筆途中の小説の感想を求められるという苦行を強いられていた。
「ふぅー、眼がチカチカするよ。まったく、今回はいつになったら飽きるのかね?」
相変わらず溜め息を吐きながらウヒョットは執務室に入ってきた。
「おい、お主、随分くまが濃くなったな。大丈夫か?」
そう言って彼を出迎えたのはターインだった。
「そう言うおまえこそさらに腹が膨れ上がっているではないか。ストレスで食い過ぎているのだろう? お互い、いつぽっくり逝ってもおかしくはないな。ところでタンクァは?」
「さあ、朝から姿が見えんが。最近よく出歩いているようだな」
「良からぬことでも考えておるのではないか? 我々の学友とはいえ奴は軍事国家イクサネールからの使者だからな。言い方を変えればスパイと言っても良い。大陸の内乱が終わって五百年。現在の元首十一代イクサネールはかなりの切れ者と聞く。何を企んでいても不思議ではなかろう。そしてタンクァはなんといってもその甥なのだからな」
「スパイなどと言ってしまえば私もお前も奴と同じような立場であろう。他国よりも故郷である自国を一番に考えるのは人の性だからな。怪しいのはお互い様だ。何も考えてないのはタリラ様くらいじゃよ」
「それはそうだ。我々もあのくらい呑気に生きてみたいものだなあ」
二人は笑った。しかしその眼はどちらも全く笑っていなかった。
「それでタリラ様の小説はどうなったのだ? 確か、この前、私が読まされた時は高等部一年の最後の話だった。現実のタリラ様は学年一の美少女サネリとの恋に終止符を打って、パラレルワールドの王女タリレは言い寄る男共をあの手この手であしらっていく。そんな展開だったかな? その後どうなったのだ?」
「お主、なんだかんだ言って続きが気になっているのではないか?」
「そ、それは別に話が面白いからではないぞ? 何しろ我々も登場人物として強制的に参加させられているわけだからな。それが事実通りなら文句は言わんさ。しかしサネリとのことにしても嘘ばかりだったろう? 美しい恋が終わったように描いていたが実際は別れる別れないで相当揉めていたじゃないか。振られたのもタリラ様の方だったし」
「そうだったな。まあ、出版されないように祈るだけだが仮に世に出てもパラレルワールドが出てくる時点で読む方も所詮フィクションだという認識を持つはずさ」
「そうだといいのだが。フィクションでも本気で信じる奴がいるからな。ああ、それで続きは?」
「ああ、高等部二年の話だった。タリラ様は新たに入学してきた一年生ポーラとの恋が始まり、タリレの方は男など見向きもせずにあちこちのクラブ活動に顔を出して超人的な活躍をしていく、そんな話になっていた。相変わらずの嘘ばかりさ。ポーラって娘は確かタリラ様が一方的に好きだったミンシュアの宝石王の娘だろう? 色々プレゼントしたが全く振り向いてはもらえなかったはずだ。宝石王の娘に安っぽい宝石を送ったと陰で学校中の笑い者にされていたではないか。本人は知らない話かもしれないが」
「いくらタリラ様が鈍いといってもあれだけ噂になっていれば気付いていたのではないか? 自分の半生を美化して書いておられるだけだろう。タリレの方の話もある意味現実逃避の表れだな」
「そうかもしれんな。思えばタリラ様が芸術に打ち込んでしまうのも全て現実逃避なのだろう。聖カンショネラのパレル家の者は産まれた時に人生を決められてしまう。聖カンショネラ自体、シーセンタ大陸三国の戦争を緩和するために作られた、いわば虚構の国だ。表面上は三国とも偉大な始祖カンショネラの子孫であるパレル家に敬意を示しているが、内心はどう利用してやろうかとそれしか考えていない。常に争い事のクッションに使われ、面倒事を押し付けられる。逃げたくなる気持ちもわかるよ」
「しかし最近のタリラ様は本来の仕事を放棄し過ぎではないか? 謁見の依頼も連続して断ってしまわれているし、いくら補佐官の我々が居るとは言っても王にしか出来ぬ仕事というのも間違い無くあるのだからな。今はまだ三国とも大目に見ている部分があるようだが、このままだと小さな不満が積み重なっていずれタリラ様の退陣論が出てくるかもしれん。そうなれば我々も自国に戻され、あっという間に左遷というわけだ」
「タリラ様の父上パトク様は名君だったからな。比べてしまえば粗が目立つのも仕方ない。少しずつ我々が諌めて行くしかなかろう」
「出来ればおかしな小説が出版される前に説得したいものだなあ」
二人は笑った。今度は心の底からの苦笑だった。
一方その頃タンクァは首都カンショネラシティでも指折りの高級レストランの一室である物を待っていた。もちろんそこは貸切りで部外者は立ち入り禁止になっており、入り口には数名のボディガードが睨みを効かせていた。
「失礼致します。お食事をお持ちしました」
シーセンタ大陸独特の色鮮やかな桃色の民族衣装を着た女性が食事を運んできた。護衛の男たちはまじまじと彼女の顔を確認した。この店の関係者のデータは全て彼らの頭に入っているのだ。確かに以前からこの店で働いている娘だった。入り口が開かれると難しい顔で真っすぐ前を向き腕組みをしていたタンクァがちらりと女を確認した。女は一礼して中に入った。彼女の押すワゴンには一般庶民が普段眼にしないような山海の珍味がずらりと並んでいたがタンクァは興味なさげに軽く一瞥しただけだった。
「お待たせいたしました。いつもありがとうございます」
「うむ。今日のお勧めは何かね?」
「はい、こちらの『鯛の焼き物、香草ソース掛け』などいかがでしょうか? シーセンタ大陸でしか採れない特別なハーブを使った逸品でございます」
「そうか。それではそれと他に何品か適当に頂こう」
「はい、かしこまりました」
女はてきぱきとテーブルに料理をセッティングした。五品ほど皿を並べ終えると深々と礼をして女はワゴンと共に部屋を出て行った。
タンクァのすぐ目の前には勧められた鯛の料理があった。彼はナイフとフォークを手にした。ところがナイフを入れることはせず、ちらっと入り口に目をやるとフォークで魚を探るように軽く押し始めた。身の中央から少し左側に目当てのものがあった。タンクァはもう一度入り口を用心深く確認しフォークで抉るようにそれを取り出した。それはプラスチックで出来た小さな筒だった。彼はそれを素早くポケットに仕舞った。
城に戻ったタンクァは自室に向かおうと廊下を歩いていた。
「どこに行っていたんだ? タンクァ」
後ろから呼び止める者がいた。振り向かずともそれがいま最も会いたくない人間だとわかった。表情を変えないように気を付けながら彼は振り向いた。
「城の料理にも飽きたのでちょっと外に食事にな」
タンクァがそう言うとウヒョットはニヤッと笑った。
「ほお、わざわざ外にか。そんなに美味い店なら今度連れていってもらいたいものだな。私もこの城のコックが作るタリラ様好みの薄い味付けには飽きてきていたところでね」
「ああ、いいぞ。それではわしは少し自室で仕事をするから何か用がある時は呼んでくれ」
「承知した。ではまた後でな」
去っていくウヒョットの背中を見ながらタンクァは思った。
奴め、きっと護衛たちに尋問しに行ったに違いない。金を握らせ「外出中タンクァは誰かと会わなかったか?」と聞く気だろう。ひょっとしたらあの店のことも調べられるかもしれないが、まあ、心配は要らない。あの店は自分が補佐官になるずっと前からこのカンショネラシティに存在している歴史あるレストランだ。あの女性店員も祖父母の代からこの街に住んでいる。どんなに調査されようとイクサネールとの関係性はどこにも見つけられないだろう。わしの勝ちだ。
これこそが数百年掛けてイクサネールが作り上げてきた完璧な諜報員のネットワークだった。
諜報員としてイクサネールからカンショネラに送り込まれた人間は最初全く諜報活動らしいことをしないのだ。その場所で普通の仕事を見つけ普通の結婚をして子を作る。それこそが最初の使命だった。
本当の使命、それはなんと、いつ命令が来るかわからない諜報活動の役目を語り継ぎ次世代に託していくということだった。つまりイクサネールとの関係がわからないほど代を重ねた子孫がある日突然顔も知らない仲間から任務を言い渡され実際の任務に当たるというわけだ。
実際あの女性店員も初めて店に来た初老の男からタンクァの料理にプラスチックの筒を仕込むよう命じられただけで、その中身が何なのかも、それがどれだけの人間の手を渡ってきた物なのかも知らなかった。
自室に入るとタンクァは椅子に腰掛けポケットから例の筒を取り出した。指で摘まんで左右に引っ張ると微かにすぽっと音がしてそれは二つに分裂した。中には一枚の小さな紙が入っていた。
16031868……、ん、こ、これは……。
長い長い数字の羅列。しかしそれを見てタンクァの体は自然と震え出した。頭の中にある暗号表を元に解読した結果、ついに来るべき時が来たのを知ったからだった。
話は一年前に遡る。タンクァは体調を崩し検査入院した。しかしそれはある目的のために捏造されたものだった。本国から派遣される時に隠し持つように言われた小さな錠剤。それを飲むように指示を受けた彼は僅かに躊躇ったがそれを飲んだ。数分後襲われた吐き気と異常な発汗。倒れた彼はすぐに国立病院に運ばれた。
医師が応急処置を施し症状は収まったが「念の為に入院するように」とタンクァは言われてしまった。薬のことはバレなかったのだろうか、そんな疑問が浮かんだが、どうすることも出来なかった。
これからどうなるのだろう、そう思いながらタンクァが溜息を吐いていると突然ドアが開いた。
「少しお話があります。タンクァ様」
それは主治医だった。四十代くらい、眼鏡で痩せ型の男。間違いなく先程まで治療を施してくれた彼だった。ところがその表情は明らかに先程とは違っていた。笑顔が消えた彼は素人とは思えない鋭い眼差しをこちらに向けていたのだ。タンクァは瞬時に悟った。
「まさか、君が今回の『鳩』なのかね?」
そう、「鳩」とは「伝令役のスパイ」を表す隠語だった。
聖カンショネラ国立病院の医師がイクサネールのスパイを勤めているとはさすがのタンクァも驚いた。国の代表として来ているはずの彼でさえ諜報員たちの詳細な身分については知らされていなかったのだ。
「この病室は防音対策が施された特別室ですのでご心配無く。護衛の方々にも『ご本人の病気についてプライベートな話をする』と言ってありますから入っては来ないでしょう」
「うむ、それにしてもいったい何事だね? あんな危ない薬を使わせてまで君とわしを引き会わせる必要があったということは余程のことだろう?」
「話し合いの結果、本国は思い切った策に打って出ることにしたのです。本来聖カンショネラ王はシーセンタ大陸の象徴としてイクサネール、ミンシュア、スパイド三国の間にある緊張緩和、問題の調整に当たらなければならない。しかし現王タリラは政治に疎く公務を嫌い趣味事に耽っている。肝心の外交も疎かだ。そのため最近三国の関係が少しずつ悪くなってきている。残念だが彼は愚王だと呼ばざるを得ない」
「それは補佐官としてわしの責任でもある。申し訳なく思っている」
「タンクァ様はよくやっておられます。ウヒョット殿もターイン殿も同じく苦労されている。それは我が国だけではなく他国も知っていること。問題はタリラなのです」
「ま、まさか、本国は良からぬことを考えているということか? 未婚のタリラ様には子が無いのだぞ? 後継者のいない王が急に消えればそれこそ余計に混乱するだけではないか」
「もちろん本国もそのことは考えています。タリラは前王の一人子ですから後継問題が起きるのは必至です。それが長期化すれば今以上に深刻な事態になる。だから能なしだろうとタリラにはまだもう少しだけいてもらわなければ困る」
「矛盾している。どうするつもりなのだ? まさかタリラ様が良き王になるように洗脳でもするのかね?」
タンクァは皮肉を言ったつもりだった。しかし医師は全く笑わなかった。
「さすがはタンクァ様、鋭いですな。本国と似たような考え方をなさる。そう、聖カンショネラ王タリラにはイクサネールにとって都合の良い存在になってもらうつもりです」
「な、なんだと! そんなことが出来るわけがない。一国の王を洗脳など……」
「洗脳とは言っていません。すげ替えです」
「すげ替え? そ、それはつまり……」
「影武者を立てるのです。その後で本物のタリラにはご退場頂くというわけです」
「か、影武者だと! そんな都合の良いものが易々と用意出来るわけなかろう?」
「そうでもありませんよ。私がこの病院の医師になれたのはなぜだと思いますか?」
タンクァの背中に嫌な寒気が走った。彼の笑顔が恐ろしかった。
「ここの医師として赴任してくるはずだった男はもうこの世にはいないのです。代わりにその男にたまたま似ていたイクサネールの男が神憑った整形手術を施され影武者としての教育を受けて彼に成り代わったのです。いつ本国から来るかもわからぬ密命を待つためだけにね」
「……そこまでやるのか、我が祖国は」
「それが政治というものです。自分の国が有利になるためには手段を選んでなどいられない。形式だけとは言っても聖カンショネラ王は三国を取り纏める存在。それを意のままに出来ればこれほど素晴らしいことはない。ミンシュアでもスパイドでも似たようなことは考えていますよ。早い者勝ちというだけなのです。今はまだ計画段階ですが、そのうち本国から連絡が来ます。影武者は姿を似せることは出来ても細かい仕草などはそれ相応の訓練が必要だ。そのためにはタリラを学生時代から知っているあなたの助言が不可欠なのです」
「わしに影武者の指導役を務めろと? わしはタリラ様の補佐官だ。そう度々本国には帰れんぞ?」
「影武者の方をここに入国させます。あなたを動かすより手間が掛からない」
「し、しかしそんなにうまくいくとは思えない。本国と直接相談させてくれ!」
「……タンクァ様、ひょっとしてタリラに同情しているのですか? まさか、イクサネール本国の利益よりもくだらない友情を取るおつもりで?」
医師の目は有無を言わさず冷たかった。タンクァはぐっと唇を噛んだ。
「そんなことはない。本国のためなら何でもする覚悟は持っておる」
派遣補佐官などと言ってもイクサネール本国からすれば自分などいくらでも代わりのいる手駒に過ぎない。自分の立場がわかっているタンクァには反論など許されなかった。
イクサネール本国からの密書をレストランで受け取ってから三ヶ月後タンクァは再びあの同じ店にいた。
同じ部屋でいつも通りの料理を食べてもその日に限って味は全くしなかった。時間ばかりが気になったが護衛たちに怪しまれないように時計を見るのを出来るだけ我慢せざるを得なかった。食事を終えると彼はようやくちらっと時計を見た。時間だ。
タンクァは密かに溜息を吐き、静かに立ち上がると部屋の入り口へと向かった。彼を見たボディガードのリーダーが僅かに表情を変えた。
「いつもよりお早いですね。もうお帰りでございますか、タンクァ様」
「うむ。ああ、帰る前にちょっと手洗いに寄って行く」
そう言ってタンクァは店のトイレへと向かった。当然黒服のボディガードたちもすぐ側に付いてきた。
タンクァが入る前に黒服の一人が中に入り不審者が潜んでいないか確認を始めた。全てのドアを開けチェックをして十秒ほどで出てきた男は入り口で待っていたタンクァに軽く頷いて合図を送った。
タンクァはゆっくり中へ入っていき一番手前の個室のドアを開けた。そして扉を閉め、また小さく溜息を吐いた。意を決した彼は壁を指で軽く四度叩いた。それが前もって連絡されていた合図だった。数秒の間があり開かないはずのトイレの壁が音もなくスライドした。小さな小窓。こちらを見つめる不安そうなその顔を見たタンクァは思わず息を飲んだ。
まさか、ここまで似ているとは……。
目の前にはタリラと外見上全く変わらない人間がいた。この至近距離で見ても全く見分けがつかないと言っても良い。実物の顔を見た上で違和感があれば報告するように、と連絡を受けていたが、その必要は無さそうだった。これなら次の段階にすぐ進めるだろう。再びタンクァが偽装入院し、その間に病院で影武者に教育を施すという計画だった。
いよいよ戻れなくなったなとタンクァが覚悟を決めた、その時だった。
「あの、私は合格なのでしょうか?」
外には聞こえないように配慮した小さな声だった。
おや?
その声を聞いた瞬間、タンクァはそれまで覚えなかった違和感を持った。おかしい。顔が似ているためか、声の高さもタリラに近いし、充分合格点だと思えるくらい似ている声なのに。
自分の感じた違和感の正体を探るためにもう一度彼は影武者候補をじっと観察した。すると候補者はポッと顔を赤らめ僅かに目をそらした。
その仕草を見た瞬間、タンクァは悟った。自分が感じていた違和感が何だったのかを。
な、なんということだ! 何かの手違いなのか? ありえない!
タンクァはトイレで頭を抱えて思い切り叫びたい気分に襲われた。
タリラの影武者候補として目の前に立っている人物、それは女性だった。
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