第96話急報
最初から、建物が見えている。
その違和感が、不安感となり、嫌な予感となるのにそう時間はかからなかった。
「あれ? あっ、そうか! ケンさんがいるもんね。こんなことまでわかっちゃうんだ」
精霊を感知できないルキは、この状況をいいように解釈して足を進めていた。リナアスティもその横について歩いていく。今日一日で、二人はすっかり仲のいい姉妹のようになっていた。
「ルキ! リナアスティも、ちょっとまって!」
前を歩くルキとリナアスティを制止し、建物の内部まで意識を伸ばす。
そう出来ることが、すでにこの場所が以前の場所でない証明だった。
今ここには、ブラウニーもシルキーもいなかった。
それどころかこの中庭には、私たち以外に
あれほどあふれていた精霊力も、今では自然のままで落ち着いている。この事が何を意味するのか、それはもう明らかだった。
探りを入れた建物の中には、特別警戒すべき気配はなかった。すでに、脅威は去ったという事だろうか?
でも、かすかに違和感がある。
それがいったい何を告げているのだろう? でも、今ここでいくら考えても、探っても、その答えは見つからなかった。
入ってみるしかない。何があったか、どうなっているか。直接探るしかない。
「たぶん大丈夫だと思うけど、ルキ、一応警戒しておいて。リナアスティも何か感じたら教えて」
二人はきょとんとした顔で振り返っていた。
ここには今、敵意をもったものは存在しない。おかしな気配も感じない。でも、精霊力が自然な状態になっている事、シルキーもブラウニーもいない事には必ず理由がある。
説明しようがない……。いや、今の時点では説明したくなかった。
もしかして、ほんの小さな希望として、全員で引っ越したということもあるのかもしれない。
ただ、二人共私の顔から、何かを察してくれたようだった。
「入ろう……」
「――ねえ……」
二人の間を抜き去り際にそう声をかけ、入り口に進もうとした私の服を、ルキは小さくつまんできた。
俯いたその顔に、どんな表情を浮かべているのかはわからない。でも、立て続けに人の死を、特に知り合ったばかりの人の死を受け入れたくはないのだろう。
「うん……。でも、どうなっているのかちゃんと見ないと……。それに、もし本当にそうなら、犯人をみつけないとね」
我ながら不思議な感覚だった。
人の死に対して、慣れてきたという事だろうか……。この世界に転生してから、そういう部分がだんだん希薄になっているのは自覚している。
それどころか、人を殺しても何とも思わなくなっている。
多分、ルキはその手で人を殺めた経験はない。
だから、人に死に対してはやはり思う所があるのだろう。それは大切な部分だと思うけど、この世界では優しすぎる感覚だとも思う。
でも、それでもいい。
人同士で殺し合う必要があるなら、それは私がやればいいことだ。
勇者だからこそ、そういう部分を背負う事が出来る。
誰も死なない世界なんてない。でも、誰も殺さない世界はあってもいいと思う。
今のこの世界で、それは甘い理想なのかもしれない。
でも、そんなことを言う者が、一人くらい居てもいいんじゃないか?
だから、受け入れられないのなら、無理してみる必要はない。
「ルキ――」
「そうよね、そうだよね。目を背けちゃいけないね。今、あたしがここにいるんだから!」
ただ、ルキは違う決断をしたようだった。
つまんだ指をそっと離し、両手を胸の前で打ち付けている。
本当に、ルキにはたびたび驚かされる。
「…………。じゃあ、入ろう。たぶん大丈夫だと思うけど、みんな一応警戒しておいて」
今の状況を理解しているのだろう。
精霊たちは悲しげな表情を浮かべたまま、周囲を警戒してくれていた。
*
建物の中に入り、その姿を見た時、私は何も言う事が出来なかった。
そこには、椅子に腰かけたままのディーナさんが、静かに眠っていた。
机には、飲みかけなのか、グラスに半分だけ水が注いであった。
部屋は様々なものが壊れていた。でも、乱雑に荒らしたわけじゃない。ただ一瞬で、全てを正確に破壊した感じだった。
部屋の四隅におかれていた水晶球は、水が込められていたようで、壊れた時に床を水で濡らしたような跡があった。
その中で、ディーナさんの周りだけは、最初に会った時のままだった。ただ、ディーナさんの足元だけは、血で赤黒く染められていた。
まるで、そこだけが別世界。
血の跡がそう思わせるのではない。むしろ、印象としては逆のイメージだろう。
たとえそれがあっても、ディーナさんの周りだけが全く違う空間になっているように感じられた。
そう、まるで春の長閑な午後の木陰を思わせる。
そこでアルバムを見ながら、遠い昔に思いをはせていたかのようにみえる。いつの間にかやってきた
それほど、ディーナさんの顔は穏やかだった。
とても満足している。
その顔はそう物語っていた。
どうみても、その顔は笑顔なのに、ディーナさんの胸には、深々と短剣が刺さっている。
場違いで不似合いな短剣……。
にこやかなディーナさんの顔を見る度に、おぞましい短剣を見てしまう。嫌悪感をもたらす短剣を見る度に、穏やかなディーナさんの顔を見てしまう。
その繰り返しだった。
苦痛もなく、とても晴れやかな笑顔にもかかわらず、その胸に刺さっている短剣は、とても痛々しい。
「ディーナさん……。どうして……」
私の後ろから顔をのぞかしたルキが、手を口元に当てて言葉を失っていた。リナアスティも黙ってその顔を見つめている。
「ここで何かが起きた。でも、ディーナさんは満足していたということかもしれないね。でも、詳しくは分からなかった……」
一体何があったんだ?
部屋のいたるところにおいてあった水晶球や記録用魔道具は、すべて破壊されている。それ以外の物も、破壊されているものの、目立って破壊されているものは、記録している物のように思える。
「ヴェルド君、これ……」
「ああ、間違いなく『賢者の水晶球』だよ」
こんな状況じゃなかったら、本当に叫びながら、走って逃げたいところだ。
でも、今はそんな状況じゃない。個人的なあれが流失したのは非常に気になる。
でも……。
それ以上に気になること、気にしなければならないことがある。
どの段階で破壊された? この場所の色んな状況を考えると、まだ一日もたっていないように思われる。
でも、警察の鑑識じゃないんだ。そんなことが分かるはずがない。
どうなるんだ?
この国にある『賢者の水晶球』こと情報屋のケンさんは、エマをしっかり記録していただろう。その情報屋のケンさんが壊されたということは、蓄えていた情報が一気に拡散したことを意味している。
本当にどこまで、何が広まった? 壊されたのは、どのタイミングだ?
エマを倒したのは、間違いなくガドラだ。そこが記録されていたなら、この世界中にガドラのことが広まっていることになる。
まして、そこが記録されていたとすると、サファリを倒したのもガドラということになりかねない。
多分、私の姿は早すぎてとらえきれないだろう。それに、私の性質も相まって、はっきり映らないと思う。
この情報が、今後この世界にどう影響するのかわからない。ひょっとすると、
一体どうなるんだ? これから……。
私の不安をよそに、ディーナさんの顔は、どこまでも笑顔だった……。
その時、私の頭の中に、怒りの声がこだました。
「ヴェルドよ、村にはついたが、ちょっとおかしなことになっておるぞ……。おい、やめんか! ええい! 鬱陶しい 離れろ! ヴェルドよ! この者の話を聞いてやれ! そなたの頼みがなくば、今すぐ、この頭を砕いてやるものを! それとも軽く雷でも落としてくれようか!」
「あんみつ! 姉さんが! ドルシール姉さんが! おい! あんみつ! 聞いてるのか! あんみつ! 銀竜! 本当に、あんみつと話せてるのか! まさか、はったりか? おい! 銀竜! 俺に話をさせろ! おい! メンろく! いいかげんにしやぁぁぁがぁぁぁ――」
メナアスティとの話から、急にガドラに切り替わっていた。
念話をどうすればそう使えるのか、後で聞いておこう。覚えておくと、いろいろ便利かもしれない。一種の携帯電話みたいに使えるだろう。
それにしても、言いたい放題だったガドラの声は、本気であきれるほど混乱していた。
ガドラにしては、その慌てぶりは尋常じゃない。でも、あれから何も言ってこない。一瞬ものすごい音が聞こえたと思ったら、急に静かになっていた。
「メナアスティ? まさかとは思うけど……」
「ふむ、不幸な事故じゃな。この者に偶然、雷が落ちたようじゃ。いや、偶然とは本当に恐ろしいものじゃな。なに、心配はいらん。こんがり焼けておるだけじゃ。ここに司祭がおるようなので、手当てしてもらうとするぞ。ただ、この者の言うことは捨て置くとしても、この村は異常じゃ。速やかにこっちに来ることを勧めておく。我とそなたの結びつきを利用すれば、造作もなかろう?」
雷が落ちたって……。落としたの間違いだろう……?
でも、今はその事を深く考えるのはよしておこう。とりあえず、ガドラは竜の逆鱗に触れたという事でいいか。
しかし、あれほどまでにガドラが狼狽するとは、ドルシールの身に、よほどのことが起きたに違いない。
「ルキ、リナアスティ。飛ぶよ、こっちに来て」
何か手がかりがないものかと、ルキは必死になって現場を捜索していたようだった。リナアスティもそれを手伝っている。
「なに? どうしたの?」
「村で何かがあったらしい。ガドラがひどく狼狽えていることを考えると、ドルシールに何かあったのだろう。それに、メナアスティが気になることを言っている。戻るよ、
多分この場所には、これ以上手がかりになりそうなものは残っていないだろう。
それに、ディーナさんの笑顔を考えると、満足して旅立ったと思われる。
そうなると、全く見ず知らずの者が、理由もなしに襲ったとは考えにくい。
そもそも、シルキーとブラウニーがそんなものを容易に入れるとは考えにくい。
多分、ディーナさんは誰かと会う約束をしていた。もしくは、旧知の誰かが訪ねてきたという所だろう。
争った形跡がないから、招いた可能性が一番高い。
ただ、ディーナさんの力を上回る誰かが無理やり入ってきたことも考えられるか……。
でも、旧知の誰かだとすると、シルキーやブラウニーがいないことは説明がつかない。あの精霊たちは基本的に家にいる精霊だ。たとえディーナさんがいなくなったとしても、家から離れずに、しばらくこの建物と共にあるはずだ。
そうなると、おそらく後者だろう。
だけど、全く知らない仲ということは、ディーナさんの顔からは考えにくい。
そして、ディーナさんのことだ。
これから自分の身に何が起きるかも、予想していた可能性も考慮するべきだろう。
もし、そうだとすると……。
きっと何かは残しているはず。それは、多分ごくありふれた何か……。しかも、他の人には容易に見つからない何か……。
この部屋にある違和感……。
それは、ディーナさんの目の前にあった。
だとすると、これはここでなくてもいける。
「よし、行こう!」
「汝の思うままに」
ルキとリナアスティを両脇に抱えて、
一瞬で、懐かしい村にたどり着いたと思ったけど、そこは見慣れない光景だった。
私達が今眼にしている村。
それは、荒れ果て、焼けた跡の残る家が点在する村だった。
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