第93話心の届く意志の刃

鮮血がルキを赤く染めていき、絶叫が部屋を埋め尽くしていく。


体と心が、予期せぬ痛みに驚愕の悲鳴を上げていた。

でも、それらすべてのことが、まだどこか遠くのことのように感じていた。


まだだ。まだ、完全に体を掌握できたわけじゃない。

それでも、私は確信していた。たぶん私なら、そうするだろう。


今支配している私が、尾花おばなの力を引き出すとき、同時に桔梗キキョウの力を解放する。


「あら、あら、あらぁ。瀕死みたいねぇ」

尾花おばなの持つ、活力を最大限に発揮させる。すでに【治癒力強化】は働いている。

おそらく刀を引き抜けば、傷は一瞬のうちに治るだろう。でも、刺さったままでは働かない。

だから、尾花おばなの力を必要となる。

でも、それは私もそうだった。私の中にある私に、私自身が勝つために。


「我の司るは愛と誠実。愛の力をもってすれば、我に切れぬものなどない。しかも、姉上の力も借りうけたのだ、そなたの心に愛と誠実を!」

桔梗キキョウの持つ誠実さは、尾花おばなの力に導かれ、心の奥まで届いてくる。


その瞬間、桔梗キキョウの力が私を包むあらゆる戒めを切り刻んでいた。

どこか遠くに感じていた自分の体に、すっぽりと収まったような感覚がやってきた。


私を包むものが無くなったことにより、私は私を取り戻せた。


「ふむ、どうやら何とかなりそうだな、一時はどうなることかとヒヤヒヤしたぞ」

咲夜さくやをとても近くに感じる。


ありがとう、咲夜さくや

あの暗闇の中、懸命に呼びかけてくれていた君の声に救われた。


「一応記録してますわ。でも、みませんよね? あと、何か大切なものを忘れている気がするのですが……。うーん。わかります?」

相変わらず泉華せんかは全てを記録してくれているようだった。


いつもなら、微妙な気持ちになるそれは、今はとてもありがたかった。


私自身意識してないとはいえ、それは言い訳にしかならない。私の意識していない所で、私がした事もすべて、私が知らないでどうする。


ただ、それは今じゃない。それは後でもいい。今はやるべきことがある。


今はあの子たちの方が心配だ。


刀を引き抜き、鞘に納め、飛び立とうとした瞬間、私の前に精霊たちが集まっていた。


「もう、こんな危ない橋を渡るなんて……。これで最後だよ。ヴェルド君」

優育ひなりが頬を膨らませて文句を言う姿は、めったにお目にかからない。


こんな時だけど、少しそう思ってしまった。頭の上では氷華ひょうかが巨大な氷をのせている。

多分、頭を冷やせと言いたのだろう。でも、ペチペチと叩く感触はとても暖かかった。


「まったくだ。あきれて物も言えん」

鈴音すずねが額に手刀を入れてきた。


「この俺を倒すとは、さすがだな」

紅炎かれんは腕組みしたままで、その隣で睨んでいる。


「ほんまに、色々と反省してもらわんとアカンわ!」

美雷みらいの後ろ姿は、いつものように少し離れたところにあった。


「ごめんよ、みんな。本当に、ごめん……。ごめん……。それと皆、大丈夫かい?」

全員が傷つき、倒れた。

それは紛れもなく私がしたことだ。


「ふっ、こんな傷。たいしたことない。お前とのつながりがある分、じきに癒えるだろう」

満身創痍の様子ながら、紅炎かれんは全く動じていなかった。


「そうだね。尾花おばなの活力が、ボクたちの方まで流れてくるから心配ないよ。それより、ヴェルド君は自分の心配をした方がいいと思うな。いい機会だから、ここは譲るとするよ。ボクたちは後で全員そろってからでいいかな」

いつもの様子を見せてくれる優育ひなりの声が、少し苦笑交じりに聞こえたのは気のせいか?


でも、優育ひなりが道を開けるように横に移動した瞬間、それは気のせいではないことがよくわかった。


私の目の前で、拳を震わす、文字通り真っ赤に染まったルキの顔があった。


「あっ」

時すでに遅し。


謝ろうとした頭の中に、一瞬その文字が浮かんできた。まさしくそのことを証明するかのように、私の左の頬はルキの平手に打ち払われていた。


「いや、本当にごめ――」

「君はいつもそう! 何でもそうやって、説明なしに! ちょっとは周りの心配も考えてよ!」

半分涙目になりながら、いつもの雰囲気じゃないルキがいた。


「言ったよね! あたしに嘘はつかないって! 言ったよね! 銀竜に! 『私の知っている人を守る』って! だったら! だったら! ちゃんと自分のことを大切にしてよ! 死んじゃったら、守れないよ! 君が犠牲になった世界で! 誰が喜べると思うのよ! 救われないよ、それじゃあ! 守れてないよ! それじゃあ! もう嫌なの! もう十分なの! 誰かが誰かの犠牲になるなんて! そんなの守ってることにならない! 君が皆を守りたいのなら、自分もちゃんと守ってよ!」

ルキの涙が、私の中で何かの扉を開けていた。


その瞬間、自分でもわからないけど、目の前のルキを抱きしめていた。


「ごめん、ルキ」

私の腕の中で、一瞬固まったルキ。そのまま押し戻そうとした腕をそのままにして、私に体を預けてきた。


そうだった……。ルキの母親は……。銀竜は……。


「せっかくの所申し訳ないが、これがうるさくてかなわんのだ、そろそろ落としていいだろうか?」

銀竜の思念ともいえる声が聞こえてきた瞬間、目の前に映像が映し出された。


銀竜の右手で動けないように固定されているガドラは、それでも何とか逃れようとあがいていた。


沈黙の魔法はまだ生きているようで、声は出ていないようだった。

それでも、銀竜にうるさいと言わせるガドラは、よほど暴れているのだろう。


『銀竜! 男と男の勝負だ! いい加減、離しやがれ!』

ガドラの口はそう言っていた。


一体誰と戦うのやら……。


でも、元気そうで何よりだった。多分望み通り落としても、ガドラは無事に違いない。


「銀竜、そいつも守る対象なんだ。子供たちの所におろしてあげてくれないか? その時、ちょっとだけ、お辞儀をしてくれたらうれしいよ。場所は春陽はるひが教えてくれるよ。王都の方から、光で導いてくれると思う」

春陽はるひ、迎えをよろしく!」

同時に春陽はるひに思念を飛ばす。なんだか、以前よりもすんなり通じた感じがあった。


「わかったよ、ヴェルド。お疲れ様。でも、後で言いたいことがいっぱいあるからね!」

春陽はるひの声は、かなり不機嫌だった。


「承知した。我だけは思念体で向かうとしよう。そなたにはしっかりと、礼を言わねばならん」

銀竜がそう言った瞬間、目の前には銀竜親子があの時の姿で現れていた。ただ、銀竜の子だけは、実体でここに来ているようだった。


「いいかげん、離れなさいよね!」

信じられない力で私を突き飛ばすルキの背後には、六人の精霊の姿があった。


そして私の頭は、さっきよりも重い氷華ひょうかの氷がしっかりと据えられていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る