第94話我が名を呼べ、勇者よ

血だらけの部屋ではいい気分はしない。


ルキの提案もあったので、私達はそのまま部屋を後にした。全部の部屋を見て回っていたので、おおよその部屋の様子が分かっていたのが幸いだった。

簡素な応接室のような部屋に移動して、私達は改めて銀竜親子と向き合っていた。


「ふむ、色々言いたいこともあるが、まずは礼を言おう。勇者ヴェルド。我が願いを叶えるだけでなく、我をも救うとはな。改めて礼を言う。そなたには感謝しておる。勇者ヴェルドよ、そなたの名はわが魂に刻み付けた。それほどに感謝しておる。我に突きたてられたシレーヌの短剣は、我の精神をかなり蝕んでおった。あの時、我は飲み込まれる寸前であった。我が我でなくなる。その後は、エマの思うままになっておったであろうな。外部からの精神攻撃であったなら、銀竜としての誇りにかけて、あのような失態はしないと断言できる。だが、あれは別物だ。我が精神の中にあるものを、無理やり引きだしてきおった。言わば我同士の争いになる。しかし、エマにつかまったままの我では……。正直に言おう。我の方が、分が悪かった。あの状態では、我も半ばあきらめておったのだよ。それをそなたは――」

「娘さんと約束したからですよ。あなたが、あなた自身を犠牲にして、娘さんを守ろうとしたことを、娘さんは知っています。それを知ってなお、健気に何も言わずにいました。でも、考えてみてください。確かに、それで娘さんの命は救えるでしょう。でも、それで娘さんは幸せになりますか? その後の事を考えたことがありますか? あなたという存在抜きに、娘さんが笑顔でいることなんてできませんよ。それは、あなたも分かっていたのではありませんか? 確かに、私はあなたと約束をしました。でも、その後に約束したんです。娘さんとね。あなたを連れ戻すと……。その時に一瞬見えた笑顔の欠片を、あなたに見せてあげたかったですよ。あなたが、娘のことを願ったように、娘さんもあなたのことを願ってました。でも、それを口にする事が出来ず、一人で抱えたままで……。その事を考えましたか?」

我ながら、こんな説教じみたことを言うとは思わなかった。


でも、銀竜の子の顔を見ると、言わなくてはいけないような気になってしまった。

しっかりと、しがみついているのは以前のままだ。でも、その顔は依然と違い、笑顔だった。


長い銀色の髪は、薄暗いこの部屋の中でも、光を受けて煌めいている。夜空の星々もその前では霞んでしまうかもしれない。実際の年齢は分からないが、人間の形態をとった年齢はルキと同じくらいだろう。


本当は、ルキもこんな笑顔を見せてもいいと思う。


今でこそ時々、屈託のない笑顔を見せるようになったルキ。でも、出会ったころの笑顔に比べるとましになっているけど、まだその笑顔はどこかぎこちない。

心配させない。

そう感じさせるような、義務感を伴う笑顔だった。


ルキとロイとロキの母親達は、ルキに託して笑顔で子供たちを生かす道を選んでいた。

それは仕方がない事なのかもしれない。そうしなければ、ルキ達も生きていなかっただろう。


でも、託されたルキはどうなった?

そう、ルキはずっと一人で抱えていた。


一人で抱え込み、一人でまことの勇者に挑むようなまねをしていた。その小さな体に、たくさんのことを抱え込まなければいけなかった。


たぶん、自分の魔王斑が消えた後も、ルキははしゃぐことなどなかっただろう。ロキの誕生日にあれほど騒いだのは、ずっとため込んでいたものがあったからだと思う。


でも、ドルシール達と出会いがルキを少しだけ変えていた。

ほんの少しだけだけど、ルキにルキ本来の笑顔が戻っているような気がする。

バカなことに、バカのように笑えることが、この世界には少なすぎると思う。ドルシール達は、そんな中でもバカのように楽しそうだった。


私は、そんな彼女らが驚きだった。ルキにしてもそうだろう。


笑顔の為の笑顔じゃない。ルキが自然に笑っていられるようにしたい……。

ドルシール達のような……。

あの村で、魔王斑が消えた時に子供たちが見せた笑顔のような……。

私は、そんな笑顔を守りたいのだと思う。


だから、銀竜の子も同じだと思った。


でも、もし銀竜が死んだらどうなる?

ルキと同じ銀色の髪の少女が、ルキと同じ道を歩くとこになる。自分のために死んだ母親の笑顔を背負って生きることになる……。


その結末を知っていて、何とかできるかもしれないのに、知らないふりはもうできない。


「ふむ、色々言いたい事はあるが、それは後ろの者達に任せよう。その方がよかろうて……。そなたたち、気持ちは分かる。じゃが、それは後で存分にするがよい。今は我の用事を済ませたいが、構わぬよな?」

銀竜の、銀竜としての威厳がこの部屋全体を包み込んだ。普通の人間なら怖いと思うかもしれないけど、今の銀竜は優しさを伴っている。

それは、ルキも精霊たちも十分伝わったようだった。


「まず、我が名はメナアスティ。誇り高き銀竜である我が名を、卑しき勇者ごときに告げることは無い。あのような下賤の名は、エマが勝手に押し付けたものよ。我が名を呼べ、勇者ヴェルドよ。我が名をそなたの魂に刻み付けるために」

竜族にとって名前は大切なもの。

精霊同様、簡単に告げるものではないということくらい知っている。

だからだろう。後ろで精霊たちが騒ぎ始めていた。


でも、目の前にいる銀竜の威圧感は、並大抵のものじゃなかった。騒ぎたいのに騒げない。そんなもどかしさが伝わってきた。


魂に刻み付けるというのはよくわからない。でもそれは、それだけ親密になるという事か?


でも、よほど珍しいのだろう。

たぶん、重要な名前を告げるという行為は、竜族の中で特別なものだということに違いない。

そしてその特別というのは、恐らくこの場合、誠意ある感謝だと思う。


「わかりました、メナアスティ。これからはそう呼ぶことにします」

その途端、銀竜の威圧がすっと抜け、慌てた優育ひなりが顔の前にやってきた。いつにも増して冷静さを欠いている。優育ひなりのこんな姿も可愛らしく思える。

でも、そんな感想に浸っている暇はなかった。

次々と集まってくる精霊たち。その顔は一様に慌てた感じだった。


「ちょっと! ヴェルド君――」

「これで我とそなたは魂の結びつきを得た。そなたに、我が娘に名を与える権利を授ける」

呆れ果てたような面々のその先に、得意顔の銀竜メナアスティと恥ずかしそうな銀竜の子の顔があった。

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