第66話ガウバシュ劇場

ミリアさんの影から出たところは、魔導図書館の一角にある資料室と呼ばれるところだった。

ここは以前、ミリアさんに読んでもらっていた場所だ。魔法的な監視を妨害するための仕組みが、この部屋には施されているらしい。そしてこの部屋は、何か重要なことを決めるときにもよく利用されると教えられた。


今まさに、その状況にあるのだろう。

あの時は狭くは感じなかったこの部屋が、今はとても狭く感じられた。

それもそうだろう。あの時は私とミリアさんだけだった。

でも、今この部屋には、私とエトリスを除いて、十人の大人と一人の少女が席についていた。

全員が、私が出てくるのを待っていたかのように、私を見つめている。

私の出現に対して、誰一人驚いている人はいないという事実は、私を驚かすのに十分な出来事だった。


「おかえり、ヴェルド君。エトリス。あなたたちの席はそこね」

静まり返った室内で、ミリアさんの声は場違いなほどいつも通りだった。



座るように勧められた場所は、ミリアさんが座っているテーブルの隣だった。ちょうど何かの会議をするかのように、三人掛けの長机が中央のテーブルを囲うように置かれている。

そして中央のテーブルには、特大の水晶球が置かれてあった。


目の前にある机の左端に座っているミリアさんは、私とエトリスを順番に右横に座るように勧めていた。そしてミリアさんの左側には、エトリスそっくりの少女が、これまたミリアさんそっくりの女性の横に座っている。おそらく、この人がラミアさんなのだろう。

そして机からはみ出しているけれども、その存在感を十分に持っている少女がエトリスの姉のネトリスに違いない。

さらにラミアさんの横にはどこかの司祭が座っており、その隣はいかつい大男が座っていた。

私の真正面のテーブルには、二人の男性と一人の女性が座っていた。

真ん中は魔導図書館館長だとわかるけど、その両隣は分からない。そしてその隣のテーブル。私たちの右側に位置する、三人掛けの長机にも、二人の男性と一人の女性が座っていた。

そのうちの一人は見覚えがある。確かあれが鬼自警団団長だ。


「ちょっとまってね。今割れてるから。あーあ。私も、こんなところ来たくないけど、ヴェルド君が私を目指してくるのは分かってたし……。これはあとで、ごちそうしてもらうしかないわね」

ミリアさんが私だけに聞こえるように、そっと耳元でささやいてきた。


多分、これはこの街の偉いさんが集まっているんだ。なぜ、このような場所にミリアさんがいるのかは不明だけど、とりあえずエトリスの無事は両親に知らせる事が出来た。

そして、これは避けては通れない道だというのも理解できた。


今、この場所で議論されているのは、私に関係することなのだろう。


もう、この街に立ち寄ることは無いと思うけど、どうしてもあと一回だけは立ち寄らなくてはならない。大陸に行くためには、どうしても船に乗る必要がある。

向こうで知り合いをつくれば、後は影跳躍で飛ぶ事が出来る。だから、この一回だけは、見逃してもらおう。


だから、ここはおとなしく待つしかない。鬼自警団団長に事実を突きつけるのは、どうやら後にするしかない。


決して良好とはいえない雰囲気だけど、私にとっては最悪な物でもない。だから、これ以上悪くすることは得策ではないだろう。少なくとも、左側の人たちからは悪意が感じられないのだから……。



「だから、何度も言いますように、あの子がここに、無事に帰ってきたことこそが証明ではないですか?」

ラミアさんと思われる人がテーブルを叩いていた。その視線の先には、鬼自警団団長が座っている。そう言えば、兄妹だったよな。こんな場所でも、まだ諍いは抜けていないのだろうか?


「魔術師組合長。お前の言っていることは希望に過ぎない。たまたま偶然、気まぐれが働いたのかもしれんだろう? 危険性がないという保証はどこにもない」

一方の鬼自警団団長は、腕組みをしたまま静かに応じていた。


「そうです。麗しの宿亭の女将からは、単なるあんみつ好きの子供だという報告があります。人をだますことにたけた能力を持っているのかもしれません。あたしには、この街に集まる人たちが、心地よく暮らせる宿を提供することが責任としてあります。人をだますような人を、信じろという方が難しいと思いますね」

明らかに私の顔色を窺いながら話しているのは、どこかの宿屋の女将さんのようだった。顔色を窺いながらも、自分の意見はしっかりと言えているあたり、芯の強い女性なのだろう。

でも、女将さん……。その評価はあんまりじゃないかな……。

たしかに、そう見られても仕方がないのは理解できるけど……。


「いや、あのシン・ドローシが太鼓判を押してるんだ。私も他の支部長から話も聞いている。マダキの騒動を抑えてくれるのにも、この人達は名乗りを上げてくれていたそうだ。そして、この街には、以前も逗留している。それは、国王の影響下にあった時だ。信じられるか? その時にここに勇者がいたんだぞ? 誰一人として、その存在に気が付かなかったはずだ」

どこかの司祭の横に座っていたのは、冒険者組合支部長だった。そして、マダキの騒動は、しっかりこの街にも伝わっていた。

ただ、私が名乗りを上げたんじゃなく、ルキが名乗りを上げたんだけどね……。


「だから、それもおかしいと言ってるのだ。誰一人感知できない勇者なんて、危険極まりない。この街の防衛機構が働かないという事です。だから、枷をつけるべきだと私は言っているのだ。そうすれば、行動の自由は保障してあげてもいい。もっとも、港から出るのは許しても、入るのは許さないかもしれないけどな」

鬼自警団団長の横で、尊大に宣言する男は、おそらく港の責任者なのだろう。この街は、大陸との貿易の玄関港だから、そこを仕切っている自分はえらいと言いたいわけだ。


「そうだな、安心は必要だ」

「たしかに、その通りだ。信頼というものが商売には最も重要なものだ」

魔導図書館館長の両隣では、同じような意見で頷いていた。

魔導図書館館長は発言していないが、この場にいる人たちの意見は、あまり好意的とは言えなかった。隣のミリアさんは、興味なさそうにしてるけど、その向こうに見えるラミアさんは、明らかに不穏な気配を醸し出していた。


ラミアさんが拳を握りしめることに限界を感じたであろうその時、それまで沈黙を守っていた司祭姿の女性が静かに手をあげていた。


魔導図書館館長が、それを頷きで応えていた。

それに応えるように、司祭姿の女性は立ち上がると、ゆっくりと一同を見回していた。


「私は代理の者ですが、大神官長亡き後の教会をまとめる方から全権を預かっております。今から言う私の言葉は、教会の総意だと考えてください」

そこで一旦区切って、司祭はまた全員の顔を見ていた。何教なのかは知らないけど、よほど人々から信頼されているのだろう。

そう言えば、宗教がどうなっているのか真剣に考えたことはなかった。神様がたくさんいるんだから、日本みたいに色々な宗派に分かれるのだろうか?


ひょっとして、魔王教もそのひとつなのだろうか?

私が思考の渦にとらわれはじめた時に、司祭はまた、語り始めていた。


「この島の主神はこれまでの大戦でも、他の神々との対立を避けてこられました。それがなぜなのかは、私達にはわかりません。大神官長は何やらご存知のようでしたが、今生き残っているものは、それを知りません。でも、それは放棄されたとみていいでしょう。ハボニ王国がこの地を襲撃したということがその証明です。すなわち、この地はまた戦乱に巻き込まれる可能性があります。そして、その時に降り立ったのが、ヴェルド様です。まことの勇者の降臨は、この地に新たな繁栄を築かれるでしょう」

まるで選挙活動のような演説だった。

ただ言わせてもらうと、まことの勇者として認知されたのは最近だけどね。

まあ、まことまことは聞いているだけだと、どっちかどうかなんてわからないよな、ほんと。

まあ、この場ではどっちでもいいんだろうけど……。


でも、一転してその表情は変わっていた。


「とまあ、教会の方ではそう思っています。でも、私個人としては、半信半疑といったところでしたよ。正直あなたたちが何を危惧しているのかもわかるつもりです。でも、先ほどからのあなたたちの態度こそ、この人が大丈夫だと言っているようなものですよ」

どことなく胡散臭い笑みは、あの組合長を思い出させるものだった。


「あなた達は、本当に勇者を前にして、今言ったことを言えるのですかね? 特に港組合長。あなた今、とても偉そうでしたよ? いつもの癖が出たんじゃないですか?  ヴェルド様が、今ここで暴れないなんて保証こそ、誰もしてないのですけどね」

なんだか人を猛獣か何かのように言ってくれる。でも、考えてみれば勇者なんて、そんなものだろう。


そしてその一言は、目の前で偉そうにしていた人たちの心臓を、抉り取るに十分な言葉だった。



「まあ、暴れませんよ? それと、一つだけ言っておきます。すみません、勇者であることを黙ってました。そして宣言します。今後私は、皆さんのご迷惑になることはしません。それとこれはお願いです、一回だけでいいので船に乗せてください。どうしても、ガドシル王国の魔導図書館に行かなければならないのです。それだけ許してもらえれば、この街にも、マダキの街にも、ユバの街にも、テルの街にも私は近づきません。皆さんの暮らしを私自身が脅かすことはしません。今、ここにいる理由は分かりませんが、皆さんの用件が済んで、私の用件も済み次第、私はこの街を離れます」

今まで、だましていたことは謝罪する。そうした方がいいと思ったから、そうしてたけど、それが問題だというなら、それを謝罪しよう。

勇者というものが積み上げてきた歴史を知ってしまった以上、私もその感情は無視できない。


「まあ、結論は出たようですな。もういいかな、シクーツ。君がドルシールに対してわだかまりがあるのは結構だけど、街を守るものとしての責任を忘れないでほしい」

魔導図書館館長が、鬼自警団団長に視線を向けていた。港組合長と宿屋の女将をはじめ、魔導図書館館長の両隣も、顔を下に向けていた。


「セトリアス、ラミア。お前たちは、何故そんなにも信じられる? 勇者だぞ? コイツだって、勇者だぞ?」

人を指さして失礼な感じだが、鬼自警団団長の言葉は、この世界の人々の言葉なのだろう。

私自身、立場が違ったら同じことを言うかもしれない。


「そうね、おに、お兄さま。私もヴェルド君に直接会って、話をしたりしてなかったら、こんなこと賛成しなかったわ。いくらエトリスとネトリスが星のお告げを聞いたとしても、かわいい姪を危険な目にあわすなんて考えられない。むしろ、会ってもいないラミアお姉ちゃんがよく許可したと思ってるくらいだわ」

そうか、ミリアさんにとっても、鬼自警団団長はお兄さんなんだ。でも、お姉ちゃんか……。ミリアさんって、そういう風に呼ぶんだ。


あれ?

ということは、もしかして?

いや、そこは黙っておこう。人はどんな風に呼んだっていいんだ。うん。


「私はね、ミリア。この子たちの力を信じている。私の娘たちが大丈夫と言ったのですもの。たとえ会っていなくても、信じられるわ。それに、シン様があんなにも嬉しそうにヴェルド君のことを、毎日言ってきたのよ? あのシン様が、あれほど他人に興味持つなんて信じられないわ。だから、今回の茶番にも協力したのよ。でも、あんなものを持ち出すなんて許可してないけどね」

ラミアさんは愛おしそうに隣の少女の頭をなでていた。やはりあの子がエトリスの姉だった。

こうして二人を見比べてみると、本当に巫女装束がよく似合うと思う。鈴音すずねと違って、長い黒髪だから余計にそう感じるのかもしれない。


「お母さま、その事でお話があります。あれはマクマールの渡したものではありません。死んだマクマールに巻物を持たせたのは私ですから、間違いありません。そして、それは下級妖魔召喚の巻物です」

ネトリスの言葉に、ラミアさんの手が止まっていた。慌ててそこにいる全員に目で問いかけるラミアさんは、最後に頭を抱えていた。


「なんてこと……。マクマールは……」

「何者かが、マクマールを利用したか、マクマールを騙ったかだな」

ラミアさんの言葉を受けて、冒険者組合支部長が立ち上がっていた。


「まて、エドル。まずは、謝罪が先だ。ラミアに茶番と言われてしまっては、もう何も言えない。せめて、この街の代表者としてしっかりと謝罪すべきだろう」

自警団団長が、私をまっすぐに見ていた。それまでの雰囲気とはまるで違う。さっきまで態度がまるで嘘のようだった。


「ヴェルド様、失礼をいたしました。今回のことは、ラミアの言うとおり茶番です。失礼ですが、あなたを試させてもらいました。あなたが勇者であることを隠している事が、どうしても信じられませんでした。そして、伝え聞くあなたの考え方も、私たちはにわかには信じられませんでした。それで、街の住人が誘拐されたことを知ったあなたが、どうされるかをみて判断しようと考えました。あなたに目的があることは知っています。その上で、本当に私たちのために動いてくれるかを知りたかったのです。申し訳ございませんでした」

私以外、全員が立ち上がって頭を下げていた。それは、ミリアさんも、エトリスも同じだった。


そうか、そういうことか……。


「じゃあ、ついでにドルシールも試したんですね? あと、組合長は関与してない?」

ドルシールが知ったらたぶん怒るだろう。そして、なかなか図書館の入館許可が下りなかった本当の理由は、たぶんこのためにあったのだろう。

しかし、本当に、星読みの巫女の力だけなのか? これはもはや、予知に近いんじゃないか?


「ドルシールの方は、そうです。ただ、自警団団長の私怨が多少含まれています。そして、シン様は今回のことはご存じないはず。もしかすると、知っているかもしれませんが……。何しろあの方はいい趣味をしているとは言えませんから……。ただ、私たちからは何も言ってません。ネトリス、エトリス、ミリア、そうよね?」

ラミアさんは、本当にストレートな人だ。そして五番弟子という事だけあって、組合長をよく理解している。


「シン様はご存知ですよ? お母さま」

「そうです。全てご存知ですよ。お母さま」

ネトリスの言葉に、エトリスが同意していた。


ていうか、組合長。さすがにのぞき過ぎじゃないか?

シン・ストーカーという名を広めるぞ?


「だって、そこのミネルバさまは、シン様の教会の眼と言われる方ですもの」

ネトリスとエトリスの声が見事な同調を見せていた。

全ての人が驚いた顔を隠してはいなかった。

そして、ミネルバと言われた女司祭は、そう言われてもあの笑顔を絶やしてはいなかった。


私の視線を受けても、あのほほ笑みは絶やさないミネルバ。


なるほど、教会の眼ね……。


星読みの巫女の言葉は私にとって、驚きというよりもむしろ、納得というものだった。

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