第35話逃亡

そう言えば、私はマリウスにただいまって言ったことあったっけ……。

そう言えば、私はミストにありがとうって言ったことあったっけ……。

最後にライトと会ったのは、いったい何時のことだっけ?


まるで暗いトンネルの中に、次々と映し出されて、流れていく思い出。

現れては消え、消えては現れていく。

捕まえようとしても捕まえれない。流れるように、次々と遠ざかっていた。


そして、私は一人暗闇に取り残されていた。


「ヴェルド君、ここは逃げるよ。今の君では、あの勇者にはかなわない。いったん逃げるんだ」

優育ひなりの声がやけに遠くから聞こえてきた。


「ヴェルド、優育ひなりちゃんの言うとおりだよ。まだ、君は勝てない。ここは逃げるんだよ」

春陽はるひの声も、やけに遠くから聞こえる。


他の精霊たちも、一斉に逃げることを勧めてきた。


逃げる?

どこに?

どうやって?


勝てない? そりゃそうだろう。

マリウスやミストがかなわなかった相手だ。


私がかなうはずがない。


あの体を痛めつける痛みは、もうなくなっている。疲労とそれに付随した痛みはあるけど、歩ける。


でも、何処に向かえばいい?


気が付くと、私は全ての精霊たちに手を引かれながら、歩いていた。

行くあてはない。

ただ、王都から出来る限り遠くに行くようだった。


仇をうて。

何者かが、私の中でそう告げていた。


だれの……?


仇をうて。


なんのために……?


仇をうて。


どうやって?


無責任に、その言葉を繰り返すものに問い返しても、まったく答えてくれなかった。


じゃあ、無理だよ。

そして、その答えにも応えてはくれなかった。


最初は頻繁だったその声も、徐々に減っていき、しばらくすると全く聞こえなくなっていた。


そして私は今、精霊たちに引かれるまま歩いている。行き先のわからぬまま、私は精霊たちに連れられていた。



その時突然、私の後ろに、何かが現れた感じがした。


この感覚!

イメージとして湧きあがってきたこの感じに、思わずぞっとして振り返る。

何事かと慌てる精霊たち。

それを説明している余裕はなかったけど、全員私が見ている物を探していた。


そこはただの森だった。

でも、確かにそれは、そこにある。


手を伸ばせば届きそうな距離に、あの大男の目を感じた。


蛇ににらまれた蛙というのは、こういう気分を言うのだろう。

一瞬にして、私の体は鉛のように硬直していた。


声も出ない。

体も動かせない。


しかし、一瞬目があったように感じたけど、どうやらそれは、気のせいだった。

私の方にどんどん迫ってきても、まるで私を見ていない。


やがて何事もなかったかのように、私を通り抜けてどこか消えていた。


その瞬間、膨大な汗が流れだす。

肺にたまった空気は、出口を求めて殺到していた。


「逃げよう」

もう手を引かれなくても、自分の意志でそう選択できた。

精霊たちは、私の周りを警戒しながら進んでくれていた。


あんな目を向けられてたんだ……。


たぶん、私は無意識に心のそれから目を背けていたのだろう。

でも、いったん抱いた恐怖は、湧き上がる泉のように、私の心にあふれていく。

もう目をそむけることはできない。


あふれ出した恐怖は、いつしか私を追い立てるように、私の体を走らせていた。



一体どのくらい走り続けたのだろう。


よくそんな力が残っていたものだと、感心する私がいたけど、そんな私も一緒に走っていた。


あの目が何を見ていたのかわからない。

でも、まだ私のことは見つけてはいないと思う。

でも、それはまだ・・に過ぎない。


もし、見つかったら?

たぶん、マリウスやライトのように、あの大男の楽しみのために戦わされる。


見つかるわけにはいかない。


そう思って、走り続けた。

その恐怖から逃れるためは、走り続けるしかなかった。


元々疲労を重ねた体だった上に、無理やり走り続けたことにより、私の体は思ったよりも早く限界を迎えていた。

しかし、もはや走ることもかなわず、大地に伏しても、ただ前に、前にと逃げていった。

やがて、逃げる気力も尽きた頃、右手に何かをつかんだ気がした。


それと共に、とても近い所から声が聞こえてきた気がした。

体の内側から囁くような感覚。

そう、あの呪いのように、全く感情の見えない声で……。


「やっぱり君は嘘つき・・・だね。しかも、自分にも嘘ついてるし。まあ、そういう名前だから仕方ないか。でも、それは僕のせいもあるのかな? まあいいや。それにしても、よく戦いもせず生き残ったよね。君は本当に不思議だなぁ。ますます、興味がわいてきたよ。ただ、いいかげん嘘も程々にしてくれないと僕らも困る。そうだなぁ、ちゃんと謝ってほしいなぁ。そしたら許してあげるよ。あれ? もしかして、意識失っているのかな? どうしよう、これじゃあ意味がない……。じゃあ、チャンスをあげよう。やっぱり君は運がいいね。君が――」


嘘つき?

ついに、呪いにまでそう呼ばれるようになったのか、私は……。


でも、そうだ。

見えてるのに、見ていないふりをし続けてた。

勇者なのに、誰も守れなかった、救えなかった。


私を認めてくれた人すら、守れなかった……。


ああ、そうなんだ……。


結局、勇者も、冒険者もなくなって、嘘つきだけが生き残ったんだ……。

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