第29話依頼
「落ち着いてください、ヴェルド様。話はまだ途中です!」
部屋を飛びだし、一階のロビーまで来たときに、またあの声で呼ばれた。
しかも今度は、私の成人に関することまで話しそうになっていた。
それって極秘事項じゃなかったっけ?
私が止めると思っているからか?
冗談じゃない。
私がそのことを触れ回っているわけじゃない。
でも……。
さっきの話が本当ならば、今後そういった厄介ごとが舞い込んでくるかもしれない。今はまだマリウスもミストも倒してないから大丈夫だと思うけど……。
もしかして、あと半年すれば倒せるかもしれないという見通しを立てたのか?
とんだ見当違いだ。
まだまだ、マリウスにしても、ミストにしても、完全に本気を出してはいない。
その証拠に、死ぬ寸前までしか追い込まれていない。
でも、事実というものは後からなんとでもなる……。
実際倒してなくても、方針がそういう風に変わったら一大事だ。
多分、組合長もその辺はわきまえているのだろう。私の『成人は……』という所で少し間をおいていた。
この駆け引きは、正直私にとって分が悪すぎた。
こうして、私は今、さっきと同じ場所に座っている。
目の前には、半分に壊れたテーブルと不自然なものが置いてあるが、それは知らないふりをすることにした。
***
「おや、テーブルが壊れてますね。あーあ、これは高かったんですけどね……。しかもこれを作った職人は、もうこの世にはいないんですよね。今、同じものを作るのはたぶん無理ですよね。あーあ、これは死んだオヤジが大切にしていた物を形見としてもらったのに……。いったい、なんで壊れたのでしょうかね?」
しげしげと、壊れたテーブルを眺めたあと、小首をかしげて私に聞いてきた。
まったく、わざとらしい……。
高かったのか、もらったのかはっきりしてほしい。
それにあんたの親父さんは、真の勇者だろうが!
そんな人が物を大切にするわけないだろ!
しかも何ですか? その花瓶みたいなものは!
そんな割れ物、さっきまでなかったよね?
あったら真っ先に割れてるでしょ!
大声の割に、ちょっと来るのが遅かったのは、これ用意してたからだよね? 絶対!
だいたい、明らかにおかしいでしょ?
半分に割れたテーブルの中央に置いてる花瓶なんて!
目の前で、なおも原因を探るかのようにテーブルをみる組合長。
花瓶を目に入れないように、壊れてないところばかり見ている。
「いえ、私が壊しました。すみません。弁償します」
素直に頭を下げよう。
自分でやっててなんだけど、今後はもう少し物を大切にしよう。
「ああ、そうでしたか。それは困りましたね。でも、ヴェルド様の依頼料なら簡単に弁償できます。おお、そう言えば、ちょうどその金額くらいの依頼が来ておりました」
明るい顔で、両手を打ち鳴らした。
まったく……。
わざとらしさが鼻につく……。
明らかに、芝居がかっている。最初からそのつもりだったんだ。
何から何まで、この組合長の掌で踊らされている気分だ。
「それで、曾孫さんがどうしたのですか……」
たしか、ミリンダという名前だったか、成人の年齢が低いから、孫や曾孫は生存中に当たり前のように出てくるよな……。
大体、中学卒業と同時に成人だもんな……。元の年齢で考えたら、私なんかとっくに成人してるんだ。でも、大人の気分ってあまり分からない。
そう言う意味で、今の十二歳はありがたい。
この世界でも大人になるのに猶予期間があった方がいい。
「そうそう、そうでした。私が曾孫のミリンダちゃんと散歩し終わって、一人で帰る時に、犬を拾いましてね。その犬はすぐ森に戻ったのですが、その犬の首には手紙がつけてありまして……」
ミリンダちゃん、一切関係なし!
絶対この人、私の反応を面白がっている!
切れちゃだめだ。
切れちゃだめだ。
切れちゃだめだ……。
自然と気分が落ち着いてきた。
「で、その手紙というのは?」
三回言ったら大丈夫だという伝説は、まさかの本当の話しだった。
でも、油断はできない。深呼吸して、それだけを告げた。
そして、これ以上は組合長の思うようにさせない。
少なくとも、あの花瓶が、『誰かの形見だったという話し』になることだけは避けなければならない。
「これですよ。まったく」
このじいさん。明らかに口に出してきた。
しかも、なんだ? その明らかに不満そうな顔は!
まったく……。
でも、一度落書きしてやりたい気分も、何とか落ち着けることができた。
このじいさん、半年前に土下座の世界作ったこと忘れてるに違いない。
***
「これは……? 助けを求めていると考えていいのですか?」
それを見た途端、それまでの気分は一新して、その手紙に向き合った。
手紙には、やっと書けたようなひらがなで、『たしけて』とだけ書いてあった。
場所も何も記されていない。
顔をあげると、組合長は真剣な顔つきで、小汚い赤色の布きれを目の前に広げていた。
「これは、その犬の首に巻かれていたものです。その手紙はこれの内側にありました。この布はちょっと特殊な物なんですよ。魔王斑をもって生まれた子供に、目印としてまかれる布でしてね。大陸全土で共通に使われるものです」
魔王斑の子供……。
その言葉の響きに、とても悲しい気分になる。
でも、何故その布が首に巻いてあったのか? その子になにかあったのだろうか?
あらためて、その布をよく見ると、ところどころシミのようなものがあった。
「これは……、血?」
すでに乾いているけど、かすかに血のように感じる。
助けてというメッセージ。
血の付いた、魔王斑の子供にまかれる布きれ……。
ひょっとすると、これは……。
「そうです。たぶんそうに違いありません。でも、この国でそんなことは確認できていません。きっと、国外から逃れたものがいるのです」
真剣な顔つきの組合長。その事実を、組合長は誰にも言わずにいるのだろう。
もし、誰かの耳に入れば、捜索される。その後、仮に助けたとしても、その子の運命は、決まっている。それでは、助けないのと同じだろう。
でも、私に話した。
私が魔王斑の子供のことを知っていることを、この人は知っている。
そして、私が冒険者になるために、それを利用したことをこの人は知っている。
そんな私なのに……。何故私に話したのか?
しかも、私とて勇者の一員に考えられている。私がボロデット老師に言わない保証がどこにある?
その私に、なぜ?
それに……。
私に言ったところで、その子の事を放置すると何故考えない……。
いくら依頼だからと言っても、私が受けなければ成立しない。
突然、私はミラーハウスのような場所にいる感覚になっていた。そこには、色んな私の姿があった。
この街の人たちが、勇者によってどれだけ苦しい思いをしているかを知っていながら、この私は、何もしていない。
あの私は、偶然見てしまったことには、手を貸しているけど……。ただ、それだけだった。
それ以上は何もしていない。
そもそも、勇者が冒険者になれたんだ。
ひょっとすると、何か出来るかもしれないのに、私は何もしようとしなかった。
その事を、この人なら知っているはずだ。
あんな話をしてきたのだって、それを知っているからだろう。
あの花瓶と同じだ……。
壊れたところに置かれていて、明らかに不自然な状態にもかかわらず、放置している。
見えているのに、見えてないふりをしている。
ああ、私は嘘つきだ……。
週の大半を、冒険者として街の外に出ているのだって、本当は街のことを見たくないからかもしれない。
どれだけマリウスやミストに痛めつけられ、死にかけても、それを罰だと感じることで、紛らわしているのかもしれない。
冒険者になりたかったのだって、勇者じゃないと言いたいだけなのかもしれない。
嫌だから、全部見えてないふりをした。
今、目の前で映し出されている私の行動……。
全部、感じているのに、見ていないふりをしていた……。
いつの間にか、私の前には組合長の姿があった。
ミラーハウスのような場所は、もうどこにも存在しない。
「大丈夫ですか? ヴェルド様。たぶん、私がなぜこの話をしたのかが気になってますね?」
たぶん、私はひどい顔になっていたのだろう。組合長の顔は、一応心配そうだった。
しかし、次の瞬間には、組合長がにっこりとほほ笑んできた。
「だって、ヴェルド様は勇気ある冒険者ですからね。助けを求める依頼を無視しないでしょう」
たぶんそれは、いままで私が見たこともないほど、心地いい笑顔だった。
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