森の娘

「出て行っちゃったなぁ」


 狸は最後に礼をしたあと、戻ってくることはなかった。とりあえず俺は朝飯の準備に取りかかる。

 他の皆は少しの間出て行った扉から外を見ていたが、やがて自分たちの時間に戻っていく。


 ここから出て行くのはあの狸が自分で選択したことだ。あれこれ言って連れ戻せば良いという話ではない。生きていればいつか会うこともあるだろう。

 あまり名残を惜しんで心を痛めるよりは、知己が増えたと思っていつも通りに戻ったほうがいいのは確かだ。


 今後、どれくらい同じような出会いがあるだろうか。こうやって森の中にどんどん知り合いが増えるのも悪いことではないのかも知れないな、俺はそう思いながら、グラグラと沸きはじめた鍋の湯にパラリと塩を入れた。


 この日は二手に分かれた。納品物を作る俺とリケが残り、他の皆は「昨日の続き」だ。昨日は狸の騒動で中断したし、あれが流行病のようなものだったら、他にも同じく弱っている獣がいるかも知れないからだ。

 俺とリケが残るのは納品物の製作がメインなのは確かなのだが、やはり昨日の狸が罹っていた病のことで、森の誰かから相談なりが来ないとも限らないからである。

 通信手段として伝言板を設置したので連絡自体はできる。しかし緊急の場合、“森の主”であるリュイサさんなら俺たちの前にヒョイと(ジゼルさん曰くは「はしたない」方法だ)現れれば済むが、ジゼルさん達妖精族はそうはいかない。

 最悪の場合は“黒の森”の中、俺たちを探し回る羽目になる。


 そんな場合を想定して、誰かは残ったほうが良いかもということになり、それならばと俺とリケで残って納品物を作れば問題なかろう、と話が決着したのだ。


 森の中をウロウロするのとは違い、勝手知ったる我が家で慣れた作業である。滞りなく進んでいった。

 やがて鍛冶場に短剣やナイフがうずたかく積まれていく。リケの製作速度も随分と速くなった。それに魔力の具合も良くなってきている。

 俺のこの腕前はチートによるものだが、そのチートを見て覚え、リディの指南で魔力の扱いも身に着け、1年足らずで急成長を遂げた。

 もう既にそこらの鍛冶屋、それも人間のではなくドワーフの鍛冶屋でもそうそう太刀打ち出来るようなのはいないくらいの腕前になってると思うんだよな。


 そして、ドワーフは弟子入りしてある程度技術を吸収したら一度自分の工房に戻ってその技術を伝える。普通は数年かかるだろうところを1年足らずで身に着けたように見える。

 真のチートはリケなんじゃないかとさえ思えてくるのだが、その話をしてもリケは首を横に振って、


「いえ、まだまだですよ。例えば――」


 と、自分がやりたいことに届いていないことを力説する。そこまで謙遜しなくともと思うのだが、俺から何かを学び取って目標を高く掲げ、そこに向かって進んでいきたいのなら、それを止めるほうが余程野暮と言うものだ。

 俺はただ「そうか」とだけ言って、後片付けをはじめるのがいつものことで、今日も概ねそんな感じで1日の作業を終えた。


 それに気がついたのは外から戻ってきた皆だった。いつもならすぐに家に入ってくるのだが、今日は家の外で何やら騒いでいる。普段は家に入るまで気がつかないのに、今日気がついたのはそれでである。

 俺とリケは顔を見合わせて、鍛冶場の出入り口から外に出る。ワイワイと騒いでいるのは、家の玄関口のほうらしい。俺とリケはそちらへ回った。


「あ、エイゾウ、リケ」


 俺たちが姿を見せたのに気がついて、玄関前にいたディアナが手を振った。俺とリケはそちらへと近づく。

 他の皆は玄関前を囲むようにして、何かを見ている。辿り着いた俺の目に飛び込んできたのは、ちまっと並んだ草である。


「薬草?」

「ええ」


 思わず口から漏れた俺の言葉に頷いたのはリディだ。


「これも色々な病や怪我に効く薬草です。見つけるのは相当難しいはずなんですが」


 そう言ってリディは薬草に目を戻した。リディがそこまで言うものが、ほんの僅かだが軒先に並べられていた。根っこには土がついていて、乾ききっていない。今日採取してここへもってきたらしい。


「誰が……って聞くまでもないか。これは結構なお礼を貰っちゃったかな」


 俺が言うと、皆頷く。あの狸が持ってきてくれたのだろう。実に律儀な話である。

 この日から時々軒先に薬草が並んで置かれるようになった。俺たちは軒先に高さのない台を作って、そこに干し肉を置いておくようになり、その干し肉は薬草が置かれる日には必ず無くなっているのだった。

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