1つ目
うちにある中で一番小さなタガネを使い、文様を彫っていく。まだ柔らかいので、鎚を使わずとも手の力だけで彫ることができるだろう。
多分ナイフでも彫ることはできるんだと思うが、単純にすごく小さいので適した道具を使う必要がある。
彫る文様は紗綾型。卍を菱形に連ねてつなげたような模様であり、家の繁栄や長寿を願う意味合いがある。
不断長久と言うのだが、意味合いは異なっても“不断“というのは結婚指輪に適しているように思ったのでこれに決めたのだ。
……多分大丈夫だとは思うが、作業前に一応確認だけしておくか。
皆に紗綾型の文様を紙の余ったスペースに描いて見せたところ、卍で引っかかるようなことはなかった。
前の世界でも第二次世界大戦があっての話だし、問題になるのは卍ではないので大丈夫だという確信はあったが、この世界ではその文様は死を象徴していますとか言われたら変更が必要だからな。
問題なしと分かったので、いよいよ作業に取り掛かる。余り力を入れると環形が崩れてしまうので、そうならないようにだ。
金属に対して直接の加工である、と言うことなのだろう、チートでどれくらいの力をこめれば良いのかが理解できている。
俺はそっとタガネを当てて、ゆっくりと形を彫っていく。何回か彫刻をやってきたときは剣に施していたので、今ほど慎重でなくてもよかったのだが、今回は震えそうな指先を必死に制御しつつの作業だ。
どこをどう掘ればいいのかわかるのと、それをスムーズに実行できるかは別の話である。
逆に言えばこの辺りは俺自身のレベルアップ(レベルという概念そのものはこの世界にもない……はずだが)を図って改善が可能なところ、ということだな。
何でもかんでもホイっと作って終わり、だけでは面白みがないのも確かだし、たまには難しいと思える作業もいいものだ。
あんまり続くとウンザリするんだろう、ってのも分かってるのだが。
チリチリと、芋虫が木の葉を喰むが如きスピードでタガネを進めていく。とても貴重な素材であるので、タガネで彫った屑も都度指で摘んで、小さめの容器に放り込んでいく。
本来は新しく買った調味料を小分けにしておくために買っておいたものだが、今は前の世界の胡椒のごとく、値千金のものを収める宝の壺になっている。
集めたメギスチウムの屑は嫁さんの分を作るときにこめた魔力ごと再利用できるし、最終的にはそれなりの量にはなりそうなので、それだけでも結構な価格になるはずだ。
今摘んで容器に入れた耳かき1杯もない程度でも、街の外周側でなら、向こう1~2週間は余裕で暮らせるくらいの価値がある。
流石にそんなものをただの屑として捨てたり、ましてやチョロまかしたりする気にはなれない。キッチリと返せるようにしておこう。
なんせ俺は「めんどくさい職人」なのだから。
夕方くらいまでかかって、ようやく文様を彫り終えた。完全に目が疲れていて、やや腰に来ている。これもチートでもどうしようもない範囲だな。
俺は立ち上がりながら、うーんと延びをした。腰のあたりから不穏な音がしないのは、30歳とは言え若返った恩恵か。
左手で目頭を抑え、右手でトントンと腰を叩いていると、
「なんだか年寄り臭いなぁ」
と近くにいたらしいサーミャにツッコまれる。
作業に集中していて気が付かなかったが、皆ももう片付けを終えていて、ちょうどディアナとアンネが木剣を手に外に出ていくところだった。
「まぁ、オヤジではあるからなぁ……。あちこちガタが来そうだわ」
苦笑しつつ肩をグルグル回しながら、素直に俺は返す。身体は30歳でも中身は40歳だ。身に染み付いた動きというのはなかなか抜けないらしい。
集中して作業をしていた分の反動だろうか、音こそしないがギシギシときしむような感じがする。
もう少し反論されるかと思っていたのだろう、サーミャは少し驚いた顔をした。
しかし、すぐに憤慨した顔になると、
「なーに気弱なこと言ってるんだよ! まだまだ先はあるんだぞ!」
バシーンと背中を叩かれた。正直痛いのだが、それでなんとなく気合が入ったような気がする。
「そうだな、明日も頑張んなきゃだ」
「おう」
俺がサーミャの頭をガシガシ撫でると、彼女は満面の笑みを浮かべるのだった。
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