豊かな食生活の第一歩
「都ですか」
俺に言われたリケがそう反応した。
「何か問題がありそうか?」
「いえ、単に行ったことがないので」
聞いてみると、俺のところに弟子入りするまでにあまり大きな都市は通ってこなかったらしい。
「都って言ってもただ大きいだけよ」
リケをなだめるかのように、優しい声音でディアナが言った。住んでる人間からすれば、どんな大都市でも地元には違いない。
でも、ディアナが住んでいたのは伯爵の家――つまりは階級としては上流だから、当てになるかと言われるとちょっと微妙な気はする。
それが言わぬが花であることははっきりしているので、俺は何も言わないでおく。
「まぁ、日帰りになるとは思うが、あんまり気負わずにちょっとした旅行くらいに思ってくれたら良い。みんなもな」
俺もディアナの言葉に乗っかるようにして、そう皆に言った。
そうしていると、カミロが番頭さんを連れて部屋に入ってきた。番頭さんはカートのようなものを押している。
カートには布がかかっていて、何が載っているのかは分からない。
「よう、待ったか?」
「いや。だけど、今日は妙に遅かったな」
「ああ。こいつの準備をしてたんでな」
カミロがカートに目線をやる。俺が来たのであれの準備をしていて遅れたのか。
「そこまで念入りに準備するってことは、さぞかし良いものなんだろうな?」
「もちろんだとも」
俺とカミロは笑い合う。カミロが合図をすると、番頭さんは頷いてカートの布切れを取り去った。
そこに合ったのはやや大きめの壺が2つである。壺には釉薬がかかっていて、つるりとした表面をしていて、同じく釉薬のかかった蓋がついている。
蒸発しやすいものでも入っているのだろうか。
「こっちに来てみろ」
カミロが手招きをした。この状況なので、変なものが入っているわけではないと思うが、俺たちは恐る恐る近づいた。
「まずはこっちからだな」
カミロが片方の壺の蓋を取った。俺以外の家族の皆は怪訝な顔をしている。彼女達は恐らくは嗅いだことがないであろう匂い。
だが俺の鼻はその臭いを馴染み深いものとして捉えていた。おおよそ1ヶ月かもうちょっとぶりに嗅いだ匂い。
「醤油か!」
俺は思わずそう叫んでしまい、皆を驚かせた。
「す、すまん」
俺は縮こまり、それを見たカミロが大笑いしている。
「さすがエイゾウだな。そう、北方のショウユだよ」
「じゃあ、こっちは……」
俺はもう一つの壺を指さした。カミロはニヤニヤ笑いながら
「そっちはミソとか言ったかな」
「味噌だって!?」
俺は飛び上がらんばかりの喜びを隠しもせずに再び叫んだ。冷静になれば醤油があるのだから、味噌も存在するのは当たり前なのだが。
蓋を開けてみてみると、そちらにも俺にはなじみの深い茶色いペースト状のものが収まっていた。間違いなく味噌だ。
まず醤油の方を少しだけ指につけてなめてみる。減塩なんて言葉がないので、しっかりした
味噌の方も少し味見したが、こちらも少し甘めであっさりした麦味噌の味だった。久しぶりの懐かしい味わいに、俺の舌と胃袋がもう少し寄越せと叫んでいるが、涙を呑んでそれは堪えた。
あとで家族の皆に「やっぱりエイゾウは北方出身なんだなと思った」と言われたが。
「よく見つけてきたな」
「折良く北方とつながりのある行商人と知り合えてな。ちょっと金を積むことにはなったが、入手できた」
なんてことのないかのようにカミロは言うが、その態度からそれなり以上に大変であっただろうことは容易に窺える。
そして、入手が大変なものは高い、と言うのが世の常だ。俺もなかなかないものを生み出して客から大枚を頂いている身である。その辺はきっちり弁えたい。
「これ2つでいくらなんだ?」
「ええっとな……」
カミロが俺に伝えた値段は、俺が思っているよりも大分安かった。
「良いのか?そんな値段で」
「ああ。ある程度定期的に仕入れられる目処は立ってるし、美食家の貴族様に売る当てがある。お前達には恩を売っておいて、以後もよろしくして貰おうって寸法だよ」
「俺としてはありがたいが……」
「それに、だ」
「ん?」
「今ので確信したが、余ったらお前が残り全部買ってくれそうだからな」
そう言ってカミロは破顔する。俺はわざとらしく憮然とした顔を作るが、もちろん本気ではない。すぐに噴き出してしまい、部屋は笑いに包まれた。
「で、みんな」
そう言って俺は皆に向き直る。
「今更だけど、醤油と味噌、買ってもいいか?」
「本当に今更ね」
ディアナが呆れたように言う。
「あんな姿見せられて駄目って言える人はそうそういませんよ」
リケがそう言うと、全員が力強く頷く。俺はしょんぼりと肩を落とした。
その様子を見ながらカミロは笑って「まいどあり」と番頭さんに積み込みの指示を始めるのだった。
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