萌黄色の五線譜
夏川 俊
第1話、斜陽の軌跡
『 中点同盟 参画作品 』
「 ご紹介します。 本日より、我が、青雲学園高等学校で教鞭をとって頂く、鹿島 杏子先生です。 ・・え~、鹿島先生は、我が校を卒業された後、市立芸大にて教員課程を修了。 え~、本日より再び、我が校に帰って来られました。 音楽を担当して頂きます。 え~、在校当時、色々と『 ご指導 』頂いた生活指導の飯沼先生、また宜しくお願い致します 」
教頭の紹介に、職員室内は、どっと沸いた。
校務主任の事務机脇に立っていた女性が、二・三歩歩み出る。 職員室内を軽く見流し、ぺこりとお辞儀をした。
白いブラウスに、淡いベージュのブレザースーツ。 髪はショートで、いかにも新人といった若々しい出で立ちである。
女性は頭を上げると、自己紹介を始めた。
「 ただ今、ご紹介に預かりました、鹿島です。 青雲学園に、また戻って来れて、とても感激してます。 まだ新米ですので、諸先輩方のご指導・ご鞭撻、宜しくお願いしたいと存じます。 特に飯沼先生・・ 一段と、おハゲになって・・ 」
再び、職員室が沸く。
「 また、ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、宜しくお願い致します 」
「 おまえ、これ以上、オレの毛を後退させたら、承知せんぞ! 」
ジャージ姿の飯沼の発言で、職員室は、更に沸いた。
「 じゃあ、鹿島・・ じゃない、鹿島先生。 どうも言いにくいな・・ 席は、そちらです。 座って。 ・・え~、来る、来週の水曜の定例部会ですが、あ~・・ 保護者の方も参加されるそうなので、正面玄関の駐車場を・・ 」
席に着いた杏子は、隣の席に座っている男性教諭に、小声で話し掛けた。
「 宜しくお願いします 」
「 あ、こちらこそ・・ 高田です 」
30代半ばと思われ、杏子の記憶にはない教諭だった。 机の上には、資料や生徒の提出物が山のように積まれている。 出席簿と一緒に、太宰や新田次郎、井伏鱒二などの単行本が見え、国語か古典の教師のようだ。
「 職員室、キレイになったんですね。 私がいた頃は、もっと薄暗かった記憶がありますから 」
「 昨年、改装したんですよ。 夏の台風で窓ガラスが割れちゃいましてね、天井にでっかいシミが出来ちゃったんですよ 」
南側の天井辺りを指差しながら、高田は答えた。
「 そうなんですか。 ついでに、あの吊り下げ式の蛍光灯も、天井の埋め込み式にすれば良かったのに。 ダサイなあ・・・ 」
「 こらこら、鹿島・・ じゃなかった、鹿島先生。 私語は慎むように 」
教頭が注意する。
「 あ、すいません 」
頭をかきながら、舌を出す杏子。
「 おい、アンコ! 先生になっても、ちっとも変わっとらんの~ 」
腕組みをした飯沼が、イスに踏ん反り返りながら言った。
「 アンコじゃないですっ、きょうこですっ! そのあだ名、やめて下さいよ~! 」
またまた職員室は、爆笑の渦に包まれた。
2階の職員室から見える、校庭南の桜並木。
春のそよ風が、葉桜となった桜の木より、ピンクの花びらを舞わせている。
少し、青が強くなった空に、歓声と共に吸い込まれていくサッカーボール。
バックネットのあるグラウンドでは、野球部がウォーミングアップを始めたようだ。
校庭をランニングする女子たちの掛け声が、通用門から外へと移動していく・・・
・・・放課後の賑やかな校庭。
懐かしげに、そんな光景を窓から眺めていた杏子に、高田が声をかけた。
「 鹿島先生。 在校時代は、吹奏楽部だったそうですね 」
杏子は振り返り、答えた。
「 ええ、トランペットでした。 部活で音楽の楽しさを知り、芸大へ進んだようなものです 」
「 先生が在校されていた頃は、全国大会へも出場されたそうで・・・ 」
手にしていた湯飲みの茶をすすりながら、高田は聞いた。
「 はい。 私が、1年の時です。 その後、先輩たちが卒業されたあとは、私たちの力不足だったんでしょうね。 いい成績がとれなくて・・ でも3年間、とても楽しかったです。 部活は、高校生活の一番の思い出です 」
高田は、白髪の多い髪に手をやりながら言った。
「 随分と、『 有名人 』だったそうで 」
悪戯そうに笑う、高田。
杏子は、頭をかきながら答えた。
「 結構、やんちゃでしたね。 大人しくしていられない性格でして・・・ 飯沼先生に、無理やり吹奏楽部へ入れられたんです。 吹奏楽部は、生徒会長や学級委員なんかをしている優等生の人たちが多かったので 」
「 なるほど・・・」
高田は、湯飲みを傍らのテーブルに置くと、イスに腰掛け、杏子に言った。
「 実は・・ お願いがあるんです 」
「 私に? 何でしょうか? 」
杏子も、近くにあったパイプイスを出し、腰を掛けた。
「 吹奏楽部の顧問をやって頂けませんか? 」
「 えっ? 私が、ですか・・? 」
唐突な話に、杏子は戸惑った。
「 副顧問という事で・・・ 」
「 ・・はあ・・・ 」
「 実は今、私が顧問をしているのですが、正直、吹奏楽はまったく分かりません。 大学時代に、趣味でバイオリンを習っていただけでして・・・ 鹿島先生が在校されていた頃は、宮田先生という方が顧問をしておられたそうですが、赴任した私と、入れ違いに定年退職されましてね 」
「 ええ、聞いています 」
「 その後を次いで、私がやっていたんですが・・ 学年主任と進路指導の業務に押され、部活の方は、とんと、ご無沙汰になってしまって・・・ 」
申し訳なさそうに話す高田。
・・・母校の吹奏楽部が、衰退しているというウワサは、杏子の耳にも入っていた。 杏子自身、卒業後、何回となくOGとして様子を見に行こうと思ってはいた。 しかし、ついに実現させる事無く、今日に至ってしまった経緯がある。
「 最近の少子化の影響で、学校自体の生徒数も減少傾向にあります。 加えて、土曜部活の縮小導入もあり、部活動の時間が少なくなって来ている事も、部の衰退に拍車を掛けていると思いますが・・・ 私の指導不足が、一番大きな要因なんです 」
「 少子化の影響は、色々と問題があるみたいですね・・・ 私が教育実習で行った公立校も、部員数の少ない部活は、どんどん廃部されてました。 今、部員は何人なんですか? 」
「 ええっと・・ 」
高田は、部員名簿と思われるプリントを出した。
「 私の記憶では、15人ほどいたと思ったんですが・・ 」
「 15人・・! ですか・・・? しかも、『 ほど 』って・・・ 」
杏子は、愕然として聞いた。
高田は、プリントを杏子の前に差し出しながら続ける。
「 その青色マーカーが引いてある生徒は、いわゆる幽霊部員です。 黄色は、ほとんど部活に出て来ない子。 全部足しても16人ですね 」
「 あの・・・ これ、ほとんど色、付いちゃってますけど・・・? ってゆうか、活動してる子、3人ですか・・・? 」
全くノーマークの名前は、3人だけだ。
・・・終わった、という感じである。
「 申し訳ないです。 お恥ずかしい限りですが、それが今の現状です 」
・・・わずか5・6年で、こうも変わるものなのだろうか。
杏子が在籍していた頃も、確かに、そんなに多い部員がいた部ではなかったが、この状態は、あまりに酷過ぎる。 中学の場合、生徒自身が、まだまだ子供である為、絶対的な指導者が必要かと思われる。 顧問が代わり、とたんに衰退してしまった部の話をよく聞く。
しかし高校の場合、活動は生徒自身で運営し、顧問はマネージメント的な存在だけの学校は多い。 適当な指導者が不在で、それでも活動を停滞させないようにするには、このような態勢にしていくしかないだろう。
そうなるためのアプローチは、やはり部員自身に演奏だけではなく、運営をしていく面白さを経験させる事にある。 企画などの経験をさせ、その構想から生まれる将来的なビジョンを部員に持たせる事にあるのだ。
それを培った杏子ではあるが、ほとんどの部員の名前に色が付けられた名簿を前に、返す言葉も無かった。
高田が言った。
「 当然、廃部も考えましたが、伝統ある吹奏楽部を、私の代で消滅させるのもどうかと思いまして・・・ 何とか10名以上の、この部員名簿で存続させている次第です 」
ため息をつくと、杏子は言った。
「 しかし、この部員数では・・・」
「 活動そのものが無理である事は、素人の私でも理解出来ます。 でも、その名簿にある部長の『 沢井 』って子、生徒会長なんですが・・ とても熱心でしてね。 委員会がある日以外は毎日、1人で黙々と練習してるんですよ。 希望進路は、芸大です 」
名簿には、3年とある。
「 ユーフォニウムかあ・・・ 沢井 恵子・・ 」
「 その子の為にも、せめて練習場所ぐらい確保しておいてやりたいんです。 無理なお願いとは思いますが、何とか引き受けて頂けませんか? 」
杏子は、コピーを受け取ると高田に言った。
「 ・・わかりました。 元の姿に戻す事は、不可能だと思いますが・・ 何とか、部室から、楽器の音が聴こえて来るのを絶やさないように頑張ってみます 」
自信は無かった。
しかし、かつては自分も所属していた吹奏楽部・・・
廃部寸前の現在の姿を、実際にこの目で確かめたい気持ちもあり、とりあえず杏子は、副顧問の話を承諾した。
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