第3話 とりあえず願いは叶った

「どうしてイオリは今、裸なの……?」

「違うんだ」


 頬を赤らめて顔を逸らすシャルからの質問に、間髪入れずに否定を挟んだ。

 だけど状況は何も違っておらず、服を着ていない事実は覆らない。


 間違いなく裸だった。


 ……しかしどうしてだ? 思わず首を傾げてしまう。

 吹きすさぶ風の寒さから俺を守ってくれる、暖かくて素晴らしい衣服はどこへ行ってしまったのか。皆目見当がつかない。

 質問したということは、シャルが脱がせた訳じゃないだろうし……。


「まず聞いて欲しい。これは不可抗力なんだ」

「う、うん……そうなんだ」


 恥ずかしそうに、もじもじしているシャルはとても可愛らしいんだけど、傍から見るとひょっとしてマズいのでは?

 これでは俺が、無理やり美少女に裸で迫る変態になってしまう。

 言われもない風評被害はごめんである。

 早く、早く思い出せ。頭をフル回転させるんだ。


 順を追って思い出していけば、必ず答えに辿り着けるはずだ……!


「俺が北の国から、この南の果てにある世界樹を目指して旅をしてきたことは話したよね」

「うん、本当はそのことにも言及したいんだけどね……」

「だけど誰も船を出してくれないことが分かって、イカダを作ったんだ。えっと、それでいざ理想郷へ行かんと海に出て、荒れ狂う波にも負けず、えっちらおっちらと力の限り木の板をオールにして漕いで……」


 く、マズい。今の所どこにも服がなくなる要素がない。


「あ、そうだ! 途中で何かに襲われたんだよ、もう少しで辿り着くってところで、海から何か茶色くて太い触手が出てきてさ、イカダを粉々に砕いたんだ。それで海に投げ出されて大ピンチってわけさ」

「…………そ、そっか……大変だったね……」


 なんて重い表情なんだ……。

 これは、うん、まったく信じられていないな。

 頭のおかしい奴だと思われているに違いない。


 無理もない。

 俺も当事者じゃなかったら、「海ででっかい触手に襲われたんです」なんて与太話は信じないだろう。

 しかも触手の色は茶色だ。これが赤色とかなら、ハハッ御伽噺に出てくるクラーケンにでも遭遇したのかな、と笑い飛ばせるのに。


 どうにか悪印象を払拭したいけれど、これ以上は何て説明をするべきか……悩むな。


「あの、イカダが壊れたから島まで泳ぐことになったんだよね?」

「その通り。ここまで来て諦めてたまるか! と泳ぎだしたんだよね」

「イオリが裸なのは不可抗力なんだよね。その、まさか触手に襲われて……?」

「いや、そんなエロい目的の触手じゃなかったよ。アレは間違いなくイカダだけを狙ってきてた」


 そう、そこで問題が発生したんだ。

 突然島まで泳ぐことになって、精神的にも肉体的にも辛かった。だから溺れまいともがきながら考えた。そりゃもう頑張ったのだ。


 ああ、そうか。そういうことだったのか……。


 あれは俺が島に辿り着く為に必要なことだったと、先に伝えておく必要があるな。


「完全に思い出したよ。俺が裸なのはね、そう――泳ぐときに服が水を吸って、とても重かったからなんだ」

「あぁなるほど、自分で脱いだんだね……」


 不可抗力じゃなかった。


「話を変えよう。ともかくここは『ユグドラシル』なんだよね?」

「待って。話を変えないで。その前に服を着た方がいいと思う……!」

「もっともだね。だけどもう服は海の底なんだよ、困った困った。アハハ」

「ちっとも困った様子じゃないんだけど!」


 怒っているシャルの顔は赤い。

 俺が体を動かす度に、下腹部の一部も揺れるからだろう。見苦しくて申し訳ない。


「グエグエ!」

「いって。だから蹴るなよもう……」


 ペンギンからも、セクハラするなと怒られてしまった。

 動物の方が倫理観が整っているとは問題だと自分でも思う。


 実際なところ、いつまでも手で隠しているわけにもいかないだろう。


 実はあんまり困ってないけれど。

 北の国で育ったからか、ここは俺にとって暑すぎるんだよなぁ。

 ふんわりと冷たい風が気持ちいいくらいだ。


「もう、私が用意するからそれを着てね?」


 そう言ったシャルの体が、また光に包まれた。

 そして手にその光を集めていく。ああ、なんて神秘的な光景なんだろうか。


「はい、これ。急ごしらえで面積足りてないけど」

「ありがとう! ……なるほど、面積足りてないね」


 葉っぱだった。

 大きな葉っぱを手渡された。これでは大事なところしか隠せない。


 かろうじて腰に巻けるので、そうしてみる。

 葉に小さく生えている毛が敏感な部分に当たって変な感覚だ。


「あのさシャル、さっきから気になってたんだけど……それって精霊術エレメントだよね?」

「うん、そうだよ」

「シャルってこのユグドラシル出身なのかな」

「ううん、私は西の国『シルフィ』で生まれたんだ」

「え、それじゃあ、風の精霊術しか使えないんじゃ……?」

「……うん、ここに来てから私は、樹の精霊術を自由に使えるようになったの」


 なんだか暗い表情になってしまったが、その返答で確信を持つ。


「すごい。やっぱりここは、どんな願いでも叶う場所だったんだ……」


 自分を慕う人間以外は受け入れないほど嫉妬深いはずの精霊が、他国からの流れ者を受け入れるなんて通常では有り得ない。


「イオリ。そのことで、話があるの」

「なんだか真剣な表情だね……。聞きましょう、何の話かな」


「その、ね。なんでも願いが叶うって噂は嘘なの、ここはそんな良い場所じゃないんだよ」


「……冗談だよね?」

「ううん、本当。だからすぐに故郷に帰った方がいい」

「…………」


 シャルが嘘を言っているとも思えなかった。

 眼を見れば分かる。この子は会ったばかりの俺を心配してくれている。

 イカダを作り、泳いで、溺れてまでして、ようやく辿り着いた俺の身を案じて「島から出て行け」と言っているんだ。


 だけど、解せない。どうしてそうなる?


 契約の鞍替えなど、通常では有り得ないことが現に起こっているのを確認した。

 そして北の果てにある国にまで、その噂は広がっていたんだ。実際に願いを叶えてもらった人がいるから、そうやって他国へ話が繋がれていったんじゃないのか。

 樹の精霊術の使用だって、シャルは願いを叶えてそうなったんじゃないのか……?


 シャルの表情は、どうしても船は出せないと言っていたあの人達と似ている。

「あそこには行かない方がいい」「悪魔が居るから、近寄っちゃダメだ」と何度も忠告された。


 その時は逆に、あまりにも真に迫っていて信頼が置けたんだけど。


「どうにも分からないな……。願いを独占したいから、という訳じゃないんだろう?」

「そうじゃないの。ごめんなさい、詳しい説明は出来なくて」

「実は精霊なんか居ないとか?」

「……ううん、ちゃんと居るよ」

「良かった。ありがとう。そこが嘘じゃないなら、後は自分で確かめるよ。精霊様に聞いてみて、それでダメだったら諦めることにする」

「イオリの目の前にいる子がそうだよ」

「…………え?」


 視線を下にさげると、奇妙な生物が目に入ってくる。


「グエ」


 このペンギンが樹精霊なの?


「精霊、ドライアド様……?」

「グエヘヘヘ」


 笑ってる……。ペンギンが汚らしく笑ってる。

 いや、人間は見た目じゃない。それは精霊にだって当てはまるはずだ。


 こんなにも早く出会えるとは、やっぱり俺はついている。

 世界から拒絶されたとか、そんな風にスネてみたけど、そんなことはなかったんだ……。


「ドライアド様。どうしても叶えて欲しい願いがあってこの島へ来ました」

「グエック」

「あのねイオリ、その子はね……」

「まあシャルも聞いてくれ。俺には夢があるんだ――『世界最強の剣士』になるっていう、幼馴染と約束した、とても難しく壮大な夢が」

「プッ、グエグエ~」


 ……いまコイツ笑った?

 このペンギン精霊、人生の全てを懸けて追いかけてきた目標を、軽く嘲笑しやがったのかこの野郎。


「最北の国サラマンドラ……大陸随一の軍事国家って聞いてる。大陸の東側を支配した闇精霊の国とずっと戦ってる、国民全員がとっても強い大国だって……」

「うん、そこで俺は落ちこぼれだったんだ。なにせ精霊と契約できなかったからね」

「……え? 精霊と契約できない?」

「グエ」

「驚くのも無理ないよね、そんな人間、他に見たことないし。でも本当なんだ」

「……それで、旅に出てこんな遠い場所に……?」

「ああ、精霊に嫌われている俺でも、どうにか精霊術に対抗できる手段がないかと思ってね。できるなら俺もドライアド様と契約したい所だけど……」

「グエック!」

「そんな……。この子がそんなこと言うの、初めて聞いた」


 シャルは精霊を見て驚愕の表情を浮かべていた。

 俺にはグエグエとしか聞こえないんだけど、なんだろう。契約したら精霊の言葉が分かるとか……?


「えっと、精霊様はなんて?」

「イオリのこと“ぶっ殺したい”って言ってる」


 神様、口わる……。

 本当にそう言ってるのか?


「グエ」


 頷かれた。言葉はなくても、問いかけは通じたらしい。

 やはり俺が精霊と契約し、精霊術を使えるようになるのは無理なのか。


「…………」


 べ、別に泣いてないし。予想していたことだ。

 それに俺の夢は、精霊術を使わない状態で最強になることだし、気にしてないし!


「残念だけど、イオリの願いは叶わないものだったね。気を落とさないで、なんとか島を出る方法を、私も一緒に考えるから……」

「いいや、違うよ。まだ願いは口にしてない。俺がここに来たのはね――最強の剣士に相応しい武器を手に入れる為なんだ」

「え……?」

「常々思ってたんだよ、普通の武器じゃ精霊術には対抗できないってね。脆すぎるんだ。ただの剣じゃ一度戦っただけで、相手の精霊術によって壊されてしまう。俺が未熟なせいもあるんだけどね」

「待って、イオリ」

「俺には夢がある。共に育ち、共に修行をしてきた幼馴染と、世界最強を目指すと誓い合った。そして一年後に開催される『近衛騎士選抜』で決着をつけようと約束したんだ。だから俺は精霊術と渡り合える手段を手に入れる必要があるんだ。故郷に帰る前に、絶対に願いを叶えてもらう」

「グエ、グエ」


 分かってくれるか、精霊様よ。


 ああ、きっと俺は舞い上がっていたんだろう。

 故郷を飛び出し、目指した場所に辿り着いて、念願の機会を得られたことに。


 命を懸けてまで忠告してくれたシャルロットの言葉を、聞けばよかったのに。


「ドライアド様、どうか俺の願いを聞き入れて欲しい――」

「――だ、ダメ!! その子に願いを言っちゃ、取り返しがつかなくなる!!」


 制止の声は、一歩遅かった。


「俺に、『イオリ・ユークライアに精霊術に対抗できる最強の剣をください』!!」


「グエックー!!」


 勢いの良い返事と共に、ペンギンの体が眩く光る。

 暗闇に包まれた夜空すら明るく照らされ、その身に奇跡が顕現するのだ。


 光が収まるころ、俺の手には――


「……ぼくとう?」


 すらっとした木の棒が握られていた。


 …………おやおや?


 えっと、これ、木刀だよね。

 一応振ってみる。……うん、間違いなくそうだ。何の変哲もない、ただの棒。

 いや剣としての形状は保っているけど、なんだか想像と違ったな~。


 がっくりと、浜辺に手を付いて落ち込むシャルは力なく言葉を出す。


「ああ、遅かった……。私が無理やりにでも止めていれば」

「グエッケッケッケ。グエグエ~」

「……あの、この子が言うにはね、それは間違いなく最強の武器だって。折れず、曲がらず、決して壊れない、精霊術を受けてもヒビすら入らない、むしろ効果を打ち消せるほどの力を持った樹の精霊剣なの」

「おお、凄い! なんだ、見た目と材質は木刀だけど、ちゃんとした力が込められて……」


「だけどその効果は、この世界樹『ユグドラシル』がある島の中でしか、発揮されないんだって、そう言ってる。他国に持っていった時点で、ただの木刀でしかないって」


「それじゃ意味ねーじゃん!!!」


 手に入れた伝説の剣(木刀)は、地域限定だった。

 ああ、幼い頃に見た夢よ。幼馴染と決着を付けると決めた遠き日の約束よ。申し訳ない。力及ばず、まだ故郷に帰れそうにありません。


 ――そう簡単に願いは全て叶わない。


 やっぱり運命様は、俺に対して特別優しくはなかったみたいだ。

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