第2話 流れ着いた男

 この世界には、七柱の神がいる。

 それぞれ火、水、風、土、樹、光、闇を司る精霊であり、恭しく各国で祭られている。


 神と称したように、それは自然のエネルギーがそのまま形を成した存在であり、世の理を左右するほどの力を秘め、その力をもって世界を造り出したと語られていた。


 精霊は人間を庇護下に置き、またその力を契約によって貸し与えた。

 自身を慕う人間を囲い、国民として歓迎する。


 しかし精霊は、自分以外の精霊を慕う人間にはとても冷たい……。

 それが信仰する精霊ごとに国を分ける、一番の理由になっていた。


「――! ――ねぇ、起きてよ!!」


 瞼を開けると、なぜか目の前には美少女の顔があった。

 まるで装飾品のように鮮やかな銀色の腰まで届くほど伸びた髪、長くて細いまつげ、ぱっちりとしているのにそれでいて上品さを失わない瞳、すらっとして高い鼻、小さくて柔らかそうな口、背景が夜空だからか、とても映える白い肌……。

 他にも色々と特徴を挙げたいけれど、言葉にするとそれだけで一日が終わってしまいそうだから省略する。空気を読める男を目指していきたい、そんな17歳です。


 よろしくお願いします。


 ともかくだ。なぜか目の前に天使がいた。

 人体を構成する全てが、美しさを連想させる女の子だ。


 ここは天国か? 俺はもしかして、死んでしまったんだろうか。


「グエ~……」

「…………え?」


 女の子の隣には、とても奇妙な生物がいた。

 なんだ? なんだこれ、いったいなんの動物なんだろう。

 実際に見たことないけど、もしかしてこれがペンギンってやつなのかな。不細工な顔だなぁ。眉毛とか生えててちょっと不気味だし……。


 いた、痛いって、くちばし?でツンツンすんなよ。


「良かった、目を覚ました……!」


 女の子はとても心配そうな顔で、俺を見ている。

 少し涙目だ。そんなに熱く見つめられると照れてしまう。


 心配は要らないと、笑いかけようとすると――ズキリと、体に痛みが走った。


「――いってええええぇぇっ!?」


 胸が痛い、胸の内側が痛い、体の中が尋常じゃなく痛い!

 なんだ、何が起こっているんだ。どうしてこんなに体が痛む。


 もがくと余計に痛いので、本能のようにじっと激痛に耐えた。


 …………。


 耐えるだけでは解決にならないようなので、とりあえず起き上がろうと体を起こした。


「ぐ!? げ、ぁ――」


 上半身を起こしたら、次は口から水が出てきた。

 げほげほと咳き込んで、呼吸困難に陥ってしまう。


「げほ! げふ、はぁ、ぁ、えほっ、な、何がどうなって……」

「だ、大丈夫……?」


 ああ、見知らぬ女の子が背中をさすってくれていた。

 ありがたい。正直言うと体を触られるとすげぇ痛いから止めて欲しいけど、それでも優しくしてくれてとても嬉しい。好きだ。


 なんとか痛みに耐えながら、周りを見る。


 ああ、浜辺だ。

 浜辺にいるんだ。周りには海があり、砂の上で俺は倒れていた。ざざーんと、波が寄せては返す音が耳に入る。心地いいなぁ。

 頭上で瞬いている星が、とても綺麗だ。


 えっと、ここはどこ?


「あ、の、君はいったい……何で、俺は……」

「待って。無理に話さないで、いま治すから」


 そう言った途端、女の子は光に包まれる。


 ――『精霊術エレメント


 この世の根幹を成す力であり、世界を造ったと謳われる精霊たちと契約を交わし、その力を顕現させる奇跡の御技。

 気が付けば女の子の手にはひとつの小さな赤い果実があり、そっと差し出された。


「食べて」

「え?」

「早く、そのまま飲み込んでくれれば大丈夫だから」


 有無を言わさぬ迫力に押され、言われるがままに果実を飲み込む。

 その効果は、すぐに現れた。


「痛みが、引いた……。これ、君が?」

「うん、もう大丈夫そうかな?」

「ああ、もうすっかり。今なら逆立ちだってできる気がする」

「……ふふっ、なに言ってるの。まだ本調子じゃないんだから、無理はしないでね」


 柔らかく微笑む女の子、それに見惚れる俺。

 ああ、いい雰囲気だ。


「グエ!」


 ゲシ、とペンギン?から蹴られる。

 なんなのお前、さっきから俺と美少女の二人きりの空間を壊しやがって……。


「ところで、どうして俺の胸は痛かったんだろう。なんだか骨が折れていたような痛みだったんだけど……」

「えっと……それは、その……」


 その問いかけを受けて、女の子は眉を寄せて困り顔になってしまう。


「あ、いいんだ! 変なことを聞いたよね、別に本気で知りたかった訳じゃないから大丈夫。君のおかげで俺は助かった。それだけ分かればそれでいい」


 なんとか勢いだけで質問を終わらせた。

 もしかしたら、何か事情があるのかもしれない。だけどいいんだ。女の子が困るくらいなら、俺が事情を知らずに困るほうがいい。


 それに、状況を辿れば自分で答えに辿り着けるかもしれないし。

 そうと決まれば思い出してみよう。どうしてこんな状況になったのかを考えよう。


 ……あれ? そういえば、遠くに見えるバカでかい樹を目指して海を渡っていたはずじゃなかったっけ。

 それがどうして砂浜なんかに倒れて…………あ。


「あ、あのさ! もしかしてここって『ユグドラシル』なのかな?」


 世界のどこからでも見える、と語られるほど背の高い樹。世界樹『ユグドラシル』がある、絶海の孤島。

 その麓にあるという理想郷、どんな願いでも叶うと言われる奇跡の街。


 精霊に嫌われた俺でも、精霊が奇跡を与えてくれるかもしれない場所……。


 女の子は何故か少し悲しそうに、頷いてくれた。


「うん、ここは『ユグドラシル』だよ。樹精霊ドライアドが棲まう場所、神様の加護を受ける小島……」

「……い」

「い?」


「いやったああああああぁぁぁ!!」


 ついに、ついに俺は辿り着いたんだ!


 通常ならば自国を守護する精霊としか契約を交わせない中で、流れ者でも受け入れるという例外中の例外。

 ――人間の好き嫌いが激しくないと噂の樹精霊ドライアドが棲まう島に。


「ありがとう、本当にありがとう! 君に出会えて良かった!!」

「え、え……? どうしてそこに私が出てくるの?」

「だって君がいないと、きっと俺は死んでいたんだろう? 命の恩人だ」

「……そっか。確かに、そうかもしれないね。えへへ」


 ふむ、天使の微笑みか……。

 そろそろ自重してくれないと、惚れっぽい俺はすぐ好きになってしまうから大変だ。


「あの、キミはどうやってこの島に? 今ここと交流を持つ国はないはずだけど」

「ああ、泳いで来たんだ。この島には船は出せないってケチくさいこと言われたからさ」

「お、泳いでって……対岸までどれだけ距離があると思って……」

「分からない。50キロくらい?」

「どうなのかな。多分その倍はあると思うけど……」

「そっか、まあ大した問題じゃないよ。どの道、泳いで辿り着ける距離じゃないってことは分かってた」

「えぇ、それじゃあどうして泳いで来たの?」


「うん。どう考えても泳いでこの島に来るのは無理だと思った。そのくらい遠くにあるのは一目見て分かったんだ。かといって誰も船を貸してくれない。どんな願いでも叶う場所のはずなのに『あそこには悪魔がいる』とか訳の分からないことを言ってね。だから考えたんだ。あ、船を借りられないなら作ればいいんだって。という訳で、木をたくさん切って、イカダを作ったんだ」


 あれは中々に傑作だった。なんと二階建て構造で、ちゃんと寝室まであるんだから。

 初めて作ったにしては、割と見栄えもよかったと思う。


 ただ唯一の欠点は、航海に使うには頑丈さが足りなかった点だ。

 ちょっとでも波で揺れれば、イカダの上に留まることも難しかったな……。


 それも仕方ない。小さい頃から剣術は習っていたけど、何かを作ることは学んでいなかった。理想に現実が追いついていないのは悲しいことだ。


「そのイカダも、海を渡ってる途中で壊れたんだけどね。だから途中からは泳ぐハメになったんだ」

「ああ、なるほど、この島に来ることが諦めきれなかったんだね……。できれば海を渡ろうとする前に結果を予測して『イカダじゃ無理』だって判断して欲しかったけど、本当に助かってよかったよ」

「はは、この世に無理なことなんてないよ。何事も、やってみなくちゃ結果は分からないだろ?」

「うん、イカダは壊れたけどね……」


 そんな哀れそうな眼差しで見つめないで欲しい。興奮する。

 女の子からキミと呼ばれるのは悪くないけれど、そろそろ名前を覚えてもらおう。


「俺はイオリ、『イオリ・ユークライア』。よければ恩人の名前を教えてもらえないかな」

「あ、名前? 私は『シャルロット』、でもシャルって呼ばれることの方が多いかな」


 綺麗な名前だ。ぴったりだな。


「シャルロット……。うん、覚えた。名字は?」

「名字はないの。えっと、ユークライアくん?」

「イオリでいいよ。そっちは呼ばれ慣れてなくてさ」

「そっか。じゃあ私のこともシャルって呼んで?」


 二人で顔を見合わせて、笑いあう。


「グエック!」


 ペンギンが体当たりしてきた。

 なぜ俺だけに……。まあ、シャルを傷つけられるよりはずっとマシか。


「えっと、私からも一つ、聞かせてもらっていいかな……?」

「ああ、何でも聞いてくれよ。命の恩人であるシャルからの質問だ、たとえ知らないことだって全部答えてみせる」

「そ、そう。そんなには意気込まなくて良いんだけどね……。多分知ってると思うし。あの、イオリはここに来ようと思って、旅をしてきたんだよね?」

「その通り、俺はここからずっと北にある火精霊の国『サラマンドラ』から来たんだ。いやぁ長旅だったよ」


 もじもじと、シャルは少し言い辛そうにしながら、頬を赤らめてこう問いかけてきた。


「それじゃあ、どうして貴方はいま、裸なの……?」


 その問いかけに、


「違うんだ」


 そう反射的に答えていた。

 もちろん裸である事実は、何も違ったりしないんだけど。

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