第05話 ほ の か
穏やかな波の音に、ゆっくりと目を開いた。
ごろり仰向けになるが、降り注ぐ陽光が眩しく、手で目元を隠す。しばらくそのまま横になっていたが、やがてゆっくりと上体を起こした。
薄緑のジャケット、タータンチェックのスカート。
高校の、制服姿である。
ふと気づいたように、首を動かして、周囲をきょろきょろ見回した。
あおい、しずか、ひかり、
親友の姿は、どこにも見えなかった。
いるはずが、ないのだ。
もちろん、はるかも。
「そっか」
ほのかは、両膝を抱えると、間に顔をうずめた。
「私だけ、残っちゃったのか……」
寂しげに呟くと、顔をちょっと持ち上げて、海を見た。
陽光にきらきら輝く海。
押しては返す波の、さやさやと、小川のせせらぎにも似た優しい音。
空を見上げながら、右手で砂を軽くなでた。
と、その時であった。
地が、揺れ始めたのは。
ぐうらぐうらと、かなり大きな地震だ。
ほのかは、あまり興味なさそうに海を見続けているが、
その揺れは、おさまるどころかどんどん激しさを増していく。
ばっ、とほのかは慌てたように立ち上がっていた。
その顔には、驚きが満ちていた。
地震の恐怖に、ではない。揺れに押し上げられるように、地中から巨大な金属の塊が出現したのである。
それは、天窮界の遺跡、つまり先ほどまで戦っていた宇宙の浮遊島で見た、飛行船のような乗り物であった。次元の裂け目に、はるかよりも少し前に飲み込まれて消えたはずの。
見間違えようはずがない形状のものであるが、ただ、これはどうしたことか、外装が先ほど見た時とはまったく異なるものになっていた。
全体があますところなく激しいサビにおおわれて、ボロボロの状態なのである。
外壁を指でつつけば、簡単に穴が開いてしまいそうだ。
地中に埋もれたまま、数千年、いや数万年の時を眠っていれば、このようになるだろうか。
ということは、さっき見たのとは別のもの?
そんな疑問が浮かんだのか、ほのかは、ちょっといぶかしげな顔になって、ゆっくりと、その巨大な飛行船へと近づいていった。
びくっ、と肩を縮ませた。
一メートルほどの距離にまで近寄って外壁の観察をしていたところ、ハッチと思われる扉が、劣化をまるで感じさせることなく、シュイと小さな音を立てて瞬間的に開いたのだ。
警戒心を満面に浮かべ、そおっと中へ入った。
ベージュ色の壁がぼーっと淡く発光している通路を、足音を消して進む。
すぐに行き止まりになった。
扉が一つある。
その前に立つと、扉脇にある認証装置のようなものに手をかざしてみた。
なんにも、起こらなかった。
と思われたその瞬間、ぷしゅーーーーーっと気体の漏れる音が聞こえ、また、びくりと肩を震わせた。
扉の隙間から、もわもわと白い気体が漏れ出てきた。その、あまりの冷たさに、ほのかは、自分の身体を抱くようにして腕を組んだ。
その扉が、
シュイ、と一瞬で開き、
「うわ」
と、ほのかは驚き後ずさり、通路の壁に背中をぶつけた。
開いた扉から、恐ろしく冷えた空気が、通路へと流れ込んできた。
おそらく先ほど部屋の中から聞こえたのは、冷気を抜いている音だったのであろう。
つまり少し前までこの部屋は氷の世界だったのだ。
部屋は真っ暗であったが、突然、壁や天井が青白く発光して、闇を照らし出した。
壁と扉だけの、他になにもない部屋であった。
いや、
調度品や、機器装置といったものは、確かになにもないが、
床の中央に、
小さな、おそらく女の子、が一人、
身体を丸めて横たわっているのに、ほのかは気付いた。
四歳か、五歳くらいだろうか。
びっくりしたが、驚きおさまると、不安そうな顔でそおっと近寄って、四つん這いになり横顔を覗き込む。
すー、
すー、
寝息。
ほのかは、胸をなでおろし、ふーっと安堵のため息を吐いた。
改めて、その横顔を見る。
人形のように可愛らしい、寝顔であった。
そおっと伸びるほのかの手。女の子に触れる寸前で、ぴたりと止まっていた。
女の子の目が、ぱっちりと開いていたのである。
くい、と首が動いて、真上から覗き込んでいるほのかと、目があった。
その瞬間、ほのかの目は驚きに見開かれていた。
「はるか、ちゃん……」
しばらく呆然としているほのかであったが、苦笑すると、首を横に振った。
「お姉ちゃん、誰?」
女の子は、上体を起こしながら、愛嬌のかけらもないぶすっとした表情で尋ねた。
「私は、ほのか」
名乗り、微笑んだ。
「ほ の か」
女の子は、ゆっくり腕を持ち上げて、ほのかの顔を指さした。
「そう。ほのか」
ほのかも、自分の顔を指さして、改めてにっこり微笑んでみせた。
「あなたは、だあれ? お名前は?」
と、今度は、ほのかが尋ねた。
女の子は、ぶすっとした顔のまま、壁を見つめている。
呼吸が、段々と荒くなっていた。
突然、狂乱したように叫び、立ち上がった。
泣き始めた。
大声で、言葉にならないような言葉を吐き出しながら。
「ずっと、ずっと、ずっと、ずっとっ、暗い、暗い、暗いところにいた。一人きりで、ずっと、ずっとっ! 怖かった。怖かった! 怖かった! 怖かった!」
ぼろぼろ大粒の涙をこぼし続けている女の子を、ほのかは優しく微笑みながら、ぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫。もう、大丈夫だから。私が、いますから」
と。
女の子も、ほのかを強く強く抱きしめ返し、そのままわんわんとむせび泣き続けた。
やがて、狂乱したような状態もだいぶ落ち着くと、目をこすりながらえくえくとしゃくり上げている女の子に、ほのかは尋ねた。
「名前、思い出せないんですか?」
問いに、女の子は無言で首を縦に振った。
「なら、思い出すまでの名前を考えないとな。……はる、じゃなくて、ええと、こはるちゃんというのは、どうですか?」
「こはる?」
女の子は、小さく首を傾げた。
「似てるんです。はるかちゃんという、素敵な女の子に。そこからちょっと分けてもらって、こはる。……いやですか?」
「悪くはない」
女の子は、首をぷるぷる横に振ると、つまらなそうな仏頂面のままそう呟いた。
なんとも不器用そうな態度がおかしくなったか、ほのかは声を出して笑った。
「いきましょうか、こはるちゃん」
ほのかは、女の子……こはると手を繋ぎ、部屋を出、ボロボロの飛行船から外へと降りた。
降りて、ふと振り返ると、そこにはもう、飛行船は存在していなかった。
砂浜の上に、錆びた金属粉がさらさら散っていたが、風にかき混ぜられて、それがそこにあったという痕跡を残すものは、もうなにもなく。
ただ二人が手を繋いで砂浜に立っているという現実があるばかりであった。
優しく輝いている太陽を、ほのかは見上げた。
エンディングテーマが、流れ始めた。
後期より使用されている、「素敵だね」である。
砂浜を歩くほのかたち。
場面が、ほのかの家に切り替わる。
小さな家に、父、母、ほのか、こはる。
こはるは、相変わらずぶすっとしたつまらなそうな顔をしている。
日曜大工をする父を見ているこはる。
こはるは真似して、真似どころか素晴らしいテーブルを作り上げてしまう。
料理を作る母を見ているこはる。
掃除しているほのかを見ているこはる。
ほのかの、手編みのニット帽をかぶせてもらうこはる。
あまりの下手さに、ほつれてボロボロだが、ほのかのはもっとボロボロだ。
笑い、謝るほのか。編み直そうと、返してもらおうとするが、こはるは渡さす、かぶり続ける。
なお流れているエンディングは、最終回ということでフルバージョンである。
♪♪♪♪♪♪
そっと目を閉じていた
波音ただ聞いていた
黄昏が線になって
すべてが闇に溶け
気付けば泣いていた
こらえ星空見上げる
崩れそうなつらさの中
からだふるわせ笑った
生きてくっていうことは
辛く悲しいものだけど
それでも地を踏みしめて
歩いてくしかないよね
笑えるって素敵だね
泣けるって素敵だね
もう迷わず
輝ける場所がきっと
待っているから
星は隠れ陽はまた登る
暖かく優しく包む
永遠の中
出会えたこの奇跡に
どこまでも飛べる きっと
幸せは大きいより
ささやかがいいよね
胸のポケットに入れて
大切に育てられる
もし見失って
立ち止まっていたら
そのまま耳を澄ませば
必ず呼んでいるから
この世にいることに
意味があるかは分からない
それでもその笑顔を
守りたいと思うから
笑えるって素敵だね
泣けるって素敵だね
強がらずに
優しさを分かち合おうよ
意味など考えずに
見上げれば青い空
大地には花 風は静か
信じてるから
もう二度とない奇跡に
また歩き出せる きっと
この世にいることに
意味があるかは分からない
それでもその笑顔を
見ていたいと思うから
笑えるって素敵だね
泣けるって素敵だね
この懐かしい
地図を確かめながら
風になでられながら
悲しくても笑うんだね
嬉しくても泣くんだね
生きているから
生まれたこの奇跡に
小さな花が心に咲いた
♪♪♪♪♪♪
ほのか、ほのかの父、母、みんなに囲まれている幸せに、何故か泣き出すこはる。
やがて泣き止み、そして、笑った。
それはとろけるような、天使の笑顔であった。
「なんで毎日毎日、こんなに落ち葉が出るのかなあ。毎日毎日かいているのになあ」
ほのかは、腕を組んで難しい顔をしている。
巫女装束。
神社でアルバイト中である。
目の前には、枯れ葉が積み上がっている。
手にしたほうきで、かき集めたばかりだ。
「ほのか、これはここでいいのか?」
離れたところで、ぶすっとした顔の女の子、こはるがキャスター付きの椅子をがらがら転がしている。ほのかのお手伝いをしているのだ。
「はい、そこに置い、って持ってきてるものが違いますう! 脚立ですってばあ!」
まったくもう、と駆け出そうとした瞬間、
突然吹いたつむじ風が、ようやくかき集めた落ち葉を、くるくる巻き上げ境内中にぶちまけてしまった。
「あああーーーーーっ! ……あーあ」
しょんぼりがっくりのほのかであったが、次の瞬間、その顔に驚きが満ちていた。
顔を上げた。
『いまの風、まさか……』
きょとんとしているほのかであったが、その顔に、じわじわと、笑みが浮かんでいた。
「どうかしたの?」
こはるが、不思議そうに首を傾げている。
「なんでもないっ!」
元気な声を出すと、
ほのかは笑顔を上げ、
こはるへと、走り出した。
魔法女子ほのか
第一部
完
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