いたくないっ!

かつたけい

第一章 俺のアニソン

第01話 誰かおいらにアニソンを

 人生で最大級の挫折を味わった。

 俺の心の傷を癒すために、誰かアニソンを作ってくれ。

 神曲キボンヌ。



 やまさだはデスクトップPCのキーボードを、異様にぶっとい指で器用に叩いた。

 ネット掲示板へのコメントを打ち込んだのだ。


 ふーっ、だか、ぴゅうーっ、だか鼻笛の半分混じったような溜息を吐いたかと思うと、彼は突然、う、と声を詰まらせた。


 眼鏡を持ち上げて、シャツの袖でまぶたをゴシゴシ拭うと、ティッシュを一枚取って、ぶちびびびいっと勢いよく鼻をかんだ。


 緑色のねばっこい鼻水紙を、広げて袖机の上に置いた。

 乾かして再利用するためである。

 もったいないというより、使いきった後に新たなティッシュ箱を一階から持ってくるのが面倒なだけだ。


 ふーっ、とまた息を吐きながら、滲む涙を、指で拭った。


 さて、山田定夫はどうして泣いているのであろうか。

 もちろん理由はある。


 本日、というかつい先ほど、とてつもない百メガショックが彼を襲ったのだ。


 説明するためには、まず巷で人気のWebブラウザゲームである「こうくうじよていしんたい」について語らねばなるまい。


 挺身隊とは、戦争時に銃後の雑務をこなす女性たちのことである。


 このゲームでは、戦場の人員不足、男性不足のため、挺身隊の中から素質ある女子が選ばれて、戦闘機のパイロットになって戦うのだ。


 定夫が作成し、今日まで半年もの間、育成していたのは、よしざきかなえというパイロットだ。


 毎日毎日、三時間から四時間ほども育成していたであろうか。


 しかし、

 所属する小隊の中で、常に劣等感に悩んでいた彼女は……

 特訓と実戦を重ねて経験を積み、自身をそれなりに成長したと思い込んでいた彼女は……

 プレイヤー、つまり守護英霊である山田定夫のアドバイスを聞かず、小隊の仲間によいところを見せようと単身で仏蘭西フランス空軍に突っ込み、大破。

 東シナ海の藻屑と消えたのである。


 これまでずっと、一緒だったというのに。


 キャラ作成時の能力値ボーナスポイントが低目であったため、育成を頑張って取り戻そうと、高校から帰宅するとすぐにPCを起動し、東京TXテレビの「はにゅかみっ!」を観る時間以外、ずっとプレーしていたというのに。


 吉崎かなえ……地味でなんの取り柄もないおれなんかと違い、心身とも大空にはばたいていたというのに。

 能力値はちょっとアレだったけど。でも……


「畜生……」


 ずるびんっ、と鼻をすする定夫。


 小隊の仲間によいところを見せるため出撃もなにも、それは定夫が勝手に脳内空想しているドラマに過ぎないのではあるが。


 航空女子挺身隊は、守護霊が主人公にアドバイスを送る、という仕組みで進めていくゲームなのだが、主人公は霊魂の存在を認識していないため、絆値が成長しない限りはとことん勝手な行動を取るのだ。


 定夫にとっての唯一の慰めは、小隊でのライバルであり親友でもあるこんどうが無事であったことか。


 彼女、近藤奈々香は、仏蘭西空軍に囲まれた吉崎かなえを救出しようと、自分の生命もかえりみず単身で乗り込んできたのだ。


 かなえが見るもあっさり撃墜されて藻屑と消えたため、近藤奈々香も撤退せざるをえなかったわけだが、かなえが粘ってしまっていたら、果たしてどうなっていたことか分からない。


 席につく定夫の前には、28インチの液晶モニターが置かれている。

 そこに映っているのは、切り立った崖、そして一つの墓標。

 海に沈みかけている夕日が、周囲を幻想的なオレンジ色に染め上げている。


 「墓参り」の映像である。


 玉砕した航女の英霊を慰めるシステムが、このゲームにはあるのだ。


 プレーヤーは守護霊という設定なのに、ならば誰が墓参りをしているのか、と方々から突っ込まれている部分である。


 モニター両脇にあるスピーカーからは、波の音だけが静かに聞こえていたが、不意に、音楽が流れ始めた。


 力強くも、もの悲しい曲だ。


 山田定夫は、脂肪たっぷりのお腹をもにょんと揺らしながら椅子から立ち上がると、後ろ手に組んだ。



 つつみみねを乗り越えて

 我が身よ我が靴 いくせいそう

 讃えよ 英霊 胸宿る

 父 母 姉よ 妹よ

 戻るものかと 万里まで

 勝利の鐘を鳴らすまで



「敬礼!」


 狭い自室で叫ぶと、ぴっと伸ばした指先をこめかみに当てた。

 突然、あっ、と再び感極まったように情けない呻き声をあげ、定夫は床に手をつき崩れた。

 頬を一条の涙が伝い落ちた。



 吉崎かなえのこんぱく大和やまとの雲の上、永遠なれ

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