第213話 新機動戦記ガンダムW その8 少女が見た流星編

 W語りも8回目、今日からキャラ編に入りたいと思います。なので、サブタイトルは主人公ヒイロとヒロインのリリーナを両方含んだ第1話のサブタイを頂きました。少女=リリーナ、流星=ヒイロですんで。


 しかし、こいつらほど語りにくい主人公&ヒロインは無いのですよ。何しろ、周囲に流されまくって行動がブレブレですから。そのくせ、信念は固いという印象を与える連中でもあるんですよ。このあたりの不可解な整合性の無さが、本作のダメダメさ加減を表しているんですね。


 その一方で、個々の行動を場面場面だけ切り取ってみると、妙に面白かったりカッコ良かったりするんですよ。キャラとしての統一性やストーリー展開の整合性を求めないなら、確かにWってのは面白い作品だと言えるかもしれないという。


 で、「人間なんて結構矛盾した存在だろう」とか、「状況に流されて掌を返すことなんてザラじゃないか」とか言い出すと、そういう意味では確かに「リアル」と言えなくもないという。


 でも、エンターテイメントで、そういう人間の非整合性を面白く描くというのは、難しいんですよ。特に、主人公だのヒロインだのにやらせると、ワケがわからないことになるという。それを本作Wが実証してしまっているんじゃないかなと思ったりします。


 たとえば、これが『ダグラム』のデスタンみたいな感じのヘイト集める悪役だったらいいんですよ。あるいは『銀河英雄伝説』のジョアン・レベロ程度の脇役とかだったら。


 それから、ガンダムシリーズで言うと、シャアですね。アレは初代『ガンダム』の頃から『逆シャア』まで通して見ると、「何かおかしいだろう、お前!」とツッコみたくなるという。ただ、実質三作品にまたがっているので、立場とか態度が変わっても、ある程度許容されるという。


 ところが、このWって作品は、基本コンセプトが初代『ガンダム』から『Vガン』までを一作でやっちゃおうという作品だとWikiに書いてあったんですよ。これは、リアルタイム当時に見終わった時点で、私も「これは『ガンダム』から『逆シャア』まで一気にやったんだな」と思っていたのと整合します。ただ、私は『Vガン』までじゃなくて『逆シャア』止まりだとは思っていましたが。


 そこまで詰め込んじゃった上に、主人公とヒロインは通しで登場してるんで、行動だの考え方だのがブレまくるのは、ある程度しょうがないかなとは思うのですよ。


 おまけに、これもWikiで読んで初めて知ったのですが、途中で監督が降板してるんですね。初期の池田監督が作品半ばで降板して、高松監督がノンクレジットで代行しているという。これはリアルタイム当時は全然知りませんでした。Wikiで各話脚本やコンテを見てみると、第29話までは池田監督の名前が出ているという。


 ただ、その頃までに既にブレブレな所はあったので、監督交代がすべての原因ではないとは思います。


 あと、本作で一番の問題は主人公ヒイロ・ユイの名前の元になった「思想家」「指導者」ヒイロ・ユイの方だと思うんですよ。これは、初代『ガンダム』のジオン・ダイクンに相当する役割の人になります。


 ただ、ジオン・ダイクンが「コロニー独立」と「人類の宇宙への適応に伴う進化」を唱えてたのが、結局は地球とコロニーの対立の原因になったという思想家なのに対して、ヒイロ・ユイは「完全平和主義」を主張したという。


 この「完全平和主義」が作品内の対立軸になってるんですよ。コロニーと地球の対立というガンダムのテーマは存在してるんですが、そっちはコロニー内でも地球内でも、どっちも反対があって内ゲバし合ってて、統一した対立軸になっていないという。


 この「完全平和主義」が曲者すぎるんですよ。建前として主張すると胡散臭く、真面目に主張すると「脳内お花畑」になってしまうという。


 W世界は「地球圏統一連合」という世界統一政権が一応存在する世界ですが、これが現在の国連と大差無い程度の実行支配力しか持ってないんですね。そうでなければ「外務次官」なんて役職が存在するはずがない。「外務」ってのは、複数の独立主権国家が存在している場合に使われる言葉なんですから。そうでなきゃ「内務」になるはずです。


 そこで非武装の完全平和主義とか、どう考えてもおかしいと。それに賛同したサンクキングダムがあっさり滅ぼされてるのも当然じゃないかと。


 ところが、リリーナはその生き残りの王女だったということで、サンクキングダムを再興して完全平和主義を唱えてしまうんですねえ。これが本作大迷走のひとつの原因じゃないかと思うのですよ。作中でキャラの言動がブレるにしても、大元の思想に説得力が皆無な上に、戦うこと自体が思想を否定してしまうという大問題な思想なんですから。


 もちろん、一見するとクールで冷徹っぽいキャラのくせに「お前を殺す」が生存フラグなんて言われてしまう内面甘ちゃんなヒイロも一役買ってるのは確かなんですが。


 そして、私が本作を何より大駄作と認定してしまうのは、この二人は、そんだけ周囲に振り回され、また自分たちも周囲を振り回したあげくに、最後の最後のシーンがこの二人のクソアホなラブコメで終わったという所だったりするんですよ。


 まずは、ドーリアン姓に戻って統一世界政府の外務次官―就任したリリーナ――この時点で、統一世界政府なのに「外務」があるのがおかしい上に、外交交渉担当という相反利益を追求する一番現実的な実務処理能力が求められる役職に、脳内お花畑的理想家のリリーナが就任するということが非常におかしかったりするのですが――のところに、行方不明のヒイロから手紙が届いたんです。驚いたリリーナが手紙を持ってきた男を捜すと、下の階に居てリリーナを見上げた「その男」は何とヒイロだったという。それを見たリリーナは、いたずらっぽい微笑みを浮かべると、おもむろに手紙を引き裂いたんですね。


 いや、確かに第1話のシーンを裏返すとこうなりますよ! だけど、ラストシーンでこんなクソラブコメじみたシーンやるなよと。すごく思想的には胡散臭いにせよ、それまでの一年間かけてやってきた戦いは一体何だったのかと。


 最初の頃から、確かに登場人物の言動はエキセントリックで変ではありましたけど、序盤はそこが面白かったんですよ。それが、中盤から変な思想のせいで登場人物の言動が迷走をはじめて、エキセントリックだったり変なことは変わらないままに、まったく納得も共感もできず、面白くもない方向に進んでしまったという。あげくの果てが、それまでの一年間を完全にダイナシにするラストシーンですよ。


 ロボ的にはカッコ良いヤツも味のあるヤツもいますし、個別のシーンだけ切り取ってみると面白かったりカッコ良かったりする所もあるのですが、やはり私の中では『W』は大駄作と言わざるをえないのです。


 そして、その戦犯は、やはり何のかんの言っても、ヒイロとリリーナなんですよね。


 あ、最後にヒイロの名前について。Wikiによると、これはコナン・ドイルの『緋色の研究』から取ったもので、「ひい、ふう、みい」の「ひい」=「一」から取ったのではと書いてあったのですが、ほかの主要メンバーが数字から取ってるので、どう考えても数字が元としか思えないんですよね。


 ただ、レディ・アンもフランス語で「一」なんですよね。ウイングに最終的にレディ・アンが乗ったのはそのせいなんでしょうか?(笑)


 さて、次回はどこをどう切っても二代目「赤い人」なライバルキャラとラスボス様に行ってみましょう。

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