第159話 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争(1989年)

 この『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(以下0080と略記)はガンダムシリーズ初のOVA作品にして、初めて富野監督以外がガンダムを描くという、いろいろ初めてづくしの作品です。本作があったからこそ、のちに「ガンダム」が単なるシリーズではなくジャンルと呼べるくらいに多様性をもって継続できるようになったという重要な作品です。レンタルビデオで全話見ていますし、スパロボにも登場しているほか、キャラやロボは「ギレンの野望」でもお馴染みです。あと、ノベライズも読んでいましたね。


 ……が、作品として好きかというと、全然そうではないです。文芸作品と呼ばれることもあるように、少年の目からみた戦争の残酷さを描いた名作であることは認めましょう。


 しっかぁしっ! 「巨大ロボットアニメ」としては、どうよ、これ?


 別に、昔のスポンサーみたく「毎回必ずロボの戦闘シーンを入れろ」とは言いませんよ。だけど、そこを最低限にしていいってことでは、断じてないですよ。


 ただまあ、戦闘シーンには必ずストーリー上の意味があり、しかもリアルでカッコ良いんですけどね。


 ロボについては、例によって「ブチメカ(以下略)」なくらいカッコ良いのですよ。


 本作のロボは、ガンダムのMSを出渕裕がリファインしたものです。発表当時は出ているMSのうち、完全新型とされる主人公機アレックスとケンプファーを除いては、従来のザクやゲルググを出渕的表現で描いたものとされており、要するに「TV版と同じ機種です」ということでした。


 ところが、それだとプラモ売るのに不都合があったのか、ゲームでほかの機体と競演できないということなのか、はたまたのちの『0083』でうっかり0080版のリック・ドムを出してしまったせいなのか、今日では「統合整備計画」によって改修されたという別機体扱いになっています。艦艇も後期形みたいな扱いになってますし。


 さて、主人公機アレックスは、アムロ専用に作られたニュータイプ用新型ガンダムです。と言ってもマグネットコーティングされて腕に90ミリガトリング砲を積んだのと、コクピットに全周囲モニターが付いたこと、オプションで追加装甲チョバムアーマーが付いたことが改良点であり、元のガンダムでもやってるマグネットコーティングぐらいしかニュータイプ用の改良が無いという(笑)。逆にコアブロックシステムはオミットされています。なので、もしこいつが最終決戦までにアムロに届けるのが間に合ったとしたら、ア・バオア・クーでアムロは脱出できずに死んでいたという(爆)。


 パイロットのクリスチーナ・マッケンジー(クリス)は、シューフィッターという慣らし運転専門の一種のテストパイロットですが、アレックスについては、ただ動かすのにも苦労していました。


 それだからか、新型機ケンプファーは倒せたものの、最終的にはザク改と相打ちになるという。高性能ガンダムのくせにザクと相打ちというのは情けないのですが、本家ガンダムだってセイラさんが最初に乗ったときにはザクやグフに大苦戦してましたからねえ。むしろ、よくケンプファーを倒せたもんだと。


 その新型機ケンプファーですが、こいつの名前、間違ってます(笑)。ドイツ語の「闘士」が元なのですが、この場合はPはサイレントなので発音としては「ケンファー」が正しいんですね。『週刊プロレス』の増刊ムックで『ケンファー』というのがあるんですが、こっちが正解という。ただ、このムックが創刊されたのは1999年で本作の十年後にあたります。


 強襲用MSということで、めっさカッコ良い機体ですし、警備にあたっていたジム・コマンドあたりは鎧袖一触で倒していき、アレックスのチョバムアーマーも破壊できたのですが、そこでアレックスの隠し武器である腕のガトリング砲を喰らって蜂の巣になってエンド。このため高機動だが紙装甲という後付設定がされました。


 この一連の戦闘は高速感があってよいのですが、やっぱり、あっさり気味なんですよねえ。


 それで、最後はバーナード・ワイズマン(バーニィ)が乗るザク改と、チョバムアーマーを失ったアレックスが戦って、バーニィが周到に罠をしかけたりしていたこともあって、相打ちに終わるという。ただ、クリスが助かったのに対して、バーニィは戦死します。


 このクリスとバーニィが、本作の主人公である小学生アルフレッド・イズルハ(アル)を通じて知り合い、ちょっといい感じになっていたというところが、本作のキモだったりします。本人たちは意識してないロミジュリなんですね。アルだけが知っていた悲劇という。


 この最後の戦闘は、新型ガンダムを破壊するために中立サイドであるサイド6のコロニーへも躊躇せず核攻撃をしようとするキリング中佐の狂気を阻止するためにバーニィが独断でやったことなのですが、実はキリング中佐たちの艦隊は連邦軍によって撃破されていたので、別に戦う必要はなかったということが作中で明かされており、それが一層悲劇感を増しています。


 このように、本作を通底するのは戦争の残酷さを悲劇として描くという姿勢です。その一方で、序盤はアルもザクのカッコ良さにあこがれ、ジオン軍に協力しようとしたりしています。戦闘シーン自体はカッコ良く描かれています。また、学徒動員兵であるバーニィの上官にあたるサイクロプス隊のシュタイナー隊長はプロ軍人としてめちゃくちゃカッコ良い大人だったりします。


 その一方で、そのカッコ良いシュタイナー隊長たち、サイクロプス隊の仲間たちはバーニィの目の前でボロボロと死んでいくという。


 要するに、前半で戦争をカッコ良く描きながら、終盤でそれを否定しているんですよ。このあたり初代『ガンダム』でも戦争の悲惨さみたいなものは描かれてはいたんですよね。


 ただ、巨大ロボットアニメとしてモビルスーツをカッコ良く描く中で、戦争映画的な技法で軍人とかもカッコ良く描いてしまった。このあたりは、良くも悪くも『Zガンダム』だとカッコ良さの方に比重が行ってしまっているんですね。


 そうした「軍隊や戦争をカッコ良く描く」ということへのアンチテーゼとして作られたのかな、という気はします。


 そういう面から見ると、主題歌はオープニング、エンディングとも作品の世界観はよく表していると思います。


 なお、本作の声優はヒロイン格であるクリスを演じた林原めぐみ以外は、ガンダムシリーズに結構出ているんですね。


 アル役の浪川大輔は『OOダブルオー』と『UC』でいずれも脇役ながらガンダムパイロットになり、バーニィ役の辻谷耕史は『F91』の主役シーブックでガンダムに乗ります。そしてシュタイナー隊長役の秋元羊介は『Gガンダム』で東方不敗マスターアジア師匠を演じることになるという。逆に、ガルシア役の島田敏は本作より前に『Zガンダム』のラスボスであるシロッコを演じていました。


 あと、ノベライズの最後の付け足しについては、あとがきで作者本人も書かれていますが、蛇足かなあと。ハッピーエンドまでは行かずとも、せめて救いを残したいという気持ちは非常にわかるんですけどね。作品のテーマからすると、救いがあっちゃいけないんですよ。良くも悪くも、0080はそういう作品だと思うので。


 最初にも書いたように、ガンダムの世界観を広げるということと、ガンダムという素材を富野監督以外が使ってもよいという前例になったという点で、本作は非常に意義があったと言えるでしょう。


 だからといって、好きな作品ではないんですけどね(←重要なことなので二回書きました)。

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