第36話 機動戦士ガンダム その16 ジオン公国に栄光あれ!編

 ガンダム語りも16回目。巻いていきたい今日この頃。もう今日でキャラ話はおしまいにします。サブタイも残った人の名言から(笑)。


 ということで、ザビ家で書き切れなかったのがガルマ坊ちゃん。シャアに「これで勝てねば貴様は無能だ」とかディスられてるせいで無能ということになってますが、実のところシャア自身も重要なポイントを手遅れになるまで見逃してたんで、あんまり人のことは言えないという(笑)。むしろ相手が悪かった……というか参謀=シャアも別の意味で「悪い」し(笑)。


 「君の父上がいけないのだよ」で、あっさりとシャアに裏切られて戦死。声優が森功至(ガッチャマンの主人公、大鷲の健役など、当時は主役クラス)と豪華なこともあって美形悪役としてはむしろシャア以上に正当派なはずなのに、それを五話で使い捨てるんだから富野監督はさすがというか(笑)。


 そのくせ、イセリナ・エッシェンバッハなんて恋人もいたりして、ロミジュリっぽいことやってるんだよなあ、こいつ。顔がいいだけあってリア充です(笑)。


 デギン公王は、何か当初から顔は怖いけど影は薄いなあと思っていたり。初登場がガルマ戦死を聞いて杖を取り落とすだから、ラスボスとしちゃ弱気だと思ってもしょうがないでしょう。声優は永井一郎ですが、むしろナレーターとしての印象が強いという(笑)。ギレンがらみの名ゼリフはあるんですけどね。最後は勝手に和平交渉をしようとして敵将レビルともどもギレンにソーラ・レイで焼き殺されて死亡。


 子供たちはそれぞれ優秀なので、この人がしっかり制御できてればねえ……と思わなくもないけど、幼児だって親の思うとおりにはならんのだから無理だんべ(笑)。


 レビル将軍だのティアンム提督だのゴップ大将(笑)だのと、連邦の偉い人まで語ってたら、それこそ何十回やっても終わらないので割愛!(笑)


 ただ、ワッケイン司令については語っておきたいところです。この人、TV版ではまがうことなき無能者(笑)。情状酌量もせずにアムロやブライトたちを拘束して、大した根拠もなくシャアは攻めてこないと油断したあげくに、破壊工作されて「しまった、謀られたか!」(笑)。それで拘束してたはずのホワイトベースの面々に解決を依頼したあげくに、実際に彼らの活躍で救われるという。


 まあ、それで態度を変えるのはしょうがないですが、そのあと一応護衛を付けたとはいっても、そのまま交代要員も乗せずにジャブローに降ろそうとか今度は無茶ぶりが過ぎるし(笑)。


 ソロモン戦の前にブライトと再会したら「いっぱしの指揮官面になってたきたかな」などと褒めてたのはまあいいとして、テキサスコロニーのところではシャアのザンジバルと火力では上のはずのマゼラン級で一騎打ちしたのに惨敗(シャアのザンジバルは大して損傷してないのにマゼランはボコボコにされて撃沈)して戦死。相手が悪かったと言えなくもないですが、MS無しの状況で戦艦が巡洋艦に撃ち負けるって……やっぱり無能だった。


 「寒い時代だと思わんか?」という名ゼリフはあるんですけどねえ。なお、劇場版では上記無能エピソードが尺の関係でさっくりカットされてるので、ただのモブになって生き延びています(笑)。


 あと、アムロのお父ちゃんテム・レイ技術大尉と、おっ母さんカマリア・レイ。お父ちゃんについては再登場後の酸素欠乏症ですっかりアレになってるシーンばかり有名ですが、一応ガンダム作った人(おそらく主務設計者)。ロボは作れても子育てには失敗してるよなあ……。でも、アムロが意外に武闘派なことを考えると、実はこの人、格闘技とかやっててアムロ鍛えてたりしたんだろうか?(笑) アムロがメカに強いことについては、明らかにこの人の薫陶ですね。劇場版では、さりげなく最後に死んだっぽいシーンが挟まれてます。


 おっ母さんについてはTV版でも劇場版でも重要な役割で出てきますけど、正直、戦争中という状況を分かってるのかと。宇宙に行くのを嫌がってひとりだけ地球に残ってるところを見ても、この人、自分の見たいものしか見ないし、自分のやりたいことしかやらないし、自分の期待に添ってないものは一切拒否するって、そういう性格なんじゃないかなあとか思ったり。一緒に住んでても毒親だったんじゃね?


 ストーリーラインについても書こうかなと思ったんですが、ホワイトベースの航路に明らかに無理がある(何で北米に降下して南米のジャブロー行くのに太平洋渡って地球一周する?)とか、いろいろあるんですけど、突っついてたら、それこそ二クールになりそうなんで要点だけ。


 基本、「戦争」という巨大局面の中で主人公アムロたちの苦闘を描くというのは、きわめて斬新でした。その前の『宇宙戦艦ヤマト』では「戦争的な要素」を盛り込んでも、まだ古典的なヒーロー活劇の要素が強かったのに対して、ガンダムでは「戦争」を描いた。


 ただし、これはほぼガンダムオンリーで、実のところ、これ以降のガンダムシリーズでは(OVAは除いて)薄くなっていく要素です。ガンダムのホワイトベース隊も、結構戦局を動かす要因になったりはしているのですが、主戦力として計算されているわけではない。この点『Zガンダム』以降のTVシリーズでは、主人公たちは否応なく「戦争」の真ん中に存在することになります。


 そして、以降のガンダムシリーズになくてオリジナルのガンダムにだけあるものとして、戦争の空気感というものがあります。夫の故郷セント・アンジェを目指してホワイトベースを降りたのに、そこは既に何も無くなっていた第8話「戦場は荒野」。賛否両論ありますが、ジオンの脱走兵を描いた第15話「ククルス・ドアンの島」(これはザク同士が戦ったという意味でロボ物的にも見逃せない話です)。既に書いたミハルのエピソードも戦災孤児という言葉とは切り離せません。上記のアムロと母親との再会の際のジオン兵など、占領下という状況を描いていたりします。


 このあたり、戦時中と米軍占領下の記憶がある人々が作ったんだなあというのはあります。そして、恐らく、これ以降の作品ではもうそれがない。


 わずか数年ですけど、時代性というものは出るもので、ガンダムは八十年代の作品じゃなくて、七十年代最後の作品なんだなあという感覚はあるんですよね。


 今日はここまで。次回はガンダムのSF性について語ってから、いよいよプラモ編に入りたいなあ(笑)。


 君は生き延びるついてくることができるか?(笑)

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