第22話 片羽だけの恋の終わりに

 訪ねたのはお昼休みになってからのことだったけど、もちろん亜紀は、朝礼前にも授業の合間にも、一切顔を見せることはなかった。


 もう忘れてしまっているのだから、亜紀は春よりも前の状態に戻っているはず。

 だけど一応、どうなったのか心配なので、私は亜紀のクラスを訪ねて話してみることにした。


「珍しいこっちに来るなんて。どうかした、美月?」


 すると、まるで久しぶりに学校で会ったような対応だった。そのことに私は安堵する。

 一日経っても、亜紀は槙野君にまつわることを忘れたままだった。

 昨日調子が悪そうにしていたことも、亜紀自身はよくわからないらしい。


「お腹が痛かったのかも」


 と言って笑っていた。

 それ以上は特に話す内容もなく、亜紀も他の友達と話したそうにしていたので、自分のクラスに帰ることにした。

 戻ると、芽衣と沙也が心配そうに私を見た。


「何もなかった?」


 いつも強気の芽衣が、恐る恐る尋ねてくる。


「うん大丈夫。もう話はついたから」


 よもや記憶を無くしたのだとは言えないので、亜紀とはもう同じことをしないと約束してもらったと話してある。今は、借りていたものを返しに行っただけ、ということにしていた。


「それなら良かったー」


 沙也はふわんと笑ってくれたし、釣られるように芽衣も表情をゆるめる。

 二人を安心させられて、良かったとしみじみ思った。

 そして私は放課後、報告とお礼を兼ねて、喫茶店へ行った。


「いらっしゃい」


 扉を開けると、ちょうどレジにいた記石さんが声をかけてくれる。

 記石さんの挨拶も以前より少しくだけたものになっていた。

 ちょうどお客さんがいなかったからかもしれないけれど、身内として扱ってくれるようになったことを感じて、少しくすぐったい。


「こんにちは、記石さん。昨日は本当にありがとうございました」


 まずは、もう一度昨日のお礼を言う。

 命を救ってもらったのだから、何度お礼を言っても足りない。


「いえいえ。うちでは時々あることですからね」


 さすが鬼を利用できる人の言うことは違う。

 でも時々あるのね……慣れてるなとは思っていたのだけど。


「あ、アルバイトについて親の承諾はもらいました。明日からでいいですか?」


 アルバイトのことについて聞くと、記石さんは嬉しそうにうなずいてくれた。


「はい、それで結構ですよ。そういえば言うのを忘れていたように思いますが、何度かは昨日の女性も来店すると思います。そこは大丈夫ですか? 美月さん」


「あ、はい。もう彼に関することも忘れてしまったみたいですし、以前の状態に戻れたのであれば、問題ないですが……。それはあれが理由ですか?」


 以前記石さんが言っていたことを思い出す。


「記憶を無く すと、心に空いた穴を埋めるために、思い出の気配を感じて来るっていう……」


「そうですね。一か月に二度か三度……。今回うちの鬼が食べたのは短い期間の分だったようなので、三か月もしたら来なくなるとは思います」


 記石さんはレジから離れながら続けた。


「でもまぁ、おかげでうちの収入も安定するんですよね。でも思い出を保管している方が増えてきたので、アルバイトがほしかったんですよ。ですから美月さんが来てくださってよかったです。明日からお願いしますね」


「はい!」


 改めて頼まれて、私はがんばろうと返事をした。

 そこにひょいと、記石さんの鬼が現れる。

 こちらは私が彼の存在を認識してから、完全に隠れる気がない。というか鬼って、こんなにも人間ぽい存在なのかと、会う度におどろく。


「餌が来てくれて俺もうれしいな。よろしくな」


 微妙な喜び方をされて、私は口元がひきつる。

 でも鬼さんの能力で、私が助けられたことは事実なので、がんばってうなずいた。


「よ、よろしくお願いします」

 頭を下げつつふと思ったのは、この鬼が食べたのは片羽だけの鳥だったんだなということだ。


「そういえば、亜紀の鬼……らしきものが、鳥だったのはなんででしょう?」


 あっさりバラしたのは鬼の方だ。


「あの女が、プレゼントだと言って、鳥のモチーフの何かを渡そうとしたんだよ。それをたぶん受け取りたくなかった相手が押しやって、落ちて壊れたのが印象に残っていたんだろうな。ちょうど羽が片方折れたんだ」


 それを聞いた記石さんが息をつく。


「片羽の鳥が強く印象に残ったのは、本人も片思い……もしくは不完全な想いだとわかっていたのでしょうね」


 片方の羽しかない鳥は飛べない。

 成就することはないと思いながらも、望まれたいと思ったのだろうけど。

 好きじゃなかったはずなのに、鬼を生み出すほどにのめり込んだことにすごいと思った。

 すると私の気持ちを読み取ったように、記石さんが言う。


「好きと言う気持ちより、選ばれることへの欲求や独占欲の方が大事で、相手を思っていたわけではないのでしょう」


 記石さんの言葉に、深みを感じた。

 相手を思いやる気持ちより、自分が独占することを優先したら、確かにそうなるわけだ。


「恋って難しいんですね……」


 そうつぶやいた私は、そんな自分もまた、気持ちがふっきれたんだなと気づいた。

 やっぱり私のは、そこまで強い想いじゃなかったんだろう。

 ふっと息をついて、私はとりあえずアルバイトのため着替えに向かう。



 そうして私が別室に消えた後のことは、当然知るよしもない。


「……それにしても、惹きつけてしまう人というのは存在するんですね」


「だからあの子を手助けしたのか?」


 鬼の問いに、記石さんは微笑む。


「あなたの餌にちょうどいいと思ったのは本当ですよ。ただ……変わらないな、とは感じましたが」


 記石さんが微笑んでそう言ったことも、私にはわからなかったのだった。

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