第19話 そして彼女の結論は

 なんでだろう。さっきまでは、鬼の力というものでおかしな現象をたやすく起こせていたのに。


「亜紀の体から、もう黒い煙も出てこない……?」


「もう彼女が隠していたことが、美月さんに知られてしまったからでしょう。抱えた秘密の大きさの分だけ、人の心から生まれる鬼というのは力を増すものです。押し込めた気持ちが、その元になるのですから」


 隠し事がなくなったから、亜紀は鬼を生み出すことができなくなった、ということ?

 戸惑う私の前で、亜紀は泣き出す。


「私は悪くないもの……。きっかけはどうあれ、少しは好きだったもの。なのに友達でいるのもやめようだなんて。友達ぐらいいいでしょう? ひどい。なのに、槙野君のファンクラブの人間だっていう女が、私のことをあれこれといじめて……。みんなやってることでしょ? 槙野君の予定を調べて、同じ場所で会うようにするとか。なのになんで私だけ……!」


 亜紀は怒っているけれど、ファンクラブにつきまといが知られてしまったんだな、と私は理解できた。

 恋人でもないのに、教室に毎日通い詰めて仲良しアピールをされて、槙野君はさぞかし困惑しただろう。

 だから友達もやめたいと言われ、思い余って告白した亜紀の言葉も、断ったのに違いない。


 そして私をダシに使えない間も、槙野君の気を引こうとした亜紀は、おそらく練習試合の途中や登下校時に待ち伏せみたいなことをしてしまったんじゃないだろうか。

 ファンクラブは、彼の部活の邪魔をすることをものすごく嫌う。

 だから亜紀は注意されて……。たぶん、止めなかったから噂をばら撒かれたんだろう。


 そして亜紀は危機感を抱いた。

 このままでは私の教室へ行った時に、槙野君からあからさまに避けられてしまう。そうしたら、私に対しての嘘がバレてしまうから。


「嘘がばれない様に、亜紀は……私を邪魔だと思ったの?」


 自分が傷つかないようにするために、私を殺してもいいとまで思ったのか。

 自分で尋ねておきながら、怖くなって自分の肩を抱きしめてしまう。


「…………」


「まぁ、それが正解のようですね」


 何も言わない亜紀に、記石さんがため息交じりにそう言った。

 亜紀はそんな記石さんを上目遣いに睨む。


「やめてよ……なんでそんなことまで知ってるの……」


「さっき、あなたの鬼を食べましたからね」


「鬼なんているわけないじゃない! あれは夢よ!」


 記石さんが首をかしげる。


「ぼーっと見ていたら、美月さんに自分が襲い掛かる幻が見えたと思っているのですか? もしくはうとうとしていたら、美月さんを車道に突き飛ばす夢を見たとか?」


「そうよ、夢よ! だって私何もしてない!」


「何もしていないけれど、あなたが見た夢の通りに怪我をした人はいましたよね? 例えばあなたを止めようとした、ファンクラブ? の女性とか。そのうちに、あなたが付き合っていると思い込んでいた彼のことも、傷つけるつもりだったのでは?」


 亜紀が息をのんだ。

 それで真実だとわかった。

 私は自分が殺されかけた理由を知って、悲しくて泣きそうになった。そんな時に、ふと誰かが私の髪に触れた。

 左を向けば、私の髪を一筋指で持ち上げた記石さんがいる。


 ……て、あれ?

 記石さん右にもいるはずなのに。

 そう思ったら、左にいる記石さんが髪に口づけたとたんに、急に悲しいという感情が引いていった。


「ごちそうさま」


 毒花みたいに蠱惑的で、でも心の底からそう思っている笑み。

 そして「あ、感情を食べられたんだ」とよくわかった。悲しい気持ちが薄くなって、一気に傍観者の気分になってしまう。

 残ったのは「記石さんは、なんでもわかるんだ」という気持ちだけだった。


「私は……付き合ってた……。だってお友達からって……」


 だから亜紀がつぶやいても、まだそう思い込みたいのかなと思って、つい口に出してしまう。


「本当に付き合ってたら、私に話さなかったでしょう亜紀は。だって何も言わなくたって、目に見えるようにいちゃついて自慢できるもの」


 今なら、そうだっただろうとあっさり予想できる。

 すごいねって言われて「たまたまだよー」と謙遜しながらも、大っぴらに見せつけて歩くだろう。

 そんな姿を私に見せるだけで、私より上だって示せるもの。

 ……面倒だなぁ。


 とうとうそんな感想しか抱かない。

 でも亜紀の気持ちを知って、辛くて泣きそうだった時よりも、心は楽だ。記石さんの鬼、便利だなとか考え始めてしまったら、本物の、右にいた記石さんに手首を掴まれて我に返る。


「だめですよ美月さん。こいつに何でも許しすぎです」


「固いこと言うなよ、透哉」


「お前は勝手に食べ過ぎだ」


 注意された鬼の記石さんの方は、口をとがらせてそっぽを向く。

 そんな様子も亜紀の気に障ったみたいだ。


「なによ……自分は片想いをしてるって言いながら、他の男侍らせて」


「侍らせてる!?」


 左右を固められてる状態だからそう見えるのかな。あ、鬼さんの方まだ私の髪つかんでる。


「そろそろ離してくれませんか?」


 話しかけると、目をぱちぱちと瞬いた。鬼だとわかっていても、そんな仕草は子供みたいで純真そうに見える。


「掴んでちゃだめなのかい?」


「さすがに気になります」


 そんな話をしていたら、無視された形になった亜紀が、また嗚咽をもらした。


「もういや、全部忘れたい……」


「……」


 どうしよう。

 記石さんの鬼のせいで、ショック受けたのそこなの!? って感情しか出てこない。

 でも亜紀は、忘れてすっきりしたほうがいいのかもしれない、と思える。人の考え方は変わらないっていうし、それならこじれた原因がなくなればいいわけで。

 槙野君と付き合ったことがないなら、なおさら亜紀のためにもなるだろう。


 振られた噂は、自分のことじゃないって堂々と言えるだろうし、鬼を作り出して誰かに危害を加えることもない。

 槙野君やファンクラブだって、亜紀が手を出さなければそれで十分だろうし。本当に亜紀を潰したかったら、ファンクラブも亜紀の名前を噂でしっかりと流しただろう。それをしなかったのだから、まだ警告なんだと思う。


「あの、亜紀の記憶を消すってことはできるんですか?」


「できますよ」


 記石さんはなんでもないことのように答えた。


「ただ大幅に記憶を消すことになると、本人の同意がほしいですね。だから彼女がそう言うのを待っていました」


 そうして記石さんは、亜紀に問いかけた。


「どうせなら、彼とお付き合いしていた前後のことから、綺麗に忘れたいですよね?」


「彼のこと全部忘れられるの?」


「そうです。美月さんから話を聞いたところから、今までの分、あなたの忘れたい思い出をすべて消せませすよ」


 記石さんはうっとりするような笑みを浮かべてみせた。

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