第11話二度目の危機に

「どうかした美月?」


 芽衣が何かを察して聞いてくれた。

 私は一瞬、素直に話してしまおうかと思った。

 昨日、変な足音がすぐ後ろをついてきて、コンビニに駆けこもうとした時に突き飛ばされそうになったの、と。


 優しい芽衣達はついてきてくれるだろう。

 三人いれば、何かあっても一人は通報できるから、家まで送ると言ってくれるかもしれない。

 でも本当にストーカーがいたとしたら。


 通報できても、芽衣達が怪我をするかもしれない。

 ……それだけはできない。


「大丈夫だよ。今晩のおかずのこと思い出しちゃっただけで。あんまり好きなものじゃないんだけど、お母さん好きでさ……ええと、レバーの炒め物」


「あー。私もレバー苦手」


「わたしもわたしもー」


 芽衣達も同意してくれて、その場は誤魔化した。

 そうして席を立って、クッキー代の分のこともあるので、お茶代だけ二人からもらって、私がまとめて払った。

 その時。


「気をつけて帰って下さいね」


 レジで対応してくれた記石さんがそう言って、珍しくも喫茶店の住所や電話番号を書いたカードを渡して来た。

 それを受け取って、どうしようかと思いながらレシートと一緒に制服のポケットに入れたその時。


 ふっと前髪が揺れた。

 息を吹きかけられたみたいに。

 え、と思いながら顔を上げたけれど、記石さんは元の姿勢のまま。

 レジカウンターは、身を乗り出さないと息を吹きかけたって届かない奥行きがある。


 気のせい……?

 でも少しどきどきしながら、私は「ごちそうさまでした」と言って店を出た。

 駅で芽衣と沙也とは手を振り合って別れる。

 沙也はここから自転車で、芽衣は私と逆方向の地下鉄に乗る。私もいつも通りに帰りの地下鉄に乗った。

 自宅近くの駅までは、何事もなく到着した。


「ここからだよね……」


 今日は横着せず、遠回りになってでも人の多い場所を通ることにした。

 外は暗くなっていたけれど、会社帰りのサラリーマンも多くて、大きな通りには人が沢山いた。

 これなら大丈夫だろう。


 ほっとしながら道を歩く。大丈夫、後ろからついてくる足音も聞こえない。

 細い路地に入らなくちゃいけないのは、これから渡る十字路を越えた後だ。見知らぬOLさんや、中年男性達と並ぶようにして、信号待ちをする。

 信号が青に変わった。

 さて渡ろうとしたところで、足が動かない。


「…………!?」


 声も出せない。

 もちろん近くにいたOLさんも、何も気づかずに車道を横断していく。

 中年男性は早く家に帰りたいのか、駆け足で遠ざかった。

 他には、なぜか誰も来ない。沢山の人がいたはずなのに、後ろから追い越していく人もいなかった。

 誰か! と叫ぼうとする。でも声にならなければ、意味がない。

 なんで足が動かないの!?

 焦りながら足元を見てしまった私は、息をのんだ。


 足を掴んでいる手があった。

 足の甲も、足首も、二本ずつの手でしっかりと掴まれている。

 悲鳴を上げたくても声が出ない。足を動かそうとしても、全然だめだ。

 焦っている間に、後ろから突き飛ばされた。


「…………!」


 とたんに足が動くようになって、私はたたらをふみながら車道に出る。

 その時すでに、信号が赤に変わっていた。

 走ってくる車のライトが、私に迫る。

 ぶつかる、死んじゃう、と息を飲んだその時、ぐいと腕が引かれた。


 背中から倒れ込むように歩道に引き戻される。

 クラクションが慣らされたけど、車は私を跳ね飛ばすこともなく、目の前を通り過ぎて言った。


「あ……」


 一体なんで、どうして。

 そう思いながら、とにかく助けてくれた相手を確認してみたら、そこにいたのは記石さんだった。


「え、記石さん……?」


「ああ、今は俺がそんな風に見えるんだな」


 そう言って笑った彼は、真っ赤な毒花のようで。

 記石さんと違うの!?

 驚いた私は、そういえばさっき見たばかりなのに、追いかけて来たにしては服が違う、と気づく。上から下まで真っ黒の服だ。


「それよりも、あっちを気にした方がいいんじゃないのか?」


 楽し気に言う記石さんの視線の先、十メートルくらい離れた場所に目を向けると……そこに亜紀がいた。

 私を追いかけて来たの!?


 亜紀はじっと私を見つめて来る。

 そんな亜紀の背後に、黒い影が見えた。

 人の姿に似ていて、でも何倍も大きい。普通の生き物の影とは違う。

 しかも影の元になるような生き物がいない。


 そこにいるのは亜紀だけなのに……影がぶわっと巨大化した。

 異様に爪が伸びた手の影が、街灯の光の方向を無視して、そこに存在しているものみたいに私に向かって伸びて来た。

 避けたいけど、避けられない。今度は怖くて足が動かなかった。

 その私を背中に庇った人がいた。記石さんだ。


「俺の獲物だよ」


 彼がそう言ったとたん、パン、と風船が破裂するような音とともに、迫ってきていた黒い腕が消える。

 黒い羽を散らすように。

 亜紀の姿も消えた。

 彼女の背後にあった人影までも。


「な……」


 あまりのことに、口から上手く言葉が出ない。

 何が起こったのかも理解できない。

 でも、記石さんが助け手くれたことだけはわかったから。


「ありがとうございます、記石さん」


 お礼を言うと、記石さんはちょっと首をかしげる。


「うーん。まぁその呼び方は仕方ないか」


「仕方ない? え、違うんですか?」


 別人なのかと思って尋ねたら、記石さんだと思ったその人が、ニヤッと笑みを浮かべる。

 記石さんの上品そうな笑みと違って、やっぱり毒花みたいで、鮮やかで毒々しい感じにとまどう。

 その隙に、一瞬で近づいた彼に、肩に口づけられていた。


「じゃあまた」


 言って、彼はどこかへ歩き去ってしまう。

 驚き過ぎて引 き止めることもできず、思わず見送ってしまった。

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