Case20.三品結礼
ユリカゴハカバーが到着し、棺桶型の後部車両に季里とおぼろと少年を乗せ、交代で不二が降りる。運転席にいたリノがおぼろの容態を軽く診て、命だけは助かると思う、と言い出したのには複雑な思いになったが、すぐに彼女が再びハンドルを握り、ユリカゴハカバーはUターンして、拠点へ戻っていった。
いままでの緊張が抜け、うろこは一緒に脚の力まで抜けてしまった。その場にへたりこんで、不二を見上げる。
「お疲れさま、うろこ」
「不二。間に合ってくれてありがとう……城華は?」
「大丈夫。リノさんがなんとかしてくれた。次はわたしががんばる番」
不二の手には、城華が変身に使っている吸入器が握られていた。
走っていく不二の姿を見送り、その場でひとりため息をつく。こちらが巻き込んでしまった少女をひとり、犠牲にしてしまったのだ。妹の友達だった幼い少女を、である。
どうしても引きずってしまう自分に心の整理をつけさせるため、うろこは和紙が戦っているほうへと戻った。彼女は変わらず鷹の周囲を攻撃して意識を逸らしているが、決定打が足りていないらしい。ここはうろこが討とう。自分のせいであの子はあんなふうになってしまった。せめて、とどめはうろこが刺そう。
「和紙、避けとけ!」
久しぶりに叫んで、大規模な砲台を用意する。初めて変身する覚悟を決めた日、ストレセントを吹き飛ばしたような。自分が持てる最上の弔いの弾丸を込めて、和紙が鷹の身体から離れていくのを確認し、想いを乗せて解き放った。鷹のストレセントの羽毛に覆われている身体が貫かれ、茶の羽毛がやや紅く染まる。巨体を保っていられなくなったストレセントは崩壊し、最後に生体隕石だけが落ちていく。和紙が回収してくれたその小さな欠片が、あの少女の形見になってしまった。
誰だって、誰かの友達なんだと。そう言って、うろこはオヴィラトに嘲笑われた。けれど、いまだってそう思っている。彼女はすでに復讐され消えていった少女とかつて友人で。少なくともふたりでのときは、楽しい時間をどこかに持っていたんだろう。
それらを奪ってしまったのがオヴィラトをあんなふうにする決め手となったうろこであり、ひいては世の中とも言える。だからきっと。うろこは、彼女らのことをずっと背負っていかなければ。
◇
三人のことを引き受けたリノ。ユリカゴハカバーは運転席と後部車両が分離しているが、話くらいは聞こえる作りになっている。水戸倉おぼろがうめく声、少年が不安と受け止めきれない現実を叫ぶ声が聞こえる一方、一番印象に残ったのは水戸倉季里の言葉だった。
「私には何が起きてるかなんてわかんないけれど。私はうろこ姉に、おぼろ姉のことを支えてあげてって言われた。それに、うろこ姉だけじゃなくて、何人も私たちのために戦ってるから。だから、自分たちできることをしなきゃ」
リノたちタチバナが戦っているとき、待っている者だってこう思ってくれている。あんなふうに思ってくれる妹さんがいるなんて、うろこは幸せ者だなと思う。これは、リノだって救命に尽力しなければならない。
おぼろに植え付けられた生体隕石は彼女の身体を蝕んではいるが、彼女が死ぬことはないだろう。自殺でも、ストレセントでも、そこまで変えられるだけのストレスを彼女は感じていない。苦しい気持ちはあるだろうが、それは生体隕石が適切なものでないが故の不具合だ。あるいは、季里やうろこがそばにいたことが彼女に希望をもたらしたのかもしれない。
リノは暴走寸前までスピードをあげた。おぼろの無事を祈りながら。
◇
作戦は成功し、城華はたった数時間で自分の変身に使うアイテムを改造、不二に託してくれた。オヴィラトとの決着をつける時が来た。
結礼がああなった日からたった数日しか経っていないと言うのに、その間だけで何度も彼女の非行を許してしまった。叔父を手にかけ、クラスメイトの少女がふたりも犠牲になった。城華だって、リノがいなければその中に名前があっただろう。短いうちに彼女は復讐を繰り返し、その純白のウェディングドレスを血に染めてきたのだ。
今度は違う。不二が、彼女の復讐劇を終わらせる。血に染まるのはこれで最後。そしてその血は、彼女自身と不二の血だ。
公園に着くと見張りを担当していた職員たちが不二に挨拶と報告に来る。生体隕石だけでなら見えない壁を越えてくるため、ドローンなどを使っての監視だったようだ。現在オヴィラトは地中にも上空にも壁は張られており、完全に囲まれていると知り、自らが大きく抉った地面に座り、削って生まれた土砂の山に寄りかかって空を見上げていた。何を思っているのか、不二には計れない。
公園に不二がやって来たのを見ると、オヴィラトはうれしそうに微笑んだ。
「……あ。不二お姉さんだ。来てくれたんすね」
「うん。もう騙されてはあげられないけどね」
「っふふ、そりゃそうっすよねぇ。城華お姉ちゃんへのきれいな硝子細工のプレゼント、よろこんでいただけました?」
不二はオヴィラトの言葉には反応しないようにして、公園に植えてある一本の木の下へ赴きひとことだけ呟いた。
「変身」
伸びていったワイヤーが木の枝を掴み、少女の引き寄せへし折り、その姿を空色に変えさせる。
「相変わらず不気味っすよね、一回死ななきゃなんて、苦しくないんすか?」
「苦しいよ。とってもね」
「……だったら。なんでそこまでして他人を護るんすか。守ってやったって、なにもいいことなんてないやつらなのに」
確かに、頷ける部分もある。不二たちは社会に見捨てられ、だから自ら命を絶つという選択をした。それでも。
「わたしが何かすることで、自分を犠牲にしてでも誰かを幸せにできるなら。それでかまわない」
オヴィラトの表情が大きく変わる。目を丸くした彼女は、心底気色が悪いという顔で吐き捨てた。
「お前、異常者っすね」
「否定はしない。わたしは異常者でもいい。他人の幸せを護れるなら、わたしはそれが幸せだ」
オヴィラトを生んだ『他人の幸福への嫉妬』とは真逆の感情だと思う。彼女は自らの不快のために他人を排除するのだから。
不二が平然と壁で覆われた中へと入っていき、オヴィラトは空を見上げずに不二を見た。
「……ずいぶんと余裕っすね」
「命知らずなだけ。文字通りに」
立ち上がったオヴィラトと向き合った。今度の不二とオヴィラトは、周囲の幸も不幸も見ない。目の前の少女を下すため、互いにその心を構えた。
オヴィラトが飛翔し、不二がワイヤーでそれを追いかける。土砂の山は脆く足場としては使えない。地上から追いかけるか、賭けで跳ぶか。不二は後者を選び、飛び上がってオヴィラトにワイヤーの先を向ける。易々と突き刺さるのを許すオヴィラトではないが、地面を頼りにすれ違えればいい。空中で不二はカプセルを吸入器へ装填し、すれ違いざまにトリガーを引いた。オヴィラトは反射的に結晶化によって対抗しようと手を向ける。
カプセルに入っていたのは城華の使う毒ではない。環境に後遺症を残さないが、オヴィラトに影響を与える。結晶化の能力をキャンセルし、O型生体隕石の機能を狂わせるものだった。
散布された薬品を浴び、オヴィラトは片翼と片腕に被害を受けた。血管が破裂したのか血を流しており、飛翔できるまで再生するには時間がかかるとみえる。地面に叩き落とされ、オヴィラトが不二を見る目は怨みに変わる。そこに諦めはない。
次は体術を仕掛けてくる。翼を除けば小柄なオヴィラトは不二の迎撃をかいくぐり、直に衝撃を与えてくるのだ。腹部へ膝、足元へは地面ごと結晶化を使用し、吹き飛ぼうとする身体を地面に拘束、次なる顔面への攻撃に繋げた。
しかし。不二の反撃はすでに始まっていた。鼻筋を殴られた不二は相手の目と腕とワイヤーの先の位置が一直線になる場所から攻撃をしかけ、残っていたもう片腕を奪った。二の腕が破裂し、少女の細く白い骨が露となる。痛みに表情が歪んだが、再生を待たずして骨が掴まれ、オヴィラトは引き寄せられた。
不二の狙いは生体隕石の露出している尾てい骨部への薬品の塗布だと気がつき、オヴィラトは尾で抵抗する。その位置に直接打たれれば生体隕石が崩壊。即ち退場となる。
羽毛で視界が奪われても不二はオヴィラトを放そうとはせず、その腹部を通して地面へワイヤーを突き刺し地面への固定を図った。だがワイヤーの途中を二の腕が再生した腕で掴まれ、結晶化を経て破壊されて武器を奪われてしまう。地面から引き抜かれて主へと向かってくるワイヤー先端部へ、不二もまた自らに刺さらせて奪還、脇腹から内臓が見える程度は気にせず標的を主に足へ移してオヴィラトの姿勢を崩しにかかった。
地面へ倒されようというとき、オヴィラトは蹴りを絡めて向きを変え、うつ伏せから仰向けに倒れこんだ。ついでに軸足をばねに少しでも跳び、残っている片翼で積もっている土砂を巻き上げ、視界を奪っているうちに態勢を立て直そうとする。だがすでに脚は地面へ縫い付けられていた。先ほど奪い返されたワイヤーの先端だ。これを引き抜いても、脚が再生するまでは立ちようもない。
土砂が舞うなか薬品を散布して、不二は自分の足元を解放した。オヴィラトの動きは封じているが、代わりに残ったカプセルの中身はあと少しだ。急造のため替えはない。確実でなければ、不二は一旦退き、こんな戦いをもう一度演じなければならなくなるだろう。オヴィラトのほうへ、歩んでいく。
「い、いや!やめて!そんなっ、自分はまだ、やってないことばっかりなのに!」
悲鳴が聞こえた。
「なんで、なんで!まだ見たいものだってたくさんあって、おいしいものも食べてない!だって、自分はまだ、幸せじゃない!」
不二は歩みを止めない。オヴィラトは自分の脚をちぎってでも逃げようとし、やがて壁際に到達し、逃げ道を失っていた。彼女を殺そうとする少女がオヴィラトの眼前に迫っていく。
不二が深く息を吸い、吸入器をオヴィラトに向けた。これで終わりだ、と自分に告げて、トリガーにかけた指に力をこめた。
◇
最期に募るのは未練と後悔だった。あんな奴らに構わなければ。こんな相手に狙われないですんだのだろうか。素直に、イドルレたちといっしょに、どこか遠くへ行っていれば。
なんて思考に押し潰されそうになりながら目を瞑り、結礼は硝子が割れるような音を聞いた。
「……嫌だよね。辛かった、よね。わたしには、あなたの幸せを否定できない」
なのに。まだ、不二の声が聞こえていた。
薬品が打たれていたのは見えない壁のほうだった。崩れて人ひとりが通れるだけの孔が空いている。
結礼を見逃してくれるのだろうか。不二は他人の幸福を尊重するあまり、他人を貶める結礼でさえその対象にしてしまったのか。
とにかく死にたくないと思っていた結礼は迷わずその孔から逃げ出した。翼は治りかけている。今すぐにでもストレセントたちのところへ帰って、彼女たちと一緒に新しい思い出を作り、三品結礼の悲惨な物語ではないものを綴りたかった。
飛び立とうとした少女は、刃によって墜されたが。
「駄目じゃないか、不二くん。これは討伐作戦だ。彼女に生きていられては困るんだよ」
翼は身体から切り離され、胸が刃に貫かれ、尾の付け根はそっと撫でられた。抜け出てはいけないものが奪われていく。結礼が自由になれた切っ掛けが失われて、元のあんな状況に戻されていく。
嫌だ。戻りたくない。
いくら叫んでも刃の持ち主は止まらず。三品結礼の復讐劇はここで終わりを告げた。
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