Case9.血涙よさよなら(中)
本社を襲撃しようとしてくる敵の出現。そして、幹部のイドルレ相手での敗戦。彼女が連れていたストレセントも取り逃し、出現のリスクを孕んだ状況だった。
戻ってきた不二たちはもはやスマートフォンの講習など再開する気にはなれず、全員がうつ向いていた。例外があるとすれば、敗戦とはいえないリノと、受けた傷の回復のためベッドに寝かされている城華だけだ。いくら生体隕石を宿していると言っても、その死因が内臓的なものである城華は外傷の回復が不二に比べて遅いらしい。
ただ、城華がいても状況に変化はないだろう。彼女の能力でも毒があのクラゲに通用するとは思えず、脊髄が早くも回復したらしい不二であっても攻撃は物理的でしかない。打つ手を持っているのは、リノだけだ。
見る限りでは、うろこもそう思っているらしかった。自分の変身に使っている拳銃を置いて、ただリノの足元をじっと眺めている。その見つめられているリノは自分が頼られるような空気が嫌いらしく、しきりにため息をついていた。
「あの、言っておくけれど。第二期、第三期とこのシステムを採用してるのは、私たちだけじゃあいつらを倒しきれないからなんだよ。そりゃまあ、実験なんて非人道的な側面だってあるさ。だけどね、自分より強いヤツがいる、だから自分は必要ない、だなんて思わないでほしいんだ。君たちにしかできないことだってあるだろう?」
「私にしか、できないこと……」
城華は寝たまま天井に向けて手を伸ばす。不二にはそんなものが本当にあるのだろうか、としか思えなかったけれど、リノの言葉は和紙には響いたらしい。きゅうに立ち上がって、リノに向かってこう言い出した。
「私は、私にしかできないことを見つけたい。だから、リノ社長。私を鍛えてほしい」
「へっ?」
予想外の答えだったのか、リノは変な声を出した。そのあとでにやりと笑って見せる。
「いいのかな、和紙くん。同じ刃物使いとして、これはスパルタにならざるを得ないよ?」
「……もちろん、望むところ。厳しくなければ鍛練じゃあない。それに。『第一期適合者No.1』がそんな生易しい女なわけがない」
和紙とリノは何を考えているのやら、城華のことは医療班に任せて訓練場に行こうと言い出した。不二は城華のそばに付き添っていたかったのだが、城華の「行ってきなさいよ。私は治すことに専念するしかないけど、そっちは自由なんだから」という言葉でしぶしぶ着いていく。うろこもリノに連れられて半ば無理矢理だ。
訓練場に到着すると、まずリノの前に和紙が立って、ひとりしかいないのに整列とか言い出した。すっかり教官気分でいるらしい。
「よし、じゃあまずはジープだね!用意頼むよ!」
リノが指をぱちんと鳴らすと訓練場の奥で職員がそのジープとやらの用意をするらしい。確か、それは車の名前だったような。そういう名前の練習メニューだろうか。なんてことを考えていると、準備が整ったらしく訓練場の奥から何かが搬入されてきて、その正体に目を疑った。
本当にジープだった。あんなにごつい乗用車など持ち出して、いったい何をするつもりなのだろう。リノは説明よりも先に運転席へ乗り込んで、呆気に取られる不二たち三人をよそにエンジンをかけた。まさか、とは思うが。それで和紙を追い回すつもりではないだろうか。
なんて嫌な予感は、次のリノの言葉で取り払われた。
「行くよ和紙くん。特訓で、変身しなくても暴走車くらいかわせるようにならなきゃね!」
そう。予感が確信へと変わったのだ。車は嬉々としてエンジン音を響かせて動きだし、和紙へ向けて突っ込んでいく。追ってくるその巨体にはストレセントの面影を感じざるを得ない。和紙が選んだのは逃げることだった。しかし、リノは逆にスピードを上げ、突撃を続ける。
「逃げるな!向かってこい!」
たしかに、和紙にはまともに攻撃をくらわないための技術はすこし足りていないかもしれない。が、あんなものに轢かれれば城華と同じような状況になってしまうかもしれない。リノは正気か。疑う不二のことなど気にも掛けず、この特訓は続行された。
すっかりリノの熱に当てられたのか、和紙もジープの方へ走っていき、ぶつかる直前で身体をくねらせて衝撃を逃がしたことで轢かれることにはならなかった。
「さっすが私が見込んだ適合者!センスあるよ!」
これで合格らしい。不二はどうにも理解できない目で彼女らを見ていたが、それに気づいたリノが返してくるのは情熱ではなかった。
「さて、と。和紙くんにはこのあとも特別授業だ。でれど、君たちはどうだい?私に頼りっきりの、無関係な市民に戻りたいかい?」
「……んなわけないだろ。あたしだって、あいつらをハニカム構造にしてやりてえよ」
「ふむ、では不二くんはどう?」
うろこの啖呵にも頷くだけで、続けて不二に振ってきた。
「わたしは……この身体で誰かのためになれるなら、なんだっていい」
「オーケー!ひとつ君たちには教えておくべきことがある。君たちに必要なものだ。資料室のデータベース、そこのストレセントの項目にある『2009』の中身を覗いてみるといい。イドルレと戦うんだから、彼女のことを知っておくべきだ」
リノの言葉をうけて、うろことふたりで資料室へ行くことになる。ここでリノや和紙とは別れて、ふたりで目的地へ向かった。
◇
――上噛和紙には悩みがあった。
不二は首吊り、うろこは拳銃、城華は化学兵器。それぞれが大きな死因を持っているというのに、和紙だけはリストカットだ。命の重みが違う。
確かに速度には長けている。他に比べれば変身も苦ではなく手軽にできる。全体でみれば、確かに簡単に動かしやすい偵察兵だ。しかし、和紙自身はそれでは満足できない。自分の育ての親だった彼女のように、時に切り捨てられ、時に道具として捨てられる。そんな未来を望んではいないのだ。
反省はいくらでもあった。ひとつめ、甲殻を貫けない攻撃力の不足。ふたつめ、針の群れをかわせない対応力の欠如。みっつめ、毒の霧によって無力化されてしまう耐久の脆弱性。それに加え、ゲル状の身体にダメージを与えられない技術不足もある。
だから、リノが10年ほど前に活躍した最初の救世主だったと知ったときは、やはり教えを乞いたいと思った。暗殺のための対人格闘だけではダメだ、怪獣との戦いでも使えるモノが欲しい。
「じゃあ、和紙ちゃん。まず目先の敵はクラゲのストレセントだ。あいつに攻撃を通すには水を断ち切れなきゃいけない。和紙くんのナイフじゃあ浅いから、そのぶん集中も手数も必要になってくるだろうね。一瞬でばらばらにしてしまえば無力化できるんだけれど」
訓練場の一画、滝のエリアに連れてこられた。本来は滝行向けなのか、しっかりと座れるようになっているが、今は打たれることが目的ではない。濡れることは気にせず滝壺へ向かっていき、ナイフを構えた。
まず一度、振るう。当然滝は流れ続ける。水を切るということに対するイメージはわかず、次々と現れてくる流れを断ち切るなんて到底できないように思えた。
「いいや、できるよ。ただがむしゃらにやるんじゃない。
それなら。いつもやっていたことだった。
和紙には首をかっ切る勇気はなく、また用意されていた毒薬を飲む気にもなれなかった。和紙が選んだのは、いつも育ての親の気をひくためにやっていたこと。手首に向かってナイフを振り下ろすことくらいだった。だから、そのやり方、どのくらいの力なら目的の深さをもった傷を作れるか、であれば知っている。
滝に自分の腕を重ねて見て、ナイフを振り抜いた。一度じゃ足りない。和紙が死んだときもそうだった。まだ足りない、まだ足りないと傷つけて、動脈をずたずたにして、それでやっと血が死ぬほどに流れ出た。
もう一度切る。何度だって、何度だって、流れが繋がることなど許さずに、かつすべての一撃に力を込めて。やがて、一瞬ではあるが流れが消えているのが見えた。
「……うん。やっぱり私が見込んだだけあるよね。クラゲのあいつくらいは倒せるよ、私が保証する」
リノのお墨付きをもらって、和紙は思わず線まみれの腕で小さくガッツポーズをした。ちょうどその瞬間に和紙とリノの懐から電子音が鳴った。
「おぉ、防水にしといてよかった。さて、因縁の相手と再戦の時間だよ!アイドルの専用リムジンをスクラップにしてやろうじゃないか!」
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