プロローグ

自分自身がこの世界に必要とされていない、と悟ったのは数年前だった。確か12歳くらいの時だったはずだ。

自分が生きているだけで他方に迷惑をかけるし、存在が邪魔なんだ、と。生きている意味なんてない、と。ただ虚しくて、あまりにも悲観的な精神だと自分でも思う。そんな奴、さっさと死んでしまえばいい、このナントカ野郎、とか第三者だったら言いたくなってしまう。


そうは考えても、実行に移すなんてまず考えられない。勇気がないし、失敗すれば自殺未遂の烙印を押されより難しくなる。だったら、価値がなくても、使い潰されてやることはできる。無意味は無意味なりに、自己を犠牲にしようと思っていた。


それも、きょうでやめだ。


せっかくだからとこっそり買っておいたちょっとお高いチョコレートをほおばりながら戻ってくると、重力に負けていたノートを踏んでしまってすべって転びかけた。もうすぐ重大なイベントだというのに、気絶なんてしていられない。


落ちていたノートの表紙が目に入り、わたしはそれをそっと机の上に戻した。表紙にはきちんと記名してある。

わたしの名前は『円不二(まどかふに)』だ。ふじ、ではなくふにと読む。やわらかくて、自分ではかなり気に入っている名前だ。これで自分でなければな、と毎日この名前を見るたびに思う。


時刻は朝の10時ごろ。あと月曜日。そして、この場所はわたしの部屋だ。少々散らかっているが、年相応の一般的な女子中学生らしい部屋だと自負している。

その一般的な女子中学生なのに月曜日の朝の10時に自室にいるかというと、精神的に気分が悪いと偽って学校をサボっているのだ。どうせもう行くことはないのだからわがままは許してほしい。


ベッドだけはきちんとするようにしつけられたので、そこは綺麗だ。お気に入りのぬいぐるみがいくつか置いてあって、見守られながら眠れる。

代わりに勉強机の上は、さっきノートが落ちていたことからわかるとおり、まったく整理していない。さっきのノートも無造作に上にのっけただけだ。ふだんから真面目に勉強もできていない不真面目さが伝わってくる。いつも片付けないとと思ってはやらない、悪いくせだ。


最後くらい、片付けたほうがよかったかもしれない。立つ鳥跡を濁さず、だったか。いま不二が旅立とうとしているのは、水面どころか現世からだ。だとすれば、多少部屋が汚くったって関係ないだろう。


こっそり買ってきた台に登って、ふだんよりも一段高い視線から自室を見た。未練が見当たらないのは、いいことだ。天井に結んだ縄の、先に作ってあるわっかに首をかけようとした。わっかの向こうで、誰しもが笑っている世界が見えた。



所変わって、ここは地上28階。一般の人間たちよりも圧倒的に天に近い位置に、ふたりの少女が険しい表情で佇んでいた。

いや、本当は少女といえるような年ではない。いかにも社長という高そうな椅子に座り腕を組んでいる少女はもうすぐ三十路だし、その傍らでいかにも秘書ですという出で立ちの眼鏡をかけた少女は社長と2つしか変わらない。


社長らしい少女こと、『天世(てんよ)リノ』はため息をついた。部下からの連絡があり、本日出かける目的地が急遽変更になってしまったのだ。

元から憂鬱だったというのに、もっと憂鬱な場所に変わってしまった。リノはまたため息をつく。いまので通算555回目です、と注意されるがわざわざカウントする隣の変態は無視した。


『第三期被験者候補No.3』である少女を彼女の自室まで迎えにいくはずだった。のに、なんとリノたちが赴く前に首吊りを実行にまで踏みいってしまったのだという。よくそこまでの勇気があるものだ、と感心した。

やはりこちらから何かしらの通知を送り、踏み留まってもらわなければこんなことになる。人生には予想外がつきもので、そのたびに4桁くらいため息をつくことになる。

リノはやたらと座り心地のいい椅子から立ち上がり、隣で待機させていた秘書の『煙草蒲(たばこがま)芥子(けし)』を連れてエレベーターに乗り込んだ。



リノはある組織のリーダーを若冠三十路手前くらいで務めている。仕事はたいへんだ。お金はとんでもなく貯まるくせに、使える時間がない。

金銭の話はやめておいて。この組織における目的、行っている内容について説明するには、数年前に発生したとある事件についてまず説明しなければならない。


小惑星。宇宙を漂う、地球に比べれば小さな天体だ。今はその程度の抑えでいい。一歩間違えば隕石となって私たちを襲う、というのがわかっていればいい。

それが数年前に地球に最接近し、地球の重力に敗北した。そして勝手に爆散した。爆散した破片はもちろん地球に降り注いだ。

簡単に言ってしまえばこんなものだ。詳しい話は組織の管轄外である。


その地球に降り注いだ小惑星の破片について研究したり、関連する事件に対応したりするのが仕事なのだ。

ただの隕石のはずなのに、なんと人間の身体に異常をきたしたり、何かと人間に攻撃的だというのだからびっくりだ。


地上28階から1階まで何メートルもの旅を終え、今度は廊下を経由する。途中でエレベーターを乗り換えるため、通らなければならないエリアがある。病院施設のエリアだ。


このエリアは、建物の1階から5階である。土台部分が横に広い。従来の大きな病院からタワーが生えている、と考えてくれればいい。そんな感じだ。

いま、ここの病院施設は賑わっている。賑わっていてはいけない場所だが、押し掛けてくる人が多い。というのも、最近はテレビで不安を煽るようなことばかり言っているせいで必要もない程度の怪我なのに受診してくる者が多いのだ。本当に隕石が体内に入っていたら、もっと大惨事になっている。


リノにはあまり関係のないことだが、医療系のスタッフは大変だなあと思う。しかも前まではリノに向かって頭を下げるなどが義務づけられていたらしい。社長だからといって仕事の邪魔はできまい。リノの権限で取り消させた。


エレベーターを乗り換え、さらに下っていく。地上28階からえらく地下まで下がっていくが、こっちはたった3階だ。

地下では研究が行われている。もちろん隕石についてだ。おもに人間との関係が主な着眼点となっている。


今回、少女を迎えにいくのもその件であった。

本来この隕石を身体に少量でも入れれば生物としての性質が書き換えられてしまう。つまり、怪獣だとか怪人と呼ばれる人外に成り果ててしまう。

なのだが、中には体内に取り入れても直ちに人間性を消失しない者がいるのだ。いわゆる適合者であり、未知を既知に変える資格を持つ者だ。


リノがきょう会いに来たのは、そういった適合者の少女たちだった。なぜか年頃の女の子が多いのはきっとそのうち研究で明らかにされる項目だろう。


施設の奥の方にあり、厳重にロックされている扉の前まで来た。顔認識とパスワードとカードキーと、なんかいろいろあってめんどくさい。秘書の芥子がやってくれるので、すこしのあいだ扉の前で待っていれば空いてくれるのは社長特権としてありがたい。


扉の中には適合者専用の病室のような部屋がある。真っ白で面白くないが、ここでは少女たちは眠っているだけだ。


「すでに手術は施してある?」

「いいえ。第三期被験者候補、四人すべてに確認をとれと、リノ様がおっしゃっていましたので」

「ああ、それをやらなきゃいけなくてここに来たんだった」


これから、彼女たちには自らの運命を選んでもらうことになる。この世からの素直な退場を選ぶか。それとも、意地汚くぼろぼろにされても這い上がろうとするか。

それは彼女たちしだいだ。


その選択を突きつける役というのはとても憂鬱だ。何人もの少女の未来に責任を持つ役割ともいえるのだ。


「はぁ……今回はこの子たちかぁ……」


四人の少女がそれぞれのベッドで眠っているなか、リノはもう一度名簿を確認した。経歴も載っている。どれも人生ハードモードだったのは覚えている。過酷な人生を送ってきた少女たちのことを想うあまり、556回目のため息をついてしまった。

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