我輩は軍犬である 中

 装甲車背後の昇降ドアから兵士達と共に降りると、焼ける様な太陽の陽射しが全身に注がれた。


 眩しさに青紫と黄緑色に彩られた我輩の視界が更にぼやけるが、徐々に眼が慣れていくと地獄が見えて来た。


 使用された兵器の名残りが、灰塵と帰した民家の中から炎を燻らせ、隙間から突き出た誰かの腕を焼いている。


 路の傍らには流れ弾が当たったのか、盾にされたのか、それとも自ら挑んだのか、15歳程の少年が眼まなこを開けたまま快晴を見上げて横たわり、額から少量の血を流す年老いた女性が、悲痛を訴え切れずに少年の手を握ったまま傍で蹲っていた。


 気付けば、当たり一帯に破壊と死が撒き散らされていた。

 放心する子供を抱いたまま瓦礫の影から様子を伺う親。崩壊した室内の家具にもたれ掛る石榴ざくろに弾けた敵兵の死体、血だまりの池に沈む旧式の大国産銃器。どこから来たのか、遺体から物色を始める男達。


 赤子を抱いて絶叫を上げる女の声を皮切りに、我輩の耳には彷徨う嘆きの痛みが地を這う呪詛の様に届いてくる。


 もし我輩の見識に間違いが無ければ、これが地獄以外の何だと言うのか。

 人は自らの想像を実現出来るのだと、犬ながら毎度の事として驚く。


「――俺らは、向こうから行くよ。あんたらは、そっちを頼む。お前ら、チップスも行くぞ」

「キュフン」


 同盟軍の兵士が正面で倒壊した民家の前で、腹部を負傷し立ち尽くす男性の方に手を向けると、彼らは少年の亡骸に蹲うずくまる老いた女性の元へ向って行く。


 黄色い歯を見せてくれた兵士が武器を下ろして女性へと視線を合わせるように身を屈めると、その肩へ手を降ろした。


 我々がどうにか出来る相手は、何時だって命在る者だけだ。


 自負と嘲りが混じった足取りで我輩達は目の前の男性へと近づく。我輩の嗅覚からは、この男が杜撰ずさんな爆薬を持っていない事は解った。


 男は近づいてい来る我輩達に見向きもせずに、倒壊した家屋を見つめる。男の腹部から流れた血が、乾いた土に落ちて吸い込まれた。


「おい、アンタ意識はあるの――」


 サナダは男が立ったまま気絶しているのではと、確認のために肩を触れようとした瞬間、男が突然振り向いた。


 背後に控えていた仲間達が武器を構えかけるが、男はサナダを睨むだけで何もしない。


 我輩を含める隊の兵士達がこの男の目が、何を睨んでいるか直ぐに解った。戦場で散々見てきたもの――行き場を求める怒りだ。


 我輩達は戦場で生まれる怒りを何回も見て来た、また同じくらいに怒りを自ら生んだ。怒りは報復と言う形で絶え間なく連鎖し、技術を行使する事により更に効率を上げて生まれ広がっていく。


 目の前の男も止めどなく感染していく暴力の連鎖に巻き込まれたのだろう


 男が弱々しく震える両手で、サナダに掴みかかろうとする。

 我輩は男が背を向ける瓦礫の中から、血に混じった甘い乳房の香りと泣き声、か細い息が確かに聴こえた。


「ワンッ」

「――マル、見つけたのか!?」


 鳴き声を上げて知らせると、我輩は一目散に瓦礫の上に飛び上がる。

 鋭い破片となった小さな瓦礫を掻き分けて、感じた存在の位置を精査していく。


 辿るべきは芳香な血に彩れた命の印し、どこだ、どこにいる。頼む――――見つけた。


「ウォッ、オーーーーン!」


 嘆きの廃墟となった市街で、存在を知らしめる為に盛大な雄叫びを上げる。

 ここだ、ここに居る。


 我輩の鳴き声を聴いて察したサナダが男性を振り払い、確信を込めた顔でこちらへ頷くと急いで振り返る。


「隊長!」

「よし、時間との勝負だ! テキパキと行くぞ。サナダはマルと一緒に場所の精査と状況把握、ヒロエは男性の出血が酷いから先に止血を。オクイズミとハラダは他の隊と連絡して人手をかき集めて来い。コバヤシは俺と一緒に周囲の安全確保だ、ついでに動かして問題無い瓦礫を先に片付けるぞ」


 一斉に動き出す兵士に、腹部から血を流す男性が虚を突かれた表情で困惑を浮かべる。


 任せて欲しい。古今東西、犬はお宝を見つけるのが得意だ。




 陽が傾き赤焼けの夕闇が熱を奪うように辺りを包み始めた頃、我輩たちは疲労と達成感に溜まった体を引きずりながら非営利組織が取り仕切っている医療施設の玄関にいた。


 この辺りは戦場となった場所からそれほど離れていない筈だが、幸運な事に破壊の爪痕は見当たらない。医療施設に掲げられた、夕焼けの風になびく旗のお陰だろうか。


 背後からは薬物と消毒液の臭いに混じって漂う血の香り、余裕の無い叫び声が絶え間ない緊迫感を伝えてくるが、彼らは皆、命を救う為に動いている。


 目の前で命が失われる事を善しとしない人々の戦場が、其処に在った。


 地元民が其処にいない空気の様に我輩達の前を通り過ぎるが、時折異国の兵士を警戒する視線を投げつけて去って行く。至ってまっとうな反応である。


 ――火薬を見つけて遊ぼうとする大人はそうおるまい。


 出来る事も無く、一息の休息を兼ねて玄関口を見張る我輩を、連れて来た軽傷の子供達が興味本位で触れてくる。


 最初は恐る恐るであった手つきだが、我輩が噛み付いてこないと解ると急に無遠慮になっていく。

 向かいにいるチップス16世殿に至っては、腹を見せながら子供達と楽しそうにじゃれている。

 その横では、同盟軍のチップス16世殿のハンドラーがチョコバーを子供と分けて黙々と頬張っていた。


 横で眠そうに此方を見ているサナダに少女が現地の言葉で話し掛けて来た。


 サナダは一呼吸置くと、我輩との通信機を起動させる。


「なんて言ってるか解るか?」

『「このワンチャンのお名前は?」と訊いているな』

「訊いて置いてなんだが、お前現地の言葉解るのかよ……」

『ニュアンス程度でな。伊達に異種族と日々コミュニケーションはとっていない』


 サナダが少女に身振り手振りとカタコトの言葉で我輩の名前を伝えると、少女が無邪気に笑って我輩の名を連呼し触れてくる。


 ――む、この力加減とツボを弁えた撫で方……この少女、中々のテクニシャン……ワフ。


「隊長、俺犬になりたいです」

「お前が犬になっても少女に撫でられるとは限らんぞ」

「でも、でもでも、犬なら女の子をペロペロしても比較的合法じゃないですか!」

「オクイズミ、お前もうちょっと脊髄反射の言動を慎もうな? 国外だぞ、ここ」

「国内でもオクイズミの発言はアウトっすよー」


 フルフェイスのヘルメットを被ったまま、子供と指遊びに興じるハラダがあっけらかんとした声を上げると、ヒロエが憔悴した顔で医療施設から出て来た。


「き、気軽に……その場の勢いで応急手当なら出来ますとか、自信満々に言うもんじゃないっすね……お、俺、今日で戦場三回分くらいの経験積めたかも……」


 呼吸を乱すヒロエに向ってサナダが陽気に手を振る。


「おう、お疲れさん。貴重な休憩時間を潰した甲斐は在ったか?」

「どうなんでしょう。感謝してくれたのは嬉しかったですけど、次から次へと手当てしなきゃいけないもんで……あ、そだそだ」


 ヒロエが防弾アーマーの上の軍用ポーチから何か取り出すと、サナダの方に棒状の何かを投げる。


 蜂蜜と胡桃の煮詰めた香りに我輩の嗅覚が反応した。


「はい、隊長と他の皆にも」


 ヒロエは相手が受け取りやすいコントロールで次々と甘い香りの棒を投げつけていく。

 犬の本能的に跳びつきそうになるが、グッと抑える。


 ――子供の手前、見っとも無い行動をする訳には……ああ、甘い香りに口の涎が。


「なんだこりゃ……って、ヌガーか。誰かに貰ったのか?」

「今日のお礼にって、ここの管理者の人が。そういや俺達が瓦礫から引っ張り出した家族、3人とも何とか持ち直せた様です」


 サナダが仲間に解らないように小さく息を吐くが、犬の我輩にはモロばれである。

 ヒロエは自分の分のヌガーを包装から取り出して齧りながら喋るのを止めない。


「母親は出血がちと酷いので安静必須ですが、赤ちゃんの方は点滴で何とかなるそうです。2人ともちゃんと安静にすれば助かるかと」


 半分のチョコバーを黙々と頬張っていたチップス16世殿のハンドラーが、今度は報酬のヌガーを横に座る少年に再び半分渡しながら。むき出しのアゴで笑みを作る。


「上々の戦果だな。まあ、帳尻がこれで合う訳じゃないけどよ」

「そんなもんだろ、帰ったらコーラ飲もうぜ」


 苦味を残したアゴの締りにサナダが祝杯の提案を出す。

 我輩も今日は美味しいミルクが飲みたい所ではある。


「ちゃんと冷えてんのか」

「ふふん、食堂の冷蔵庫にちゃんと付箋付きでキープしてるぞ『このくびれは俺のものだ』って名前入りでな」

「なんか盗み飲むのに背徳感がありそうだな」



 隊長が自分の分のヌガーを食べる為に、ヘルメットを脱ごうとすると、彼のヘルメットにオレンジに輝く光源が走った。

 同じタイミングで同盟軍の隊長のヘルメットにも同じ現象が起きる。


 リラックスしていた兵士達に緊張が走った。


「……こんな時に通信かよ」


 溜め息と共に2人の隊長が通信に応じる。

 空気のたわみを微かだが、全身で感じた。


「どうした、マル」


 サナダが急に顔色を変えた我輩へ振り向いた瞬間、安っぽい爆音が響いた後に、遠く離れた市街地の空で黒煙が上がる。

 我輩達の周囲を歩いていた民間人が危機を察して、急いで周囲の物陰へと隠れていく。


 その場にいる兵士の誰もが容易に最悪のパターンを想像した。


 一足先に現実を告げられた隊長が冷静に落ち着きを払った素振りで低い言葉を落とすと、下げていた小銃を持ち直した。


「敵の攻撃だ。敗走したやつらの一部が、秘蔵の地下通路を使ってこっちまで戻って来たらしい。どこから用意したのか爆発物を身に付けてる」

「つまり――自爆攻撃?」

「そうだ、それも大分自棄になってる。人が多ければお構いなしだそうだ。既にこちらでは3人やられてる」

「最悪じゃないすか……民間への被害は?」

「後で数字が出るさ、盛ったか減らしたかは解らんが」


 こちらの様子が変った事を訝しむ子供達をヒロエやチップス16世殿のハンドラーが医療施設の中へと戻るよう言い聞かせる。


 降り切ったら夜の帳から、僅かな火薬の臭いが届いて来た。


 オクイズミが惜しむ少女を諭す様に施設へと背を押すと、小銃の安全装置の目盛りを「ア」から「3」へと切り替えた。


「隊長、俺達への指示は?」

「最後までよく聴けよ? ――後退命令が出てる。一旦下がって、迎え撃つ積りらしい」

「目の前にある民間の医療施設を見捨てるって事ですか」


 にべも無く言い放つ隊長の言葉に、サナダがあからさまに不満げな言葉で返す。我輩も視線で訴える事にする。


 隊長が大仰に溜め息を吐いた。


「最後までよく聴けよと言った筈だぞ、サナダ。あとマルもそんな眼で見るな」


 隊長が手首に巻いてる携帯端末の液晶をグローブでなぞりフリックをすると、各員のヘルメットに青い光源が走った。


「なるほど、迫ってくる敵に背中見せる形で逃げるのは危ないわな」


 ハラダがヘルメット越しの視野に表示される命令の概要に口笛を吹いて同盟軍の兵士へとヘルメットを向けると、黒人が気前良く黄色い歯を剥き出す。


「迎えの部隊を出すから、それまで周囲への警戒を厳にしろってよ――あと、民間の車がそっちへ沢山向うから間違えて撃つなだとさ」


 言わんとする事を察したサナダが、先程の反応から180度動いた頷きで快諾した。


「そりゃ大変だ。渋滞起こしたら作戦に支障が出ちまう、きちんとエスコートしないと」

「偉い人は素直じゃないよな」

「なんだってこんな気まぐれを?」

「バランスとってる積りなんでしょ、アホくさい」

「声と態度くらい合わせておけよ、コバヤシ」


 隊長が嬉しそうに気力に満ちた態度を示すコバヤシに一言忠告を出すと、我輩へと振り向く。


「お前の五感が頼りだ、いけるなマル」


 我輩は高揚した士気がある事を短く一吼えで示す。

 ――群れの未来を護るのは、雄の努めである。

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