夜の恋文

夏鴉

夜の恋文

 夜降りて君は微睡む。僕の知らない場所で、君は夢と現世の狭間に居る。穏やかな君の吐息を、僕は黒い木々の上で知る。流る夜の風に君の吐息を重ね見る。

 僕は一羽の烏だった。夜に溶けるいきもの。夜には目の利かぬ不便ないきもの。けれどどうしてか、僕の目は夜の闇と仲が良かったらしい。

 藍の天鵞絨のような夜空も、散りばめられた水晶のような星も。僕の目は思うように見ることが出来た。

 そしてどうしてか、僕の中には君が居た。

 名も知らぬ君。

 君はきっと、人間なのだろう。僕などより余程がおおきく、色んなことの出来るいきもの。そんな気がする。

 だが、君は孤独なのだろう。僕は知っていた。秋の物悲しさに、冬の凍て付く切なさに、君は重なった。

 名も知らぬ、姿も分からぬ君は、しかし何時だって僕の心を占めた。

 翼羽搏かせて舞う蒼穹。

 疲れて暫し止まる大樹。

 稀なるこの目で見る夜の全て。

 あらゆるものが、君を想う縁となった。

 君は何処にいるのだろう。僕は折に触れて思う。山野を飛び回る僕は君を知らない。きっと、君の種であろう人間だって、殆ど見たことがない。

 だから。

 そう、だからこそ、僕は旅をすることにした。

 僕には翼があった。君にはきっと、翼はない。だから、僕が君に会いに行こう。

 思い立てば、造作もないこと。僕の翼は幾里もの空を翔るに足りる程頑丈であったし、雪降る山に住んでいた僕に寒さは敵ではなかった。夏の暑さは少し堪えたけれど、流れる川と戯れればまた飛び立てた。

 何より、僕には目があった。夜をも見通す目が。だから、僕は昼夜を問わず空を往けた。

 山を越え、野を渡り、街を通り。

 名も知らぬ君を。

 旅の最中を君に重ね、何処かで昼を夜を過ごしている君の気配を知り、そして飛んだ。

 一体どれだけの空を飛んだだろうか。

 山野しか知らなかった僕は色んなことを学んだ。人間のことも知った。

 やっぱり、君は人間なのだろう。学んで、僕は思う。

 孤独な人間なのだ、君は。

 夜の月のように一点の曇りもない、うつくしい存在ではないのだろう。人間は、そういういきものだから。君だけが特別である道理はないのだから。

 けれど、だからこそ、僕は君に会いたい。

 君が本当はどういう人間なのかを知りたい。

 何かに重ねてしか想えぬ君に、僕は触れたい。

 嗚呼。

 ――きっと、もうすぐ君に会える。

 

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