四丁目の万屋奇譚

玖柳龍華

燃ゆる身体

第1品 時給不安定

 後悔先に立たず。


 なんて言葉があるが、人間そう簡単に割り切れないのが常だ。

 大なり小なり。個人差はあれど、誰しも思い当たることがあるだろう。


 俺もそうだ。

 自分のことをねちっこい性格だとは思わないし、どちらかと言えば竹を割ったような性格だと思っているが、それでもいくつかある。

 いや、今思うのはただ1つだ。


 思い返すだけでも腹立たしい。

 そりゃもう連中をサンドバッグにしてフルボッコにしたいぐらい腹立たしい。


 声を大にして叫びたい。

 もし時間が戻るのなら、俺は犯罪を犯してでもあの場所を通りがかったりはしなかった。そりゃもう、神にも悪魔にも何にだって誓う。

 命を懸けて通ったりはしなかった。


 何があったのかというと、単刀直入に言えばバイトの勧誘をされたのだ――世にも奇妙な連中に。



 ◆



 学校からの帰り。部活に入っていない俺は真っ直ぐ帰宅するのだが、その道中で四丁目付近を通ったときのことだ。


 俺は声をかけられた。

 連中の言葉ひとつひとつを覚えてるわけではないが、第一声は覚えている。


「そこの頭が良さそうな、哀愁漂う少年!ちょっと話を聞いていかない?」


 そんな一言を背後からぶつけられた。

 なんでこれで引き留められると思ったのか、謎でしかない。理解に苦しむ。

 だから覚えているだけで、俺は足を止めたりはしなかった。関わりたくなかったというか、その時はまさか俺に声をかけられてるとは思わなかったというのが正解だ。

 それから、あと2、3回ぐらいは声をかけられた。

 いや、声をかけられてると思ってなかったから、どっちかっていうと聞いたというべきか。どんだけ無視されてんだよと他人事且つ楽観的に思っていた。


 極めつけがこの一言。


「美味しいお菓子も食べられるよ!」


 俺はこの一言で足を止めた。勘違いして欲しくないのは、その言葉につられて振り返ったわけではないということだ。

 俺が帰る時間は小学生が集団でぞろぞろと帰宅する時間帯でもある。てっきりどっかの馬鹿が子供を誘惑してるのかと思って、俺は足を止めたのだ。


 別に正義感からとかではなく、もしそれが事件だったら後味が悪い。

 だが、悪い結果を味わったのは俺だった。


 振り返ると、その不審者どもは思ってる以上に至近距離にいた。だるまさん転んだのタッチされる直前ぐらい距離だった。前触れ無く問答無用にパーソナルスペースを犯されたような嫌悪感がして、俺はすぐさま数歩距離を取った。


 不審者2名は互いの顔を見合わせて、あんぐりと口を開けた。


「やべぇ、お菓子で振り返ったって事はお菓子をご所望って事か?おい、今ウチになんのお菓子あったっけ?」

「えっと、確かするめといかそうめんと……あぁ!あと柿ピーだ!」

「あぁ!確かキンッキンに冷やしてるもんなぁ!――って完全につまみじゃねぇか!」


 サングラスをつけた黒髪の男と無駄に洒落た格好をした茶髪のロン毛男だった。

 憎たらしいほどタッパのある大男2人組が肩身を寄せ合うようにして、こそこそとしながらも漫才のような手振り身振りで会話を始める。少ししか離れてないこの距離だと、奴らのアホ丸出しの会話は筒抜けだった。

 はて。俺は何を見せられているんだ。こんな連中に割くような時間は無い。俺は無視してまた歩き出そうとした。


 だが、両手を掴まれた。がっしりと、容赦なく掴まれた。

 そして、そのまま後ろに引かれた。


「ちょっと待ってくれ!」と必死な聞こえたけど、その台詞はそのまんま返す。

 ちょっと待てや。そんなことしたら重心が後ろにもっていかれて――。


 視界がぶれた。

 ずどん、と俺はそのまま後方に転んだ。

 手を掴まれていたので、地面につくことも出来ず。背中から倒れなかったのは不幸中の幸いかもしれないが、尾てい骨を強打した。一瞬息が跳ねる。

 下が土ならさして問題ではなかったのだろうが、残念ながらコンクリートである。学校指定の鞄の上に転んだのならクッション代わりになったかもしれないが、残念ながら鞄は空しく俺の手から放り出された。


 どうするどうする、とこの世の終わりのように慌てふためく大の男の情けない声を聞きながら、俺はゆっくりと患部を擦りながら立ち上がった。


 自慢じゃないが、俺の沸点は低い。


 事故だろうが故意だろうが、『目には目を歯には歯を』だ。

 腹パンでもしてやろうか。タックルでもしてすっ転ばせてやろうか。

 俺は2人を殺すつもりで睨み付けた。だがそこに顔はなく、俺は視界を下げたところで奴らを見つけた。

 正座の形で座り、身体を畳むようにしていた。


 土下座である。

 車がぎりぎりすれ違えるほどの広さの道の上で。

 大の大人が土下座。


「……、」


 その頭部を踏みつけてやりたかったが、さすがに公共の場でそんなことは出来ない。人通りは少ない場所だが決してゼロではないし、住宅地も近い。

 このむしゃくしゃをどうしてくれようか。


 怒りに震える俺を前に、不審者共は「すいませんでした!」と声を揃えた。


「すいませんで済んだらケーサツいらねぇんだよ」


 この鈍痛は警察が手に負えるものではない。

 俺がそう言うと、2人はすいませんを繰り返しながら打ち付けるように何度も頭を下げた。


「許さねぇけど、顔あげろや。目撃されたら俺が悪いみたいじゃねーか」

「あ、それはご心配なく。人払いしてるから、術が解けるまでは俺らに誰も気付かないよ」と茶髪はまるで反省していない声で言う。


 人払い。術。その言葉に本格的な不審者だと確信した。

 なんだ?新興宗教の勧誘か?カルト集団か?

 茶髪のぺらっぺらな笑みが胡散臭さを際立てる。


 俺は周囲を見渡した。

 人払いをした――その言葉が嘘か本当なのか、その通りには誰もいなかった。目撃者は誰もいない。

 なるほど、それなら。

 俺は全力で茶髪野郎の顔面めがけて鞄をぶつけた。ちゃんと金具がついている方を相手に向けた。抜かりはない。


 へぶしっ!と声を上げて、その男が撃沈する。サングラスが気遣うように手を伸ばしたが、すぐに俺の方を振り返った。目が見えないので怒ったのかそうでないのか、一切判断が出来ない。感情が見えないというのは一種の不気味さでもあったが、そんなことはこの際どうでもよかった。


 帰宅時の俺の時間を奪ったこと。俺の親切心を弄んだこと。俺の尾てい骨にダメージを与えたこと。これは罪深い。


 それに、外部からどう見られようと、俺は自己防衛をするべきだと判断した。

 それほどまでに、意味が不明で危ない連中だった。


「ほんと、マジ、すんませんした!こっちの男は贄に捧げるんで俺だけ助けてください!」とサングラスが再び土下座をする。

 まるで神でもあがめるかのように、上半身を下げ、上げて、下げて、を繰り返す。その動きと同じように真っ直ぐに伸ばされた腕も上下する。


「贄もらったって怪我は治んねーんだよ。あと、処理も困る」


 俺がそう言うと、茶髪男が「海に沈めるのだけは勘弁してください!」と今にも泣きそうな声をあげる。そうしたいぐらいに不機嫌なのは認めるが、この男共の目には一体俺がどのように見えているのやら。

 なんで俺の方が危険人物扱いなんだ。解せない。


「死ぬほど謝るから俺達の話を聞いてくださいぃ!」

「柿ピーあげるから俺達の話を聞いてくださいぃ!」


 2人が時代劇のようにははー、と頭を下げる。

 少々大げさすぎて、もはや一周回って反省の色は感じられないが、俺の気はもう済んでいた。否、こんな連中とこれ以上時間を共にするのは駄目だと脳内で警報が鳴らされていた。


 俺は「嫌です」と懇切丁寧に断りの言葉と作法を持ち出して、その場を早足で逃げ出した。


 だが、相手は往生際が悪かった。

 再び手を引っ張った――ではなく、もはや最終にして強行手段に打って出た。


 俺を米俵方式で持ち上げたのである。

 妙に慣れた手つきだった。


「……は?」

「申し訳ありませんがご足労願います」

「足を患わせたりはしないので」


 俺は足をばたつかせた。だが、地面を離れた俺の足は空しく空を蹴るだけだし、むしろ靴が脱げそうになるだけだった。

 俺は何度も拳を相手の背に打ち付けた。だが、俺の手が一向に痛くなるだけで、むしろ巨躯なその体はびくともしない。


 そして、サングラスはそのままどこかへ俺を運ぶ。

 担がれたまま顔を上げると後ろを歩いていた茶髪が俺に鞄を渡してきた。俺はそれを受け取り、そのまま茶髪の側頭部を殴りつける。


「下ろせやクソが!」

「痛ェ!! 耳に直撃!!」


 ――これが、後になって思えば誘拐の被害者として警察に届けを出すべきだったかもしれない、すべての始まりである。


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