巡り巡って、流星
三〇七八四四
巡り巡って、流星
物事は結論から言う方がいい。なので俺がいつも思っていることの結論はつまり俺の彼女の鈴美はかわいいという事に尽きる。もし俺の一人称視点を通して何かを見る人がいたとしたら、ほとんど意味のない記号の羅列を見ることになるだろう。もしかすると鈴美の容姿がどんなであるかさえ分からないかもしれない。でも、それも仕方ないことだと思う。俺は親切な語り手ではないし、信頼できる語り手でもないのだから。
結論を言えば、俺の彼女である鈴美はかわいい。
☆
「ようくんに見せたいものがあるの」
そう言うと鈴美は箸をおいて、寝室へと何かを取りに行った。テーブルの上には鶏のから揚げをはじめとした俺の好きなおかずが所狭しと並べられていた。鈴美の作る料理は美味しい、俺の味覚を完璧に把握しているのではないかと思うくらいに。もしそうだとしたら、それは俺への愛がなせる業であるし、そうでないとしても、彼女の味覚と俺の味覚が近いという事になるので、どちらにせよ素晴らしいことだと思う。
それにしても、俺に見せたいものとは何だろうかと疑問に思った。彼女と交際するようになって四年、同棲するようになってから来月でちょうど一年ほどになる。俺が退院して、二人で暮らすこの部屋に帰ってこれたお祝いとして何かプレゼントでもあるのだろうか、それとも別の、驚くようなものでも持ってくるのだろうか。
そうこう考えていると鈴美が食卓に戻って来た。
彼女の様子は先ほどとほとんど変わらないように見えるが、よく見ると手に何か小さなものを握っているように見える。まさか、そんなわけないよな、ちゃんと避妊もしていたわけだし……いや、でも、そうだとしてもとても喜ばしいことではないか。大事なのは過程ではなく、結果なのだ、と、酷く無責任なことを考えながら俺は鈴美に尋ねた。
「鈴美、その手に握っているのは何?」
「へへへー、よく聞いてくれました! 見てこれ!」彼女はそう答えると、屈託のない笑みを浮かべながらテーブルの上にその小さくてかわいらしい手に握っていた何かを置いた。俺はその置かれた物体に注視した。
それは黄色い色をした結晶だった。
その結晶は高校生の時に持っていた化学便覧に載っていたようなもので、とげとげとした形をしていた。
「で、それは何?」どうやら自分の考えすぎだったようだ。少し反省した後、俺はからかうような調子で鈴美に問いかけた。
「ふっふっふっ、いいかいようくん、これはね、流れ星だよ」彼女は腰に手を当て、胸を張りながら自信満々に答えた。そのポーズをしたことに満足したのか、彼女は椅子を引いて元居たところに座った。
流れていない状態なのに『流れ星』とはちゃんと考えて鈴美は言っているのだろうか、そう思いながら俺は鈴美を見た。彼女は俺が見ていることに気付くと、へへへ、と小さく笑った。その仕草はとてもかわいらしく、医者に安静を命じられていなければ今すぐにでも抱き着いていたほどだ。
「え、流れ星? 鈴美知っているか。星ってのはそう簡単に手に入るもんではないんだぞ」
「あ、ようくんまた私を馬鹿だと思っているでしょ。さっき流れ星って言ったのは、比喩だよ。本当はこれが何かはわからないの」鈴美はやっぱり自分の持っていたものが何かは知らなかった様子で、最後の方はほとんど聞き取れないようなか細い声で言った。しかし俺でも何も知らない状態でこの小さい石を見せられたら、これは何であると答えられないだろう。彼女は悪くない。
けれど、なんだかその様子が面白くて、俺は笑いながら彼女に言った。
「俺もその石が何かわからないから、大丈夫だよ。それよりも、ご飯を食べよう。鈴美のせっかく作ってくれた美味しい料理が冷めちゃうよ」
「えー、これが何なのかを一緒に考えようよ。ご飯も食べるけどさ」そう言うと彼女は先ほど置いた箸をまた取って食事を再開した。
「食べ終わってから考えてもいいだろう。それより、俺が留守だった間何があったかを話してくれ」
「ようくんが留守だった間のことって言ったって、毎日お見舞いに行ってたじゃん。話すことはもう話したでしょ」
「それはそうだけど、ほら、あそこは他にも人がいたからできなかった話とかもあるだろ。例えば、俺がいないと寂しくて夜も眠れなかったとか」
「そんなことはないけど……ねえ、さっきからこの石から話を逸らそうとしてない?」何かに気付いたように彼女は疑いのまなざしを向けてきた。
鈴美は普段、ふんわりとした感じの言動とその見た目からあまり頭がよくなさそうな印象を与えるが、時折、周りの人が驚くくらい鋭いときがある。これも俺が鈴美の好きなところの一つだ。そんなことを静かに考えていると、彼女はますます怪しく思ったようで、
「ようくん、もしかしてこの石が何か知ってる? なんか隠そうとしてない?」と言った。
「いいや、知らないよ」俺は素知らぬ顔で、そう答えた。
「本当に知らないの? あやしー」しー、の部分で彼女が前のめりにこちらを見つめてくる。そのせいで、彼女のふわふわとしたゆるい寝間着の首元からとても良いものが見えている。
「知らないって。じゃ、まずはその石をどこで手に入れたか教えてよ」
「んー、しょうがない。ごまかされてあげる。で、この石は気づいたら手の中にあったの」
「もう少し詳しく」
「えーっとね、今日ベッドで昼寝してたんだけど、夢の中でね、ようくんと流星群を見てたんだよ。ほら、去年一緒に見に行った……ふたご座流星群……だっけ? そんな感じで」
去年見たのはふたご座流星群だったか、しし座だったか……言われてもピンとこなかった。まあ現時点では大した問題ではないのだ。それに、見に行くにしたって、何を見に行くとかではなく誰と見に行くかが重要なのだ。本当かどうかわからないけどインターネット上で見たどうでもいい理論を思い出した。
「それで、その流星群をどうしたの?」
「そう、その流星群がとてもきれいで、わー欲しいなあって言ったら、ようくんがこうひょいって取ってくれたの」鈴美は星を取る動きを思い出しているのか手を小さく頭上でひょいと横から取るような仕草をして見せた。
「流れ星を? 俺が?」
「そう、ようくんが」そう言うと彼女は先ほどして見せた動きをまたやった。彼女は俺を悶え死にさせるために生まれてきたのだろうか。きっとそうに違いない。
鈴美の話を聞いて、絵本にお月様をはしごで取るお父さんの話を思い出して、少し可笑しかった。そして、その話をすんなりと記憶の底から引き出してみせた自分に、ほんの少し満足感を得ることが出来た。
「それで、その石は夢の中で取ってもらった星と同じなんだね」
「そう! そうなの! 夢から起きたら手の中にあったの! そういえば、その時にはもうようくん帰って来てたよね。退院の時間間違えちゃってごめんね」
「いいんだよ。俺もいいもん見れたから」鈴美の寝顔が恐ろしくかわいいので一時間ほど見ていたことは流石に自分でも気持ち悪いと思ったので言わない。
「いいもん?」そう言って彼女は人差し指を顎に当てて、不思議そうに首を傾げた。
俺は彼女のその仕草を見て、完璧だ、と強く思った。そもそも、その小さい顎にどこに人差し指を当てているのか不思議になるくらいに顔が小さくてかわいいし、また当てている人差し指も白く、すらっとしている。高校生までピアノをしていたからそんなに手がきれいなのかとも思ってしまうけれどきっとそんなことはない、彼女の手をきれいにしようとした努力もきっとあるのだろう。その証拠に彼女の肌はどこも透き通るくらいに美しく、滑らかである。
首の角度も完璧だ、それ以上行き過ぎると不自然になってしまうが、それよりも浅い角度だと今度は首を傾げていないように見えてしまう。どこで学んだのか彼女は完璧な角度で首を傾げる。ちなみに彼女のこの首を傾げる仕草は俺が好きな彼女の仕草ベスト一〇の中でも二位に入るほどだ。ちなみに三位は彼女が朝起きたときの伸びである。その仕草について言及するのは現在の精神状態には厳しい。
そもそも彼女がかわいいから首を傾げてもかわいいというのは一理ある。なぜかというと彼女の首を傾げたときの写真をこっそりと撮って研究し自分でもかわいくなるかを試したことがあるからだ。ちなみに、鏡に向かってやってみたところ首筋を痛めた三十代目前で少しずつ出てきたお腹が気になるおじさんが鏡に映っていた。
そのようにしばらく思考の海に沈んでいると、箸が空中で止めたままの俺を心配に思ったのか鈴美が俺の目の前で「もしもーし」と言いながら手を振った。やめて! もう私の体力はゼロよ! と頭の隅で何かが叫んでいる。さらに言えば、その仕草は六位だった。
やっとのこと現実世界に戻って来た俺は、彼女に話しかけた。
「ごめん、何か言った?」
「ようくん、私と話してるとたまにフリーズするよね。まあ、面白いからいいんだけど。それでね、この石はもしかしてようくんが買ってきてくれたのかなって、そう思ったんだけど、違う?」
「いや、その石は買ってないよ」そんな黄色い石なんて買っていない。買っては。
「そうなんだー。他に買ってるみたいな言い方だけど。もしかして……?」
「うん、そうなんだ」そう言うと俺はリビングにおいてある、仕事用の鞄から小さな箱を取り出してその中身を見せながら、こう言った。
「鈴美、結婚してくれ」
指輪は先月程に買ったものの、最近はごたごたとしていて全然渡せなかったのだ。しかし、大事なのは過程ではなく、結果なのだ。
鈴美は驚いているのか十秒くらい固まっていたものの、その後、若干目を赤くしながら「うん」と答えてくれた。
「でもなんで今日なの? 特に何かの記念日とかではないよね」指輪を左手の薬指にはめた鈴美がふと気づいたのかそう言った。
「もうちょっときりがいい時に渡そうと思ったんだけど、鈴美があまりにもかわいくて、つい。それに今日が記念日じゃないなら、今日を記念日にすればいいんだよ」俺が自信満々にそう言うと鈴美はそうだね、とうなずいた。
「今日が記念日、そうするとこの石は何か運命的にも感じるね」彼女は感慨深そうに『流れ星』の表面を撫でながら言った。俺も流石に罪悪感が芽生えてきたので、このあたりで本当のことを話そうと思った。
「その石、実は俺がやったんだ」
「やっぱり? でも買ってはないって言ったよね。拾うにしてもこんな石見たことないし……」
「鈴美、ここ一週間、俺がなぜ入院していたか知ってる?」
「えーと、確か腎臓系の病気だって聞いたような……お医者さんにもすぐに治りますって言われたし。結局何だったの?」無垢な笑みを浮かべながら訊いてくる鈴美にかなりの罪悪感を抱きながら、俺はこう答えた。
「腎臓系の病気というのは間違いではないんだけども……俺の入院した原因っていうのはね、尿道に石が詰まったこと、つまり尿路結石なんだよ」
思い出すのは一週間前、職場で任されていたそこそこ大きな仕事を成功させ、その打ち上げで職場の仲間たちと居酒屋で呑んでいた時のことだった。かなり酔っ払った俺は用を足そうと席を立った瞬間下腹部に強烈な激痛を感じ、そのまま倒れたのだ。
その場にいた人たちによって慌てて病院へと運ばれた俺は、医者から穏やかな顔で尿路結石であると告げられた。その後は鎮痛剤を服用しながらなんとか石を摘出するまで耐えたが、鈴美が毎日見舞いに来てくれなかったらおそらく心が折れていただろう。もちろん、職場の人たちも俺が尿路結石で倒れたと知って、ゆっくり休むようにとは優しい言葉をかけてくれたので大変感謝はしている。
やっとのことで石を取り出し、退院の日、医者から自分の尿道に詰まっていた石はいらないかと訊かれた。そこで、俺はせっかくならともらった。
家に帰ると退院の予定の時間を忘れていたのか鈴美が寝ていた。そのかわいい顔をしばらく観察した後、少しいたずらをしてやろうと思って、彼女の手のひらの中にもらってきた石を入れたのだ。
そんな経緯をやっと彼女に伝えると、彼女は、
「ねえ、流れ星だと思っていたのは、尿路結石だったのね」と静かに言った。
あ、これは怒っているなと思った。その見た目からは意外に思われるが、彼女が怒ると、ものすごく静かになるのだ。しずかちゃんだとか言ってからかってはいけない。
「まあ、尿道から流れて出てきたわけだし……流れ星と言えないことも無いんじゃないかと……」
俺が冗談とも弁明ともつかないことを述べている間に、彼女は席を立ち、手に俺の尿路結石を握りしめ、今までに俺に見せたことのない見事な投球フォームをし、その石を投げようとしていた。
一瞬その見事なフォームに見とれたが、我に返ると、すぐさま彼女に謝った。
「ごめん! 俺が悪かったから、その石を投げないでくれ! ほら、一応食事中だろ! ものを投げるのはよくな……ああ! 味噌汁に入った!」
巡り巡って、流星 三〇七八四四 @4h3scar
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