Sketch for October ─10月─

 

 

 気がつくとわたしは、夜の公園にいた。ゾウの滑り台の、その頭の上。ちょうどてっぺんのところに座り込んでいた。

 

 ここはどこだっけ?

 思い出そうとして、けれど頭がぼんやりしてはっきりしない。

 

 わたしの服装はいつも寝るときに着ているパジャマで、手元にはお気に入りのリュックがあった。

 リュックのなかには食べかけの板チョコレートとキラキラ光る綺麗なビーズ。それと花柄のリボンに、アニメのキャラクターが描かれたシール。どれもわたしのお気に入りのものばかり。

 

 それを見ていたら、ようやく思い出した。

 そうだった。わたし、家出してきたんだわ。

 

 ……でも、どうして家出しようなんて思ったんだっけ。

 考えてみたけれど、それだけが思い出せなかった。

 

 

「迷子かい?」

 

 突然頭上から声がして、わたしは顔を上げた。そこにいたのは、多分、大人の男のひと。

 多分、なんて言いかたをしたのは、その人の格好がとてもおかしかったから。

 

 全身真っ黒な服に、やたらと細長い手足。手にはバスの運転手さんがつけるみたいな、白い手袋。顔にはカボチャの被り物。さらに、背中には真っ赤なマントを羽織っている。

 

 最初はお化けがわたしを連れ去りに来たのかと思ったけれど、そのひとの姿は前にお父さんに読んでもらった絵本の中で見たことがあるような気がして、だから不思議と全然こわくなかった。

 

「こんなところで何してるんだい?」

 とその人は言った。

 

「あなた、だぁれ?」

「僕? 僕は、そうだなぁ。カボチャの精だよ」

「妖精さん?」

 

 そう言われて気づく。

 そういえば、よくみるとそのひとは、フワフワと宙に浮かんで私のすぐ隣にいる。

 普通だったら、妖精でもない限りひとは空を飛んだりしないって、わたしはとっくに知っている。

 

「きみ、カボチャは好きかい?」

 カボチャさんが私の目を覗きこみながら訊ねる。仮面の奥から、じっとわたしを見つめているような気がした。

 

「大好きよ。だってお母さんが作ってくれるカボチャの煮付けはとっても甘くて美味しいもの」

「それはいいね」

 カボチャさんは手を叩きながら、くるくるとわたしの周りを飛び回った。

 

「カボチャさんは何してるの?」

「おっと、そうだった。きみ、なにか甘いお菓子は持ってないかい? カボチャと同じくらい甘いと良いのだけれど」

「お菓子? チョコレートでも良いかしら?」

「もちろんさ!」

 

 わたしはリュックからチョコレートを取り出す。カボチャさんは嬉しそうにそれを受け取ると、囁くような声で「ありがとう」と言ってくれた。

 

 それからカボチャさんは、指をパチリと鳴らした。

 すると手に持ったチョコレートがグングン大きくなって、カボチャさんの顔と同じくらいの大きさになった。それを半分に割って、片方を私に返してくれた。

 

「カボチャさんは魔法使いなの?」

 わたしは驚いて、思わずそう訊ねた。

 

「そうかもね。きみが、そう信じてくれれば魔法使いにだってなれるかも」

 けれどカボチャさんの言うことはむずかしくて、わたしにはそれがどういう意味なのかがよく分からなかった。

 

「それじゃあ、チョコレートのお礼に、魔法を見せてあげる」

 そう言いながらカボチャさんが手を掲げると、ざわざわと風が騒ぎ出した。

 

「ほら」と指差したほうをみると、いつの間にか公園の中の、バネの遊具のパンダやアヒルやお馬さんたちが、楽しそうに公園内を歩き回っている。

 足元が揺れる。驚いて視線を下げると、滑り台のゾウが鼻を高く空に掲げていた。

 

「うわぁ」

「喜んでもらえたかい?」

「動物園みたい。本当に魔法使いさんなのね」

「ひどいなぁ。信じてくれてなかったの?」

「そういうわけじゃないけど。……でもなんで動物園なの?」

「きみがそう望んだからさ。動物園に行きたかったのかい?」

 

 ああ、そうだった。

 それでわたしはやっと思い出した。家出した理由を。

 

 明日は、わたしの誕生日だった。明日は日曜日で、お父さんもお仕事が休みで。だからお父さんとお母さんとわたしの三人で動物園に行こうって、ずっと前からそう言っていたはずなのに。

 それなのにお父さんが今日になって急に、仕事で行けなくなったなんて言うから。

 

「だから、もう帰らないつもりで家出したのよ」

 

 カボチャさんはわたしの言葉を聞いて、何かを考えこむみたいに黙っていたけれど、しばらくしてから明るい声で言う。

 

「それじゃあ、行こうか」

 

 カボチャさんが右手を差し出している。わたしがそこに左手を重ねると、ふわりと身体が浮き上がっていく。

 

「うそっ、飛んでる」

「大丈夫だよ。ちゃんと掴まってて」

 

 わたしはカボチャさんの手を強く握りながら、このまえ読んだ、ピーターパンの絵本みたいだなって、そんなことを考えていた。

 

「どこに行くの?」

「あそこだよ」

 

 と言って指差したのは、夜空に浮かぶお月さま。

 今はほとんど欠けてしまって、三日月になっている。

 

「あれはバナナの月だよ」

 カボチャさんがそう言うと、なんだか本当に月がバナナで出来ているみたいに思えてくる。

 なんだか楽しくなって、わたしははしゃいでいた。

 

「それじゃ、お星さまは?」

「金平糖だよ。それと、この空は、さっき君に貰ったチョコレートだ」

 

 その言葉に周りを見回してみると確かにわたしたちはチョコレートの空の中を、お菓子のお星さまに向かって一直線に飛んでいる。

 そこかしこから甘い匂いが漂ってきて、わたしの頬も思わず緩んでしまう。

 

「すてきね」

「下を見てごらん?」

 

 視線を下に向けると、遠くに見えるのは私の住む街の景色。

 どの家も電気が消えていて、真っ暗。シルエットだけが夜の中に浮かんでいる。

 

 街が眠っているのだ、とわたしは思った。

 

「みんな寝てるのね」

「今起きてるのは、僕ときみだけだよ」

「それじゃあ、みんなを起こさないように静かにしないといけないわね」

 

 そう言ってわたしたちはクスクス声を合わせて笑った。

 

 

 

 ふと気がつくと街は随分と遠くなっていた。もうすぐで、月に手が届きそう。

 

 なんだか、とても遠いところに来てしまったという気がした。

 わたしは急に不安になって、カボチャさんの手をぎゅっと握った。

 

「どうしたんだい?」

「わたし、ちゃんと帰れるのかしら」

「帰らないつもりなんじゃなかったのかい?」

「そうだけど……」

 

 そう言っている間にも、もうわたしたちは月に来てしまっていた。

 

 カボチャさんに手を引かれて、わたしたちはバナナの月に並んで腰かけた。

 それから、遥か遠くに見える街並みを眺めた。もう遠すぎて、わたしの家がどこにあるのかは見えない。

 

 けれど……。

 少し迷った後で、わたしはカボチャさんに向き直った。

 

「わたしは、やっぱりお母さんとお父さんのところに帰りたい。魔法みたいにキラキラはしてないけれど、でもそれがわたしの帰る場所だもの」

 

 カボチャさんはちょっと寂しそうな目でわたしを見ていた。

 仮面で隠れているから見えないはずなのに、どうしてかそう思った。

 

「……そうだね。それが良い」

「ごめんなさい」

「いいさ。さあ、それならこのチョコレートを食べてごらん」

 そう言いながらカボチャさんは、夜空から何かを掬いとる。それから差し出したのは、夜空のチョコレート。

 

 わたしはそれを受け取って、ひとかじり。

 するとその瞬間、お空に浮かんでいた金平糖の星たちが、一斉に地上に向かって落ちていった。流れ星だ。

 

「すごいわ!」

「今日は特別な日。星降る夜だからね」

 

 そうして流れ星を眺めているうちに、なんだか吸い込まれるみたいに、意識が遠のいていく。

 わたしが目をこすっていると、カボチャさんが優しく声をかけてくれた。

 

「眠かったら寝ていてもいい。ちゃんと家まで帰してあげるから」

「ううん。大丈夫、起きてるわ」

 

 そう返事をしたのに、結局眠気に負けてしまって、いつの間にかわたしはウトウト夢心地。

 カボチャさんが頭を撫でてくれているのを感じながら、わたしは目を閉じていた。

 

 

---

 

 

 目が覚めると自分の部屋のベッドの上。窓の外からは、カーテン越しに朝の日の光が部屋の中に入ってきている。

 

 あれは、夢だったのかしら。

 でも、どこからが夢?

 

 そう思って見回した勉強机の椅子には、昨日わたしが持ち出したリュックサックが置いてあった。

 なかには綺麗なビーズや花柄のリボン。それから半分に割れた、食べかけのチョコレートが入っている。

 

 部屋の外からお母さんが呼んでいる声がする。わたしは部屋を出てリビングに行った。

 

 リビングにはお母さんもお父さんもとっくに二人そろっていて、朝ごはんを食べていた。

 わたしがテーブルにつくと、それを待っていたみたいにお父さんが言った。

 

「今日はごめんな。お父さん、急な仕事になっちゃって。その代わり今日は早く帰るようにするから、一緒にお祝いしよう」

 

 そのとき、お父さんの申し訳なさそうな顔を見て、わたしは全部分かったような気がした。

 お父さんだって、本当は一緒にわたしの誕生日をお祝いしたいって思ってくれているってこと。

 

「帰りにケーキ買ってきてくれたら許してあげる。わたし、チョコレートケーキが良いわ」

 

 そう言うとお父さんはホッとしたみたいな顔をした。

 本当はもうとっくに許しているのだけれど、どうしても今日はチョコレートケーキを食べたい気分だったから。

 

 今夜のことを考えると、それだけでワクワクしてきてしまう。

 みんなで夕食を食べて、そのあとケーキで誕生日をお祝いする。

 

 そのときには、昨日の夜にあった出来事を話してみようかな。

 そんなことを、わたしは考えていた。

 

「昨日ね、夜の公園でね──」

 

 だけどそれは、今夜になるまでのお楽しみ。

 

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