Sketch for May ─5月─
夜の公園には人影一つなく、私ひとりがぼんやりと暗闇を見ている。
ふと気がつくと、いつの間にか包帯男が居て、私のベンチの隣にちょこんと座った。
「やあ」
包帯が話しかけてくる。ゲームに出てくるミイラ男みたいな姿だけれど、不思議と怖くはなかった。
「なにやってるの?」
「別に、なにも」
「ふぅん」
「暇だから。それだけよ」
包帯男が私を見つめている。瞳なんて見えないのに、そう思った。
「誰かを待ってるんでしょう?」
「……さあね。そうかも」
「寒くなってきたね。すっかり日が落ちた」
頭に直接響いてくるような、低く落ち着いた声。だからだろうか。
「ねえ、うち来る?」
自然とそんな言葉が口をついた。
「うん」
と包帯男は頷いた。
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一人で住むには広すぎるマンションには、もう来ない人のための料理が用意されている。
すっかり冷め切った料理は、なんだか作り物みたいに見えた。
「食べる?」
「食事はしないんだ。こんな身体だから」
「そう……それは残念ね」
私はひとり分の料理だけを温めなおし、包帯男と向き合って食べる。
「ねえ、さっき何をしてたの? あんなところで」
「帰ってくるかと思ってね」
「誰が?」
「あの最低な男がよ」
「それで待ってるんだ?」
「帰ってきたら一発殴ってやろうと思ってね」
「ははっ、それは大変だ。どんな人なの?」
「だから、最低な男よ。酒ばっかり飲むし。働かないし。私のお金持ってでちゃうし。ちょっと出かけるって言ったくせに、いつになっても帰って来ないし。そんなだから、帰ったら思いきり怒ってやろうと思って待ってるのよ」
私は食器を片付けると、彼が寝る部屋を用意する。
「ねえ僕、ここに居てもいいのかな」
「別に、部屋は余ってるから」
「こんな姿、気味悪かったりしない?」
今更そんなことを心配するなんて、なんだかおかしいわ。
私は軽くため息をついて言った。
「いいわよ。別に、そんなこと」
きっと私は、先の見えてしまった恋に疲れきっていて、誰でもいいからそばに居てほしかったのだ。
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開け放した窓からは心地よい風が吹いてきて、私の髪を揺らしていく。
だんだん暖かくなって、街中が俄かに賑やかさを増す季節。
だからこそ、なんて寂しい季節なんだろう。
夜中に眠れなくて、あの人が残していったラム酒を舐めるように飲んでいると、包帯男が来る。
「眠れないの?」
「……そうね。あんたも飲む?」
「僕、飲めないんだ。ほら、こんな身体だから」
「あんたって、つまんない男ね」
彼の身体に巻かれた包帯が、ゆらりと揺れている。風が強くなってきた。
「僕、もうすぐここから居なくなっちゃうと思うんだ」
「そう」
「ほら、もうすぐ夏になるだろう。春の終わりの日、嵐にさらわれて僕は行ってしまうよ」
「……そう」
私はいつの間にか、自分が泣いていることに気づく。
「またいつか戻ってくる?」
「多分、もう帰って来れないと思う。風に吹かれて、どこに行くかわからないから」
私は、手を伸ばして彼の手に触れようとするけれど、彼は後ずさる。
「触っちゃ駄目だよ。ほら、僕こんな体だろう。触られたら、形が崩れてしまうよ」
「ほんとうに、つまらない男ね」
「僕は、君の大切な人じゃない。僕は包帯だよ」
「ええ、分かってるわ」
そう言って彼を抱きしめると、包帯の身体はふわりと形を失って、私を包み込む。
優しく響くような声が聴こえた。
「僕はただの包帯だから。傷を治すことはできないけれど、隠すことは得意なんだ」
その声と、彼の身体にに包まれながら、私は意識を失った。
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翌朝、開け放たれたままの窓のカーテンが音を立てているので、私は目覚める。
慌てて家の中を捜したけれど、包帯の彼は、もうどこにもいない。
春の終わりを告げる、強い風が吹いている。
「いなくなっちゃったんだ。」
どうしていつも、失くしたものは、大好きだった気がするんだろう。
ベランダの手すりには、包帯が一切れだけ、取り残されるみたいに引っかかっていた。
私は、まだかすかに温かいそれを手首に巻いてみる。
いつかこの傷が癒えるようにと、そう願った。
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