月イチSS Sketch for...

Sketch for March ─3月─

　その旅人は、はるか西方から二ヶ月間も歩き続けて、ようやくこの街に辿り着いた。

　歩みを進めるほどに吹雪は勢いをまし、ついには目の前すら見えなくなっていた。けれどその瞳は、決して見えないはずの街の中心部へと向けられている。

　そうしてしばらく進んだ先。不意に開けた広場の中央、凍りついた噴水の前に立つ少女の姿が見えたとき、旅人はついに力尽きて意識を失った。

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　目が覚めるとベッドに寝かされていて、老人がそばに座っていた。薪の燃える、パチパチという音が鳴っていた。

「気がついたかね」

「……助かりました」

「窓の外にあんたの姿が見えたものでね」

　老人はぶっきらぼうに言った。乾燥して、今にもひび割れてしまいそうな声だった。

「あの、僕は……」

「言わなくても良い。彼女だろう？」

　旅人は驚いて、老人を見返す。

「この街にはあんたみたいな人間がたびたびやってくるのでね。その度にそれを助けるのが、私の仕事だ」

　この街はもうずっと吹雪の中にあるのだと言われている。

　もう何十年も前から、この街は凍り付いている。それまでは暖かく、農業の盛んなところだったが、今となっては見る影も無かった。

　遠い昔に思いを巡らせるように、老人は目を細めた。深く刻まれた皺のせいで、殆ど目を瞑っているようで、そのまま眠ってしまいそうなほどの長い時間が過ぎたあと、不意に老人は話し始めた。

「お前も見ただろう。街の中心、広場には美しい女性の氷像があって、冷気はそこからやってくる」

「さっきは近づくこともできなかった……」

「彼女に触れられるものは誰も居ない。もっとも、それは凍りつく前も同じことだが」

　老人は自嘲するように軽く笑う。

「彼女はかつて、この国の姫様だった。それは美しいお姿で、心もまた高潔だったので、民たちは皆姫様を愛し、敬っていた。彼女がいずれ女王になることを、誰もが望んでおった」

「確かに彼女は美しかった。これまで見てきた、どんな人よりも」

「だが、そんなある日。そう、あれは年に一度の収穫祭の日だったか。季節はずれに暖かくて、街中が浮かれていた。姫様も、貴族から貧しい者まで分け隔てなく、広場で皆と踊っていた。私も広場の端で、自分の番が来るのを焦る気持ちで待っていたものだ。しかし、永遠にその時は訪れなかった。彼女は今もそのときの姿で、凍りついたままだ」

「何故です？」

「……何故とは？」

「どうして彼女は凍りついたんですか」

　老人は小さく目をしばたかせた後、首を振った。

「……それは分からん。北方の魔女が姫の美しさを嫉んで呪いをかけたのだとか言われていたがな。今となっては真実を知るものは誰も居ない。殆どの市民はそのときに一緒に凍ったし、わずかに残った者も寒さに耐えられず去っていった」

「そうですか……」

　旅人は落胆を隠しもせず、大きなため息を漏らす。老人はそんな若者を見て、哀れむように目を細める。

「……それでもお前は行くのだな」

「僕は、その姫様に会いにきたのです。ここより東方にある国の王子より命をうけて、彼女を救いにきたのです」

「お前のように姫様のところへ向かう人間はこれまでにも何人もいたが、成功したものは一人も居ない。近づくほどに呪いは強くなり、お前も凍りつくことになる」

「それでも、僕は行くのです」

　それは自身の使命に対する義務感ではなかった。さっきその姿を見た瞬間から、彼自身が彼女に触れたいと、そう思っていた。

「……ならば、もはや止めんよ」

　老人の言葉を背中に、若者は外へと足を踏み出す。

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　旅人の氷像を広場の外に運び出し、老人は痛む腰をさする。

　愚かなことだ。

　これまでこの街を訪れた誰も、呪いをかけているのが私自身だということに気づきはしない。

　広場を囲む群衆は、彼女に触れられる喜びに顔を綻ばせ、その美しさに見惚れるように、皆が幸せそうな表情を浮かべている。

　彼らは永遠に醒めない、夢を見る。

　あの日、彼女を永遠に自分だけのものにしたいと願った、私の呪い。

　──だが、と老人は思う。

　どちらが幸せなのだろう。

　やがて彼女と同じ時を生きていける彼らと、永遠に美しいままの彼女を、ただ一人眺め続ける私と。

　強すぎる願いは、時の流れによって後悔に変わる。

　いずれにせよ私の死とともに呪いも解け、この街を覆う雪も溶け消える。

　しかし、その景色を私が目にすることはない。

　私は彼女と共に、停まった時を生き続ける。

　雪解けの日は、まだこない……