Sketch for February ─2月─

「沸騰してきた? じゃあ次は、さっきのチョコにその生クリームを入れて。熱でチョコが溶けてくから、適当に混ぜといて」


 ミサキは手馴れた様子で、てきぱきとわたしに指示を出す。そうしながらも、自分のほうでもなにやら作っているみたいで、全く手を止めることはない。日が透けたみたいな明るい色の髪が、手の動きに合わせて揺れていた。甘い匂いがふわりと漂った。普段の姿とは似ても似つかない。

 しばらく惚けたようにその姿を見ていたら、いつの間にかボウルの中のチョコレートはどろどろに溶けて、形もなくなっていた。

 

「……溶けたよ」

「おっけー。そんじゃあ、そこにブランデー足して、また混ぜてね」

「どれくらい入れればいいの? ……こんくらい?」

「んーと、……って、えぇ、マジかぁ」

 

 ボウルを覗き込んだミサキは、気が抜けたみたいな声で言った。

 

「……なに?」

「どう見ても入れすぎだけど」

「そんなこと言われても、どれくらい入れればいいか言ってくれなかったのミサキじゃん」

「んー……、まあ、いっか。せっかくのバレンタインだしね」

 

 ミサキはちょっと考え込むようにしていたけれど、すぐに、何故か少し嬉しそうな表情を浮かべた。意味が分からない。

 

「どういうこと?」

「刺激的じゃない? 私に酔いなさい、ってことでしょ」

「……なにバカなこと言ってんのよ」

「バカなことじゃないよ。チョコレートには魔法があるんだから。それに、チョコレートもブランデーも、大昔には媚薬だったって言われてるくらいだしね」

 

 臆面も無くそんな恥ずかしいセリフを言うから、聞いているこっちのほうが不意に恥ずかしくなってしまう。それ以上ミサキを見ていることができなくなって、わたしは目を逸らした。

 

「それより、次は何すればいいの?」

「えっとね、そっちはあと冷やして固めるだけだから、じゃあーこっちをやってもらおうかな」

「ん、了解」

 

 ミサキから手渡されたボウルの中は、きめ細かく泡立った卵。メレンゲって言うんだっけ。でもメレンゲはもっと白くて透き通るような色をしていたような気がする。これはもっと黄色くて、カスタードクリームみたいにバニラの甘い匂いがしている。

 

「これって、メレンゲ?」

「違うよ。それは全卵を使った、共立てってやつ。ホントのレシピでは卵白だけのメレンゲを使うか、別立てにしたほうが良いんだけど、分けるのがめんどくさかったから共立てにしたよ。まあ、味はそんなに変わらないから」

「……そうなんだ」

 

 どう違うのかは正直よく分からなかったけれど、なんとなく、そんなものなんだろうかと思った。けれど、

 

「んじゃ、その卵液にー、あっちの粉類を適当に入れてく。小麦粉が、大さじ七杯くらいで、ココアパウダーがその半分くらいね」

 

 この言葉には流石に黙っていられなかった。

 

「ねえ、そんな適当でいいわけ?」

「適当ってー?」

 

 洗い物をしていたミサキが、水を止めてこっちを見る。いつもの、世の中全部が楽しくて仕方ないみたいな顔だった。

 

「お菓子作りって、もっとちゃんとしてないといけないんじゃないの? 分量正確に量ったりとかさ」

「いいのいいの、チョコレートは簡単だから。適当に作ってもちゃんと美味しくできるからね」

 

 そう言いながら、ミサキはまたも適当に、溶けたチョコレートをわたしのボウルに放り込む。

 ミサキが大丈夫だと言うなら、きっとそうなんだろう。ミサキがお菓子作りを失敗しているところなんて想像がつかない。

 けれどわたしは、今日だけは、ちゃんと作ってみたかったのだ。

 

「ミサキは……、コータ君にあげるんじゃないの?」

「だからこそ適当でいいのよ。どうせ私があげればあいつ何でも喜ぶんだし」

「……ふぅん」

「それより、ミナこそ誰かにあげるとかなの? 去年は誰にもあげてなかったよね?」

「わたしは……」

 

 言ってはいけないことが思わず言葉になってしまいそうで、わたしは慌てて、さっきから混ぜ続けていたボウルをミサキに差し出した。

 

「ねえ、これ、もう混ぜるの、良いんじゃない?」

「あ、ホントだね。オーブンも余熱終わってるし、じゃあもう焼いちゃおっか」

 

 いつの間に用意していたのか、プレートの上にはケーキカップがいくつも並べられている。ここに入れていけということなのだろう。

 

「あんまり入れすぎないでね。焼いたら膨らむから、半分くらいで大丈夫だから」

「ん。了解」

 

 さっきのはあまりに下手な誤魔化しだったかな、と思ったけれど、ミサキは何も言わなかった。ミサキのことだから、案外何も考えていないだけかもしれない。

 わたしがカップに入れた液体の中に、ミサキは後からチョコレートを埋め込んでいく。さっきわたしが溶かしたブランデー入れすぎのチョコレート。いつの間にか冷やして固められて、丸められて形作られている。

 オーブンの設定はミサキがしてくれた。焼き時間は十二分だった。洗い物を終えて、後片付けを手伝っていると、オーブンが焼き上がりを告げた。

 焼けたチョコレートを取り出しながら、ミサキは、思い出したようににんまりと笑った。

 

「それで、さっきの話だけどー」

「またそれ?」

「だって気になるじゃん。ミナの方からチョコ作りたいから手伝ってとか言うなんて珍しいし。去年も誘ったのに断ったくらいだから、こういうの嫌いなのかと思ってたよ」

 

 それは、ミサキに彼氏ができたから。

 けれどその言葉は、絶対に口にしてはいけない。

 

「それで、結局誰にあげるつもりなのさー……おっ、良い感じで焼けてるね」

 

 訊いておきながら、たいして気にした様子もなさそうに、ミサキは焼きあがったチョコレートケーキに夢中だ。それを見ていたらなんだか気が抜けて、今はもう、これだけで良いやと思えた。

 たくさん並んだカップから、一番綺麗に膨らんだケーキを手にとって、ミサキに渡す。

 

「……わたしは、ミサキにあげれば十分。ただ作ってみたかっただけなんだ」

「ふぅん。まあいいけど」

 

 わたしたちは同時にケーキにかぶりついて、同時に顔をしかめる。

 

「きつっー」

「やっぱお酒入れすぎだったね」

「まあでも、これはこれで、いいんじゃない?」

 

 二人で顔をしかめて笑いあいながら、わたしは、さっきミサキが言っていたことを思い出す。ブランデーとチョコレートは媚薬だったって。

 

 魔法を信じているわけではないけれど、どうか今だけは。

 貴女がわたしに酔いますように。叶わない思いは、甘さだけを残して溶けた。

 

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