第十三章 皇城家の双子の兄弟

第百四十九話 男として生きた少女

 もう、遠い昔の話。

 千年前にさかのぼる。

 まだ、妖達が、さほど、出現していない頃、そして、聖印一族が聖印を授かる前の事だ。


「いいかい?葵。お前は、立派な男として、育つんだよ。静居を支えるために」


――私は、男として育った。静居を支えるために。それでいいと思っていた。それなのに……。


 幼い頃から、母親から言いつけられていた。

 いや、生まれた頃から、葵は、男として育ったのだ。

 静居を支えるために。

 葵は、それを受け入れていたし、静居を支えるためなら、男として生きると決意していた。

 女として、生きたいと願う心を無意識に押し殺して。



 葵は、皇城家の屋敷にて、準備を整えていた。

 胸を隠すため、さらしを巻き、男物の衣装を羽織りながら。

 金髪に、青色の瞳を持つ彼女は、凛々しく見える。

 それもそのはずだ。

 彼女は、男として生きているのだから。

 この頃は、もちろんだが、聖印京は、まだ、存在していない。

 屋敷は、立ち並んではいたが、豪華とは、ほど遠い。

 一族は、下級貴族だったのだ。

 葵は、支度を終えて、御簾を上げて、部屋から出る。

 すると、偶然、女房達と出くわした。


「葵様、おはようございます」


「おはよう」


 葵と目が合った女房達は、すぐさま、頭を下げる。

 葵は、さわやかな笑顔を女房達に見せ、歩き始めた。

 女房達は、心を奪われたかのように、葵の背中を見つめていたのであった。


「葵様、今日も、素敵よねぇ」


「ええ。でも、私は、静居様も、素敵だと思うわ」


「そうよねぇ。本当によく似てるわ。さすが双子ってところかしら」


 女房達は、口々に話している。

 静居と葵は、双子の兄弟だったのだ。

 ゆえに、顔立ちもよく似ており、女房達は、二人は、惚れ惚れしていたらしい。

 静居派と葵派に分かれていたという噂まである。

 それほど、二人は人気だったのだ。



 葵は、そんな事は露知らずと言った状態だ。

 気にも留めていないのだろう。

 葵は、廊下を歩いていると、庭のある物が目に留まり、立ち止まった。


「桜が、咲いたんだね……」


 薄紅の桜が咲き始めたのだ。

 その桜は、他の貴族の屋敷と比べると立派とは、ほど遠いであろう。

 それでも、葵は、この桜が、好きだったのだ。

 どこよりも、美しく咲き誇っている。

 そんな気がしていた。

 だが、葵は、ふと、うつむていしまう。

 まるで、見とれてはいけないと、言い聞かせるかのように。


――私が、女と言う事は、誰も知らない。静居と母様と父様以外は。だから、男らしく生きないといけない。


 葵が、生まれてから、十六年間、女であるという事は、静居、父親、母親以外は、知らないのだ。

 先ほど、会った女房達も、葵は、男だと思い込んでいる。

 なぜ、葵が、男装をしているのか。

 その理由は、皇城家の掟に関係があった。

 皇城家は、官職に就く者は、男でなければならないという掟がある。

 なぜ、そのような掟があるのかは、誰にも分らない。

 そんな掟があるから、葵が、生まれた時、母親は、どちらも、男の子だと偽って、双子が生まれたと公表したのだ。

 ゆくゆくは、静居に皇城家の当主を継がせ、葵は、静居の支えとなるように。


――でも、花を愛でてはいけないだろうか。可愛いと綺麗と思ってはいけないだろうか……。


 葵は、心の中で葛藤を繰り返していた。

 男として生きるのならば、男らしくしなければならない。

 花を愛でる事も、可愛いと思うことも、許されないのだろう。

 そう思うと、葵は、複雑な感情を抱いていた。

 静居を支えたいと思っているのに。


「いけない。静居の元に行かないと……」


 葵は、我に返り、慌てて、静居の元へ向かう。

 静居は、今や、皇城家の当主候補だ。

 跡取りとして、任務をこなしている。

 葵も、彼を支えるために、官職に就く予定だ。

 今は、静居の元で業務をこなす日々が続いていた。



 葵は、静居の部屋に入った。


「失礼します」


「おはよう、葵」


「おはよう、静居」


 静居は、葵に穏やかな表情を向ける。

 美しくも、凛々しい。

 皇城家の跡取りとしての自覚があるからだろうか。

 または、妹君である葵を目にしたからであろうか。

 葵も、さわやかな表情を静居に向ける。

 このやり取りは、いつもの事だ。

 葵は、静居の顔を見るだけで、心が癒された気分になっていた。


「今日の任務は?」


「城家の総会があるらしい。私も、出席しなければならなくなってな」


「そう、なら、私も一緒に」


「頼む……」


 聖印一族と呼ばれるまでは、一族は、「城家」と呼ばれていた。

 今日の任務は、「城家」の総会に出席しなければならないようだ。 

 本来なら、当主と大臣のみでよい。

 だが、静居は、次期当主として、出席する予定なのだ。

 葵も、出席すると懇願し、静居は、承諾するが、暗い表情を浮かべていた。


「どうした?静居」


「いや、申し訳ないと思ってな」


「何が?」


「本来ならば、お前は、女として育っていなければならないはずだ。お前にふさわしい男と結ばれ、子を産む。それは、お前にとって幸せなはずなんだ。だから、私が、それを奪ってしまっているのではないかと思ってな……」


 静居が暗い表情を浮かべた理由は、葵に申し訳ないと思っているからだ。 

 本来なら、葵は、女として生きるはずだった。

 だが、自分を支えるために、母親から男として生きるように教育されている。

 それは、葵の幸せを奪っているのではないかと、考えているようだ。

 女として生きていたのなら、いつかは、男性と結ばれ、子を生み、幸せに過ごしていたはずなのだから……。


「私は、そんな事一度も思ってないよ」


「え?」


「私は、静居を支えられるならそれでいい。むしろ、幸せなんだよ、静居」


「しかし……」


 葵にとっては、今が、至福の時なのだ。

 静居のそばで、静居を支えられる。

 葵は、幸せを奪われたなど一度も思った事がない。

 それは、偽りではなく、本心だ。

 葵は、葛藤しながらも、静居と共に、生きられるなら、自分は、間違いなく、幸せなのだろうと感じていた。

 それでも、静居は、責任を感じているようだ。

 葵は、静居の頬に優しく触れた。


「私は、他の男と結ばれるなんて考えられない。静居が側にいてくれればいい」


「そうか。お前が、そう言うなら、良かった」


 葵にとって、想像もつかないのだろう。

 確かに、女として生きたら、花を愛でる事も、可愛いと思うこともあったかもしれない。

 だが、未来の事は、考えられないのだ。

 他の男と結ばれて、子を産むという事など。

 葵は、静居のそばで生きたいと、心から願っていた。

 葵の言葉を聞いた静居は、安堵した。


――嘘ではなかった。私は、静居を愛していた。いや、崇拝していたというほうが正しいのかもしれない。何でも、完璧にこなしてしまうのだから。


 葵が、静居の側にいたいというのは、本当だ。

 静居に憧れていた。

 完ぺきにこなす静居。

 いつも、葵の事を気にかけてくれる。

 そんな静居の事を葵は、愛していた。

 いや、崇拝に近かったのだろう。

 だからこそ、男としてでもいいから静居の側にいたいと願ったのだ。

 そう思っていたはずだった……。



 葵にすぐ行くから、先に行ってほしいと静居は、頼み、葵は一度部屋を出た。

 静居は、一人になったのだ。


「やれやれ、あの子も、肩の力を抜いてくれるとよいのだがな」


 静居は、少し、困った様子で呟く。

 別に男装しなくとも、支える方法などいくらでもあるのに。

 静居は、そう思っていたのだ。

 その時だ。

 静居が、ふと、右へと視線を向けたのは。

 誰もいないはずなのに。


「やはり、そなたも、そう思うか」


 静居は、そう呟く。

 まるで、誰かと話をしているかのように。

 誰もいないはずなのだが……。



 昼頃になると、総会が行われた。

 各家の当主、大臣が集まり、その息子や娘も、出席している。

 静居の話によると、自分が皇城家の跡取りとして、選ばれたため、顔合わせもかねて、息子や娘も呼ばれたようだ。

 堂々としている者もいれば、退屈そうにしている者もいる。

 葵は、少しばかり、緊張しているようだ。

 顔がこわばっている。 

 だが、静居は、堂々としていた。

 やはり、と言ったところなのだろう。

 しかし……。


「ほう、あれが、皇城家の跡取りか」


「力は、強いと言うが、あの力ではなぁ」


「あんな異様な力を持つなど、城家の恥だ。なぜ、あの者達を総会に出席させたのだろうか」


 鳳城家の当主と大臣が、冷ややかな目でこちらを見ながら、口々に話している。

 自分達が、総会に出席することを快く思っていないようだ。

 それもそのはず。

 皇城家は、城家の中でも、位が一番低い。

 この頃は、皇族の血筋である千城家が一番高い地位に属しており、次に鳳城家、真城家、天城家、万城家、蓮城家、安城家、そして、一番低い地位に属しているのが、皇城家であった。

 理由は、至極簡単な事。

 異質な力を持っているが故だ。

 城家は、代々、特別な力を授かっていた。 

 妖に対抗しうる力と言ってもいいだろう。

 先祖が、神の一族であったがゆえに、その力を受け継いでいるのだという。

 と言っても、それも、聖印を授かる前の事。

 妖を追い払う力はあっても、討伐する力などなったのだ。

 特に、皇城家は、神とつながりが深いと言われており、様々な能力をその身に宿している。

 神を見ることができる者もいれば、神と対話する者もいたという。

 それは、他の者にとっては、異質であり、異様。

 ゆえに、皇城家は、恐れられ、位が低かった。

 その力を悪用されないようにと。


「葵、気にするな」


「わかっているよ。大丈夫」


 鳳城家から、陰口を言われた静居と葵。

 だが、静居も、葵も、気にしていないようだ。

 いつもの事、だからかもしれない。

 常に、彼らは、冷ややかな目で見られていた。

 ゆえに、またかと、あきれてはいたものの、気にしないようにしていた。

 いや、仕方がないとあきらめていたのかもしれない。

 葵は、ため息をついた。

 その時であった。


「そのような事を言ってはなりません」


 若い男性の声が聞こえる。 

 それも、力強い。

 誰が、鳳城家の当主達を咎めたのだろうか。

 静居も、葵も、気になり始め、あたりを見回すと、一人の青年が、冷静なまなざしで、当主達に視線を向けていたのが目に見えた。


「せ、瀬戸。だが……」


「我が一族、城家が、生きていられたのは、皇城家のみなさんのおかげです」


 鳳城家の当主達を咎めたのだは、次期当主である鳳城瀬戸だ。

 漆黒の髪に、青い瞳を持つ彼は、当主達をにらんでいる。

 父親であっても、当主であっても、許されることではない。

 そう言いたいのだろうか。


「しかし……」


「ならば、妖が、屋敷に侵入しなかったのは、なぜだと思いますか?」


「……」


 反論しようとする当主に対して、瀬戸は、問いかける。

 この頃、まだ、妖は、多く出現してはいなかった。

 だが、一匹だけでも、脅威だ。

 それでも、妖達が、屋敷に侵入した事は一度もない。

 それは、皇城家が、その異様と言われた力を駆使して、妖達の存在を探ってきたから。

 そのおかげで、城家の者は、妖が屋敷に侵入する前に、追い払うことに成功した。

 ゆえに、自分達が、今まで、生きてこれたのは、皇城家のおかげだと言いたいのだろう。

 問いかけられた当主達は、答えることもできず、黙ってしまった。


「皇城家を侮辱することは許されません。以後、お気を付けください」


 瀬戸は、当主達に向かって、警告する。

 当主達は、それ以上、何も言えず、機嫌を損ねたまま、黙るしかなかった。


「大したお方だ」


「そ、そうだね……」


 瀬戸と当主のやり取りを見ていた静居は、感心しているようであり、葵は、あっけにとられている。

 いくら、息子と言えども、当主に口出しすることは、許されないのだ。

 ゆえに、葵も、母親に従い、男装しているのだから。

 葵は、じっと、瀬戸を見る。 

 すると、視線が気になったのか、瀬戸は、葵と目を合わせ、微笑みかけた。

 葵は、戸惑いながらも、軽く会釈をした。


――今、目があった気がしたんだけど……。


 葵は、なぜ、鼓動が高鳴っている。

 理由は、わからない。

 これが、葵と瀬戸が出会った瞬間であった。

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