第四十七話 九尾の命火
「九尾の命火を、手で?」
柚月は、目を見開き、戸惑っている。
炎尾は、信じられない言葉を口にしたのだ。
九尾の命火を手で取ってみせろと。
それが、試練だと。
朧達も、戸惑いを隠せず、言葉を失ってしまう。
そんな事をしたら、どうなるか、目に見えて分かるからだ。
「そうだ。九尾の命火は、害をなすものを焼き尽くすが、害をなさないものと認められたなら、触れる事は、可能だ。もし、九十九の事を、明枇の事を、想っているのであれば、九尾の命火を手にしてみろ」
炎尾曰く、九尾の命火に触れたものは、焼き殺されるか、手に取るかのどちらかだという。
柚月が、九尾の命火に認められたなら、九尾の命火を手に取ることができるだろう。
だが、もし、柚月が、害をなすものだとみなされてしまったら、瞬く間に、柚月は、焼き尽くされ、灰となってしまうのだ。
炎尾は、柚月が、本当に信じるに値するか、見極めようとしているのだろう。
――お父上、それは……。
「できなければ、九尾の命火は、渡さん」
明枇は、柚月の身を案じて、炎尾に呼びかける。
制止させようとしているのだ。
このような試練を柚月に受けさせたら、柚月は無事ではすまない。
重度のやけどを負ってしまうか、最悪の場合、死に至るだろう。
だが、炎尾は、提案を変えようとはせず、柚月の答えを待った。
試練を受けるか、あきらめるのか……。
柚月は、選択を迫られていた。
「に、兄さん……」
朧は、柚月の身を案じる。
予想できたからだ。
柚月は、必ず、試練を受けると。
だが、それでは、柚月の身に危険が迫る。
回避することは不可能に等しいだろう。
となれば、自分が、柚月の代わりに、試練を受けるしかない。
そう判断した朧は、名乗り出ようとしていた。
しかし……。
「わかりました」
――え?
「九尾の命火を手にしてみせます!」
「柚月!」
朧が、名乗り出る前に、柚月は、試練を受ける事を承諾してしまった。
九尾の命火を手にすると決意して。
明枇は、驚愕し、綾姫は、慌てて、柚月を制止させようとした。
だが、柚月の決意は、固い。
覚悟を決めたのだろう。
朧は、そう感じ取っていた。
「またぬか!もし、九尾の命火に触れたら、お主は……」
「そ、そうっすよ!考えたほうがいいっすよ!」
春日と真登は、考えを改めるように、説得を試みる。
それほど、柚月の身を案じているのだ。
やけどを負う事は、春日も真登も、目に見えて分かるのだから。
「ありがとう。けど、俺なら、大丈夫だ」
「根拠は?君、死ぬかもしれないんだよ?」
柚月は、大丈夫だと、春日と真登に告げる。
しかも、笑みを浮かべてだ。
なぜ、笑っていられるのだろうか。
恐怖心はないのだろうか。
春日も真登も、柚月の真意が、読めず、困惑した。
柘榴は、あきれた様子で、問いかける。
なぜ、大丈夫だと言い切れるのか、理解できないからだ。
死ぬ可能性もあるというのに。
「根拠なんてない。伝えればいいだけの事だ」
「は?」
柚月は、柘榴の問いにきっぱりと答える。
自分は、大丈夫だと言い切れる根拠などない。
だが、代わりに、伝えればいいだけなのだと。
柘榴は、目を見開き、あっけにとられてしまう。
何を言っているのか、理解ができずに……。
「俺が、害をなすものじゃないって伝えればいい。それだけだ」
「……はは。柚君って、面白いね。やってみなよ」
「ああ」
柚月は、言いきってしまう。
九尾の命火に、自分が、害をなすものではないと伝えるつもりなのだ。
なんと、無防備な事を言うのであろうか。
柘榴は、あきれてものも言えないほど、言葉を失っている。
そう思うと、柘榴は、なぜか、笑みを浮かべてしまった。
恐ろしい事を言い放つ柚月に対して、笑えてしまったからだ。
柚月なら、本当に、試練を乗り越えられるのではないかと思えて。
「本当、兄さんは、無茶ばっかり」
「お前が言えることか?」
「……そうだった」
朧は、あきれた様子で、柚月に語りかける。
無茶ばかりすると。
だが、柚月は、反論する。
以前、自分が、朧に言われた言葉をそのまま使用して。
朧は、何も言い返せず、観念した様子で、うなずいた。
誰も、柚月を止める事はできないのだと悟って。
「無理するなよ、兄さん」
「ああ」
柚月は、静かに、歩き始める。
九尾の命火の元へと。
朧は、柚月の背中を見守るしかなかった。
無事であってほしいと祈りながら。
「綾姫様……」
「信じましょう。柚月なら、大丈夫って……」
夏乃は、不安に駆られた様子で、綾姫に語りかける。
綾姫は、柚月を信じようと夏乃に語りかけ、彼女の不安を取り除こうとした。
だが、夏乃は、気付いてしまったのだ。
綾姫の手が震えている事に。
恐怖や不安が綾姫に襲い掛かっているのだろう。
柚月が、死んでしまうのではないかと。
それでも、綾姫は、負の感情を押し殺している。
誰にも悟られまいと。
夏乃は、一呼吸して、心を落ち着かせる。
自分も、柚月を信じるしかないのだと、心の中で、言い聞かせながら。
「い、いいんでしょうか、本当に」
「わかりませんわ。でも、信じるしかありませんわよ」
時雨は、おどおどした様子で初瀬姫に問いかける。
そんな時雨に対して、初瀬姫は、わからないと告げた。
どうなるかなど、誰にも分らないのだ。
だが、今は、柚月を信じるしかない。
そう、自分に言い聞かせるしかないのだ。
だが、初瀬姫も、心の中では、不安に駆られているのであろう。
いつも、強気な初瀬姫でさえも、声が震えている。
初瀬姫の心情を読み取ってしまった時雨は、これ以上、何も言えず、ただ、柚月を見守るしかなかった。
ついに、柚月は、九尾の命火へとたどり着く。
ゆっくりと、九尾の命火に触れた柚月。
だが、九尾の命火は、容赦なく、柚月の手を焼き尽くさんと襲ってきた。
「うっ!」
「兄さん!」
柚月は、苦悶の表情を浮かべ、うめき声を上げてしまう。
激痛が、襲い掛かっているのだろう。
柚月は、手が九尾の命火に焼かれているのを感じる。
それでも、柚月は、手をひっこめるつもりはない。
だが、今にも、九尾の命火は、柚月を焼き殺してしまいそうだ。
やはり、この試練は、無謀ではないのであろうか。
このままでは、柚月は、焼き殺され、灰となってしまう。
そうなる前に、強引に、柚月を引き下がらせるしかない。
誰もがそう思っていたその時であった。
「お前なら、試練を乗り越えられる!見せてみよ!炎尾達に、お前の覚悟を!」
「光焔……」
光焔は、柚月に向かって叫ぶ。
まるで、柚月を叱咤するように。
光焔は、信じていたのだ。
柚月なら、試練を乗り越えられると。
光焔の姿を目にした朧は、徐々に不安を取り除き始めた。
自分達が、柚月を信じなければならないのだと、思い知らされて。
「そうよ、柚月!貴方ならできるわ!」
「私達は、信じていますから!」
綾姫と夏乃も、柚月に向かって叫ぶ。
光焔の懸命な姿を目にして、考えを改めたのだ。
柚月を支えなければならないと。
不安に駆られている場合ではないのだと。
柚月は、試練を乗り越えようとしているのだから。
「そうじゃ、目にもの見せてやれ!」
「試練を乗り越えてくださいまし!」
「ぜ、絶対に、大丈夫ですから!」
続いて、春日、初瀬姫、時雨が叫ぶ。
彼らも、柚月を支えるのだと決意して。
これが、自分達にできることなのだと、気付いて。
「負けるなっすよ!柚月!」
「証明してやりなよ!この石頭達にね!」
続いて、柘榴と真登が、叫ぶ。
柚月を叱咤するように。
あるいは、喝を入れるかのように。
柚月を信じているのだろう。
「兄さん!何が何でも、掴み取れ!」
最後に、朧が、柚月に向かって叫ぶ。
もう、恐怖や不安などなかった。
だからこそ、朧達は、柚月を励まし、支えようと決意したのだ。
朧達の声が、届いたのか、柚月は、激痛に耐えながらも、包み込むように、九尾の命火に触れる。
九尾の命火は、柚月を拒絶するかのように、激しい炎を燃やし続けた。
それでも、柚月は、引き下がることはなかった。
――俺は、九十九を復活させたい!人も、妖も、和ノ国も、救いたい!だから……力を貸してくれ!九十九!
柚月は、強く願う。
もう一度、九十九に会いたい。
九十九と共に戦い生きたい。
そして、全てを救いたいと。
その時だ。
柚月は、九十九の存在を感じ取った。
幻かもしれない。
現実から目をそらしているだけかもしれない。
だが、それでもいい。
九十九も、自分と共にいると今は、感じられるなら。
「おおおおおおおおっ!!!」
柚月は、雄たけびを上げながら、九尾の命火の中へと手を入れる。
すると、柚月の想いに呼応したように九尾の命火が、柚月を包み込んでしまった。
息を飲む朧達。
だが、不安に駆られた様子はない。
不思議ではあったが、柚月は、無事であると確信を得ていたのだ。
九尾の命火が静まると柚月と一人の女性が現れる。
白銀の耳と尻尾を生やした美しい女性の妖狐が。
宝石が埋め込まれたかのような美しい白銀の瞳を持つ女性は、妖艶に微笑んでいた。
「な……に……」
――まさか、こんなことが……。
炎尾も明枇も、驚愕し、動揺を隠せない。
今、起こっている現状を受け入れられないかのようだ。
朧達は、何が起こったのかさえ、見当もつかなかった。
「大した男よ。これでは、認めるしかあるまいな」
「あ、あなたは……」
女性は、笑みを浮かべながら語りかける。
だが、その様子は、柚月に敵意を向けているようではない。
ただ、優しく、観念したかのようであった。
状況を把握できない柚月は、あっけにとられながらも、女性に尋ねた。
彼女は、何者なのだろうか。
「我が名は、たまもひめ。妖狐を束ねる者、妖狐の始祖と言ったほうがいいかもしれぬな」
「たまもひめ?」
女性は自身の正体を明かす。
彼女の名は、たまもひめと言うらしい。
しかも、妖狐の始祖だというのだ。
おそらく、妖狐の頂点に立つものなのであろう。
そのたまもひめが、九尾の命火と化していたとは、誰が、予想できたであろうか。
「そなたの想い、確かに受け取ったぞ」
たまもひめは、柚月に告げる。
まるで、彼を認めたかのように。
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