永遠の命

奏 舞音

永遠の命

 科学研究発表会には、百人を超える金持ち連中が集められていた。働かなくても金が手に入り、その金でできることはすべてやりつくしたような、必死で働いても食っていけない貧乏人からは骨の髄まで恨まれているような連中だ。そんな金持ちが次の暇つぶしを見つけるためにやってきたホールのメインステージでは、高齢の博士が発明品について熱弁していた。

「お集まりの皆さん、我々はずっと探してきました。永遠に生き続ける方法はないか、と。人間の医療が人工心臓にまで到達したのは、この探求心あってのことです。しかし、皆さんはきっと、どれだけあがいても、どれだけお金を積んでも、人間は必ず死ぬものだとおもっていらっしゃいますよね? でも、そんな常識も今日までです」

 白髪で、腰も曲がった、年老いた博士の言葉は、集まった金持ちたちの嘲笑の的にしかならなかった。しかし、なおも博士は続ける。

「何故、死は恐ろしいのでしょうか。それは、“死”というものにすべてを奪われるからです。今まで築いてきたものも、これから築こうとしていたものも、思い出も、希望も、大切な人と過ごす時間も……何もかも。皆さんにも、大切な人がいるでしょう? その人といつまでも共に生きたいとは思いませんか? 私は、二十年前に妻を病で亡くし、娘は通り魔に襲われて殺されました。その時に誓ったのです。どうすれば二人を救えたのか。答えは簡単です。死なない身体であればいいのだ、と。そうすれば、もう、大切な人を失うことも、病気で苦しみながら死ぬことも、突然の事故で命を失うことも、身勝手な他人に殺されることもないのです。人間が永遠に生き続ける方法を、私は半生をかけて見つけ出しました!」

「じぃさん、それはすごいな。だったら、どんな方法なのか教えてくれ」

 三十代の、若い紳士が鼻で笑った。しかし、博士はその言葉を待っていたかのように顔を輝かせて、小指の爪ほどの小さなカプセルを皆の前にかざした。

「これさえあれば、私たちは死など恐れることはありません!」

 そう叫ぶと、博士はそのカプセルを口に放り投げ、飲み込んだ。一体、何が起こるのか、皆博士にくぎ付けだった。しかし、魔法のように肌がつやつやになったり、曲がっていた腰が伸びたりはしなかった。数分待ったが、博士の体に大きな変化は見られない。

「なんだ、やっぱり年寄りの戯言か。じいさんはもう引っ込め! 早く次の発表を見せろ!」

 聴衆の一人が声を上げると、皆それにならって博士に向かって野次を飛ばす。そうして、警備員が博士を取り押さえようとした時、ついさっきまでは足元もおぼつかなかった博士がしっかりと足をふんばり、がたいの良い警備員相手に背負い投げをきめてみせた。これには、皆が騒然とし、信じられない思いで博士を見つめた。

「ついさきほど、私の体の中には高性能のナノマシンが入り込みました。この極小のナノマシンによって、私の体は徐々にロボットと融合します。人間がロボットの体を手に入れるのです! 神経系もナノマシンによって支えられ、痛みも感じなくなり、傷ひとつつけることもできなくなります。そのうち、今まで生きるために必要だった心臓や肺などの内臓も不要になります。脳を保護し、人間としての記憶や感情を残したまま、ロボットの体を手にすることができるのです。ロボットですから歳をとることもなく、メンテナンスをすれば永遠に生き続けることができますよ」

 長い博士の説明に、集まっていた者みなが聞き入っていた。今まで金で買えないと思っていた命が、買える。

 博士の発明に、誰からともなく拍手をはじめた。拍手喝采、大きな歓声に包まれ、博士はにっこりと笑顔を見せて永遠の命を与えるカプセルを一粒一億で売りつけた。


「なあ、ユウ。お前はいいのか? あのカプセルは、自分の命を使った新種のゲームだ。自分の命で遊べるものなんて、今ここでしか手に入らないぜ?」

 刺激的な遊びを求めて、研究発表会に来ていたシンヤは、友人のユウに話しかける。シンヤは、親がIT会社社長で、自身も二十五歳という若さでSNSの会社を立ち上げて稼いでいる。派手なものや新しいものが好きで、何でも自分で試してみないと気が済まない。ユウは大手寝具メーカーの社長の息子だ。父の会社を継ぐために、今は秘書として勉強中だ。シンヤは、どちらかというと大人しく、小さな幸せを胸に日々を生きている、ユウとは正反対な男だった。

「いや、僕はいいよ。永遠の命に、興味もないし」

「なんだよ。お前、死にたいのか?」

「そういう訳じゃないけど。やっぱり、こうして生きていることが幸せだと思う……」

「ちっ、つまんねぇ奴」

「シンヤは怖くないの?」

「別に。ずっと生きてられるってことは、ずっと楽しいことだけして生きられるってことだろ?」

 そう言って、シンヤはカプセルを口に放り込んだ。



 ***



 永遠の命を手に入れる、世紀の大発明から二十年。はじめは金持ちの間で流行っていたが、研究が普及し、一般庶民にも手にできる時代となっていた。

 もう、人間は老いも病気も気にしなくてもよかった。

 細胞系、神経系、骨格系などなど、一度に体をロボット化するのではなく、部分的に作用するカプセルも開発されていた。もう、癌に怯えることもなく、事故死をすることもない。胃袋もいらなくなるから、お腹が空くこともなく動き続けることができる。もちろん疲れることもない。働かなくても生きていける体が手にできる。死ぬことがなくなったため、人口が減少することはなくなった。殺人事件の件数も大幅に減り、社会は平和になった。何せ、殺そうとしても相手がなかなか死なないのだから。


 シンヤは、かつての友人が妻を亡くし、孤独に生きていることを哀れに思った。あるいは、自分たちの優位を、再認識したかったのかもしれない。とにかく、シンヤは数十年ぶりに、ユウに会いに行った。ユウは、父の後を継いで、寝具メーカーの社長になった。人間がロボット化しているとはいえ、自己修復やバグを取り除くため、休息というリセットは必要だ。ロボット用の寝具を開発し、会社を成長させている仕事ぶりには驚くが、所詮は寿命のある人間だ。もう四十代後半にさしかかったかつての友は、昔の面影を残しながらもかなり老けていた。顔にはしわが刻まれ、髪には白いものが混じっている。

「久しぶりだな、ユウ。元気にしていたか?」

「シンヤか。相変わらずだな」

「お前は、随分と変わったな」

 シンヤの姿は、若い頃のまま変わっていない。老化とは無縁の生活をしていた。毎日遅くまで遊んでも身体は疲れないし、お腹が空かないから食事や休憩は必要なく、ずっと何かをしていられる。しかし、思いつく限りの遊びはもうすべてやりつくしてしまって、退屈でもあった。だからこそ、昔の友に会って、話をしてみたかった。永遠の命を拒んだ、風変わりな友人と。

「あぁ、歳をとっているからな」

 そう言って笑ったユウの笑顔に、昔にはなかった深みを感じた。しかし、シンヤは見ないふりをした。人生は楽しいのが一番だ。そして、人間に最期に待ち受ける“死”とは、“楽しい”とは正反対の場所にある。

 だから、シンヤはユウの生き方を認めたくはなかった。

「……大丈夫か? もし、意地になっているなら、もうやめろ。お前もいい加減カプセルを飲めよ」

「久しぶりに会ってまで、そんなくだらないことを言いに来たのか。だったら帰ってくれ。夕飯の準備をしているところだったんだ」

 ユウは呆れたような顔をして、溜息を吐く。

「お前、まだ食事とってんのか……そうか、そうだよな。食わないと死ぬもんな」

「あぁ、最近は食事をする人もいなくなって、料理店もなくなってしまった。食材だって自家調達だ。自分で作らないと、美味しいものは食べられないんだよ」

 もうすでに食事は不要だと感じているシンヤには、ユウの行動が信じられなかった。食事を作り、食べるなど無駄ではないのか。そんなことをしなくても、生きていける術があるというのに、何故わざわざ面倒な料理をするのか。

「何を、作ってたんだ?」

「残りものでカレーを。お前も食べるか?」

 いつもなら、食べないと即答したはずだ。しかし、シンヤはユウを見てふいに自分の今が正しいのかが分からなくなった。カレーと聞いて、見た目は思い出せるのに、どうしてかその味は思い出せなかったから。

 シンヤが戸惑いながらも頷くと、ユウは少しだけ微笑んだ。

「このカレーのレシピは、シオリから教えてもらったんだ。ちょうど、今日はシオリの月命日なんだ。シオリのカレーを一人で食べるのはまだ辛いと思っていたから、シンヤがいてくれてよかったよ」

 茶色くて、とろみのあるルーには、ゴロゴロとたっぷりの具材が入っていた。ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、牛肉。妻を亡くして間もないからか、ユウは目に涙を浮かべながら、カレーを食べては「うまい、うまい」と口にしていた。しかし、シンヤは一口一口食べるごとに違和感しかなかった。味が、分からないのだ。舌もすでにナノマシンによって機械化されている。

「シンヤ、うまいか? 冷めないうちに食べてくれ」

 そう問われて、シンヤは曖昧にうなずいた。カレーって、どんな味だったっけ。たしか、スパイスがきいていて辛い食べ物のはずだ。知識としては分かっていても、実際に自分の舌には辛みも温もりも何も感じない。味覚が、失われている。

「シオリのカレーだと思うだけで、幸せを感じられる。懐かしいこの味が、シオリを感じさせてくれるんだ」

 涙目になって笑うユウを見て、シンヤは羨ましいと思った。そして、自分が失ったものに初めて気づいた。自分はもう、美味しいものを食べて幸せを感じることができない。感じないということに、初めて恐怖を覚えた。シンヤはたまらなくなって、立ち上がった。

「邪魔して悪かったな。カレー、ありがとう」

「シンヤ?」

 ユウの声に背を向けて、シンヤは逃げるように友人宅を出た。そしてその足で、カプセルの開発者である博士に会いに行く。



「おい! じいさん、いるか!」

「どうしましたか? 内臓のメンテナンスですか?」

 ゆっくりと出てきたのは、あの時の研究発表会の時から何十年も経っているというのに若々しい容姿をした博士だった。整形技術とナノマシン技術によって、若返ることはたやすい。それにより、人の命の重みは薄れつつあった。というより、博士の研究によって、死は遠く、夢物語となっていた。そんな社会の中で、人間として生き続けているユウを見て、シンヤは人であった時のすべてを取り戻したいと思った。疲れがあってこそ休息は癒しとなり、空腹が食事をさらに美味しくする。心を癒してくれる、大切な人のぬくもり。人との触れ合い、歳をとることによって変わる価値観や人生観。ずっと、同じ時の中でとどまっていたシンヤには、ユウの見てきた世界が分からない。分からないままでいいと思っていた、失ったものに気付いたこの日までは。

「俺の身体を、元に戻してくれ」

「何を言い出すんですか。こんな素晴らしい身体を手に入れたのに、元の人間の身体に戻せと言うのですか」

「あぁそうだ。俺が軽率だったんだ。死にたくないからと、人間の感覚をすべて捨てるなんて、してはいけないことだったんだ……そのことに気付いた今、死ねない体を持っていることが、苦しい」

 シンヤは膝から崩れ落ちた。そんな彼を憐れむように、博士は優しく声をかける。まるで、泣き叫ぶ赤子をあやすように、ゆっくりと落ち着いたトーンで。

「では、その苦しいと感じる感情も、なくしてしまえばいい。そうすれば、何も苦しむことはないですよ」

 にっこりと、微笑んだ博士の手には、改良されたカプセルがあった。今まで、複雑な人間の脳には表層にしか手が出せていなかったが、改良して感情をつかさどる深部までもを機械化する新製品を作り上げた。シンヤは拒もうとしたが、ふと考える。自分はもう人の身体ではない。人として生きられないことに苦しみながら永遠の命を生きるよりも、感情をなくして生きていた方が良いのではないか、と。

 そして、シンヤは新製品のカプセルを使用した最初の人間になった。



 三十年後、ユウは八十九歳で死んだ。しかし、誰一人としてユウの死を悲しむ者はいなかった。

 ユウ以外の人間は皆、感情をなくしたロボットになっていた。

 ただ一人、永遠の命を得なかったユウだけが、死んだ。

 そうして、地球上に人間はいなくなった。

 もう誰も、死ぬことはない。もう誰も、悲しむことはない。もう誰も、生きる意味を考えることはない。もう誰も、死を恐れることはない。もう誰も、幸せを感じることはない。

 そして、もう誰も人間であった時のことを覚えてはいない。


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永遠の命 奏 舞音 @kanade_maine

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