156話 勝利の余韻は虚しく…


「……これはこれは陛下ではありませんか。こちらから出向く手間が省けましたね」


 私達が圧倒的な敵の物量に苦戦しているその最中に現れたのは……ヴォリンレクス帝国現皇帝であるダンタリオンだった。

 まぁ流石にここまで騒ぎになればそりゃ皇帝も何事かと飛び出してくるわな。


 だが、阿鼻叫喚な状態である下層で苦悩している私達とは裏腹に涼しい顔で上層からこちらを見下ろすダンタリオン。

 自身の城がこんな状態だというのになぜあんなにも冷静でいられるのだろうか……余裕の表れなのか、それとも……。


「ち、父上! ルディオは父上の命を狙っておるのだ! 速く退避を……」


「ルディオ、貴様に一つだけ我の質問に答える権利をやろう。……すべての罪を認め、その新魔族を引き渡すというのなら貴様の命だけは助けてやらないこともないが……どうする?」


 ディーオの警告を完全に無視してルディオへと問いかけるダンタリオンであったが、それは質問と呼ぶにはあまりにも一方的な詰問。

 だが、それは私達がルディオに向けた降伏勧告などとは比較にならないほど高圧的で、抗いがたい畏怖を纏わせていた。


「……ぐ、思わず従ってしまいたくなる程の威圧感。ですが! もはや私は後に引くことなどできないのだ! 陛下、残念ですがあなたにはここで死んでもらいます」


 見れば、いつの間にか新魔族の分身はバルコニー周囲の壁からも徐々に生成され始めている。ここからではわからないが、おそらくダンタリオンの背後からもすでに分身が現れているのだろう。

 つまり、今の会話の間で新魔族があの近くまで移動していたということか。


「フハハハハ! 今この瞬間にもあなたを討つための包囲網は完成しつつあるのですよ! この物量の前には流石にどうしようもないはず!」


「お、おい! マズイんじゃねーのかあれ!? あのままだと皇帝サマも……」


「いや……」


 ルディオの言う通り、新魔族の分身体は一撃で倒せるとはいえその増殖スピードは尋常ではなく、普通ならば私達のようにじわりじわりと追い詰められるのが関の山だろう……そう、普通ならな。


「ふふふ……このまま圧倒的な物量で押し殺すのも悪くないですが……やはりここは私自身の手であなたを討つ方がより勝利の愉悦を味わえるというもの……。なので、これを試させてもらいましょうか」


「な、なにアレ? おっきい槍にも見えるけど……先が丸くて、まるで大きな魔導銃みたいな……」


「ご明察だよレディ。これは魔導砲と言ってね、魔導銃の何十倍ものエネルギーを撃ち出すことができるのだよ。ま、これも極秘で作らせたものだが」


 魔力を圧縮し純粋な破壊エネルギーとして発射するのか。確かにあれならばあの位置からでもバルコニー周辺程度なら跡形もなく消し去る威力はあるだろう。

 あれもドワーフ族の技術で使った産物ということか。


「陛下……最後に一つだけ教えてもらいたいのですよ。もしやサロマは……あなたの隠し子であり、本当の第一子ではないのですか?」


 それは、この場の誰もが抱き始めていた疑問の一つだった。状況証拠だけで見ればかなり高い方だと言えるが……確たる証拠もないこの疑問。

 真実かどうかは、今私達の頭上にいる人物のみが知りえるはずなのだが……。


「……何故この世界はこんなにもくだらないのだろうな。事象の波に流されるだけの有象無象が渦巻く世で我はいつまでこの憂鬱を抱き続けなければならぬのだろうか」


 ダンタリオンの言葉は誰もが期待したものでもなく、そして誰にも理解できない自身の鬱憤のような呆れの言葉だった。

 その言葉の中に、いったい何が込められているのだろうか……。


「な、何をわけのわからないことを……いいから私の質問に……!」


「貴様に与えた権利は我の質問に答えることただ一つだけと言ったはずだ」


「……ッ!」


 客観的に見ればもはや絶体絶命の状態だというのに、その眼光から感じられる威圧感は衰えることなくルディオに突き刺さり、委縮させた。

 だが、それでもルディオは引かず、魔導砲に手を掛け発射体勢に入る。


「その強がりももはやこれまでです! 魔導砲重点完了! 新魔族の分身共よ、同時に一斉に跳びかかり逃げ場を無くしてしまえ!」


「クケェェェ!」


 新魔族の分身が一斉にダンタリオンめがけて襲い掛かる!四方八方に埋め尽くされたその物量には逃げ道など何処にもありはしない。

 そして、それを見計らったルディオが魔導砲の魔力を開放する!


「終わりだ!」


 魔導砲から一筋の閃光がほとばしる。純粋な破壊エネルギーで構成されたその砲弾は寸分狂うことなく、新魔族の分身を巻き込みながらまっすぐダンタリオンへと向かっていく。


「陛下!」

「父上ー!」


 誰もが皇帝の最後を予感しただろう……。だが私だけはそうは感じなかった。

 なぜなら……すでにその手にあるステュルヴァノフに魔力が込められていたのだから……。



「……くだらん」



「……え?」


 無数の新魔族の分身が、魔導砲の砲弾がまさにダンタリオンを討ち取ると思われた次の瞬間、そのすべては忽然と姿を消した……。

 ……そう、すべてだ。魔導砲の砲弾は勿論ダンタリオンを取り囲んでいた新魔族の分身はおろか、分身体ですら跡形もなく消え去っていたのだ、一匹残らず……。


 そして……。


「へ……? な、なん……あ、あ゛あ゛あ゛あ゛!?? なんで、い、痛いぃ! ……熱い、腋腹が焼けるように……ひっ!」


 次に私達の目に入ってきた光景は、もがき苦しむルディオの姿だった。

 突然苦しみ出し、地面にのたうち回る。そしてルディオ自身も叫んでいたその腋腹からは……。


「うっ……なんだありゃ」

「なんで、あんな……」

「お嬢様、見てはいけません」


 それはルディオの倒れ込んだ地面から徐々に広がっていく……鮮血だ。

 その腋腹はまるで何かに抉られでもしたかのように欠損しており、そこから覗く折れて突き出た骨がさらに生々しさを助長している。


ドチャ……


「ギエェェェェ!」


「!? 今度はなんだってんだよ!」


 その叫びはルディオの悲鳴に少し遅れる形でやってきた。まるで何かが落ちるような音と同時に聞こえてきたその声の方向を見てみると、そこにはあの新魔族が血だらけで倒れている姿だった。


「い、いったい何が起きたというのだ……。そうだ! 父上は!?」


 ディーオの言葉に皆魔導砲の砲弾が着弾したと思われるバルコニーに目を向ける……が、バルコニーは先ほどと変わらず無傷であり、その上には……。


「……ふん」


 何事もなかったかのように変わらず憂鬱そうな表情で立ち尽くすダンタリオンの姿があった。


「あ、あれで無傷なのかよ……」

「いったい……何が起きたの」


 カロフとリィナがこの状況を理解できないのも仕方がない。あの一瞬……まさにダンタリオンへの波状攻撃が仕掛けられたあの一瞬は、全神経を研ぎ澄まして集中して観察しなければその光景を捉えることは不可能だろうからな。


 そう、私はあの時何が起きたのか一部始終をこの目でハッキリと視認した。感覚を魔術で強化し、片時も目を離さなかったからこそ……。


「あれこそが……神器ステュルヴァノフの力だ……」


 あの絶体絶命かと思われた窮地、その時にダンタリオンが行った行動はただの一つ……その手に持つステュルヴァノフをしただけである。

 だが、それだけであの神器は力を発揮する。

 ダンタリオンが感知できる魔力の波長一つひとつ……この場合は新魔族の分身体だ。それと目の前に向かってくる砲弾とその後ろにいるルディオ。

 ステュルヴァノフはその一振りのみでそれらすべてを標的とし、そして打ち砕いた。

 それは魔力でできた砲弾であろうと、魔力による防御だろうと関係ない……触れた魔力を突き抜け破壊するその性質の前には無意味に等しいのだから。


(だが、真に恐ろしいのは……)


「自分も……初めて陛下が戦うお姿を拝見したが……」


「こりゃ戦闘って言うにはあまりにも……」


 一方的……誰の目から見てもそれは明らかだ。

 ステュルヴァノフの真の恐ろしさというのは、その使い手によって大きく変わる。魔力さえあれば一国を滅ぼすことも容易い……使い手にその気があればの話だが。


 前世の使い手、メリクリウスには魔力こそ人外のレベルだったが、そんな野心など微塵もない人間だったからこそまったく危険視されるものではなかったが……。


「これが世界最高峰の戦闘国家の皇帝……」


「正直、敵に回したくねぇな」


 この力が代々の皇帝に受け継がれてきた、その事実だけでも歯向かう気力が失われていく。


「ウゲェェェ……た、たすけ……やんす」


 おそらく一度に数発の打撃を受けたであろう新魔族はすでに虫の息であり、このまま放っておけば確実に死んでしまうだろう。

 この新魔族をどうするか……もしかしたら何か有益な情報を引き出せるかもしれないとは思うのだが。


ヒュ……


「ぎあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」


 また一撃、ステュルヴァノフの強打が新魔族を襲う。その光景に思わず顔をそらしてえずいてしまう者もいる。その激痛はおそらく私達の想像を絶するだろう……。


「ち、父上! もうその者は動けぬのだ! 城内にて暗躍していたことは許せぬが、手当てして投獄するだけでも……!」


 ディーオの説得はダンタリオンには届かない……。自身の子だというのに、まるでその存在を認めないかのように。


ヒュ……


「や……!」


 グシャ……という嫌な音と共に、新魔族の頭と胸が同時にはじけ飛ぶ。それは、まるでトマトを地面に投げつけたかのようにその死の証を鮮明に残していた。


「ヒィィィィィ! い、嫌だああぁぁぁ!」


 そして、その光景を目の当たりにして誰よりも恐怖を感じているのは他ならぬルディオだ。あの皇帝に慈悲などない……次は自分の番だと。

 その予想は……間違っていないだろう……。


ヒュ……


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 それは……見るも無残な人体破壊ショーだった。

 まず、右腕が吹き飛ばされる。次に、逃げようともがく脚に一撃が叩き込まれその機能を失う。そこから片方の脚が千切れ、宙を舞う。何人もの女性を虜にしたその美しかった顔は、頬が抉られ頭からは頭蓋骨が姿を見せている……。

 もはやショック死してもおかしくない。ルディオは涙を流しながら、縋るような虚ろな目でこちらを見ている。


「キミた……たす……アリ……」


 私達に助けを求めるかのように最後の気力で声を発するルディオだが……今の私達には何もできない。


「る、ルディオさ……ひ!?」


 その光景をカトレアの後ろに隠れていたアリステルが覗いてしまう。だがそこにいたのは、もはや原型を留めていない惨たらしい肉塊だけだった。


「……」


 そして、最後まで無言でステュルヴァノフを振るうダンタリオンが、最後の一撃を振り下ろそうと……。



「お待ちください皇帝陛下!」



 ……する一歩手前、静寂の場に響いた一つの声がダンタリオンの動きを止める。


「陛下、恐れながら進言させていただきます。新魔族はともかく、ルディオは我が国の重鎮であった存在。たとえ罪が明白であろうと、正式なる裁きを与えねば今後の威信に関わります!」


 その声は、たった今この場に駆け付けたであろうパスカルさんのものだった。その隣にはなにやら見知らぬダンディな髭が似合うおっさんもいる……誰だ?


「ダンタリオン皇よッ、どうかこの者の裁きはこの吾輩……戦討ギルドマスターであるヒンドルトン・ドゥーブルに預けてはいただけないだろうかッ!」


 なんと、戦討ギルドのマスターさんだったのか。そういや戦討ギルドはヴォリンレクス帝国の後ろ盾で動いてるようなものだし、本部もこの国にある。すぐに駆け付けられるのも当然ということか。


 さて、ディーオの言葉にはまるで耳を貸さなかったダンタリオンだが。この二人に対しては……。


「……好きにするがいい。それと、ゴミの後始末をしておけ」


 それだけ言い残し、再び城内へと戻っていく。そして辺りはまるで嵐が過ぎ去ったかの如き静寂に包まれる。

 だが、今はそんな余韻に浸る間もなく……。


「早く! 急ぎルディオの治療を始めろ! 誰か傷を癒す魔術を使える者はいないか!」


 パスカルさんが迅速に事態の収束に動き出す。そうだ、ルディオの身柄を戦討ギルドが預かるとはいえ、このまま何もしなければルディオの命は長くはもたない。


「私がやろう。『再生治癒ヒーリング』」


 これだけでは応急処置……というよりも単なる延命措置にしかならないだろうが、生命維持にはなるはずだ。


「私はこのままルディオの生命線を確保を続けながら治療に付き合うことにする。皆は先に休んでいてくれ」


 皆言葉にはしないが、その表情には明らかに疲れが見て取れる。無理もない、この短い間でショッキングなことが起こりすぎた……肉体的な疲れもあるだろうが、精神的な疲労の方が大きいだろう。


「すまねぇ……お言葉に甘えさせてもらうぜ……」


 むしろ問題なのは……私達のこれからなのかもしれないな……。






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 ルディオの暗躍事件から始まった今回の騒動を終え、ディーオ達は私室に戻り一先ずの休息に入っていた。……だが、それぞれの心の中には払拭しきれない疑念が渦巻いていた。


「結局……余は何もできなかった……。ただ、無力に怯えていただけ……」


 ルディオの悪事を抑える力もなく、説得することもかなわなかった。……そして何よりも、ダンタリオンを止めることができなかったことがディーオの後悔の念をより一層深くしていた。


「ん、んなことはねー……と思う。皇子さんは立派にやったって、なぁ?」


 だが、その問いかけに反応する者はいない。本当はカロフもわかっているのだ……自分達の軽率な行動こそが、今回の大惨事に繋がってしまったのではないかと。

 最初から皇帝であるダンタリオンにすべて任せておけばよかったのではないか……と。


「もう……わからぬのだ。余は……これからどうするべきなのか」


 そう呟くディーオのあまりにも弱々しい姿。すべてに絶望し、まるで心が壊れていくかのような、無気力な姿。


 しかし、ディーオの心が不安定な理由は自分の無力さを嘆くだけではない……。


「……ディーオ様、ご気分がすぐれないのでしたら少しお休みになられては……」


「ッ! 触るでない!」


 それは、無意識から出た行動だった。サロマの何気ない気遣い……それはディーオにとって当たり前の日常のはずだというのに……。


『サロマは、血の繋がったディーオの実の姉なのかもしれない』


 今回の騒動において何よりも衝撃的な可能性の一つ……それがディーオの心に重くのしかかっていた。もう、今までと同じように接することなどできない……。


「……出て行ってくれ。今はお主の顔を見たくない」


「……申し訳ありませんでした。ディーオ様の不快になられるというのでしたら、わたくしは……席を外させていただきます」


 その言葉と共にサロマが部屋をあとにしてしまう。

 一度引き裂かれた心の溝はそう簡単には直らない……。それは、解決するにはあまりにも大きな問題なのだから。


「おい皇子さん! いくらなんでもありゃ……!」


「待ってカロフ! 殿下だって本当は辛いに決まってるじゃない!」


「けど……けどよ! くそっ!」


 やりきれない葛藤を抱えるカロフ。サロマの件で一番心を悩ませているのはディーオだというのはわかってはいるのだ。

 この世界、アステリムにおける道徳観は多少の違いはあっても地球のそれとほぼ変わらないといってもいい。

 血の繋がった者同士で愛することがいけないということなど子供でも理解できる一般的通念だ。


 だが、ディーオは知らなかったとはいえサロマに異性としての愛情を感じていた。その苦悩は……カロフ達にはわからないものだろう。


「……」


 椅子の上に体育座りをして押し黙ってしまうディーオ。それを際に、誰も言葉を続けることができなくなってしまった。


「……わたくしも、少々席を外させていただきます」


 そう言い立ち上がったのはアリステルだ。彼女も今回の事件で心に深い傷を受けた者の一人である。

 今回のことを期にムゲン達とは完全に和解した彼女らではあるが、未だ心の整理がつかないのも当然だろう。……なにせ、婚約破棄したとはいえ数日前まで愛していた男の無残な姿を目の当たりにしてしまったのだから。


「でしたら、自分もお供いたします」


「一人で考え事をしたいの。だから、カトレアはここに残っていてちょうだい……」


「……わかりました。お嬢様がそうおっしゃるのなら」


 ルディオと新魔族の暗躍事件……結果的には勝利に終わったのかもしれない。だがその余韻は虚しく、とても喜び団円できるはずもなかった……。






「わたくしも……どうしていいのかわかりませんわ」


 部屋を出たアリステルは、そのまま当てもなく一人城内を彷徨う。目的地などない、ただ一人になれる場所がほしかった。


「もうルディオ様への未練は心の中にはない。なら……わたくしは」


 かつて愛した者を自ら突き放し、自身の恋心は空虚になったと思っていたとアリステルは感じていたが、その心内にはまだ何かうずくものもある……そんな感情も芽生えていた。


「だったら、協力……するべきですわね」


 このうずきの原因の主を助けたい……その人物は仮の主君のことで今とても煮え切らない状態でうずうずしてるだろうから。それを助けることこそが、今の自分がやりたいことなのだと。


「少々競争率は高そうですけどね……。しかし、そうと決まれば……あら?」


 決意を新たに部屋へ戻ろうとしたアリステルだったが、道中の扉が半開きになっており、そこから淡い光が漏れていることが妙に気になってしまった。


(そういえばここはどの辺りかしら? あまり人が近づかない場所だとは思うのだけれど……)


 そう思いながらも足は扉の方へ向かっていく。惹かれる……だが同時に危険な気配も感じる。その先にいったい何が待つのかも知らずに……。



「何故……今回の件を言わなかった? 貴様の管轄ではないにせよ、知らぬわけではなかったはずだ」


「言う必要がない……と判断したもので。結局何事もなく終わったじゃありませんか」



 その部屋を覗くと、中には二人の男が向かい合うようにして座っていた。いや、片方はどこかノイズがかったような存在の薄い体をしている。

 その現象についてアリステルは心当たりがあった。あれは『通映機』と呼ばれるもので、『通信石』をドワーフ族の技術で改造したものだと。


 つまり、あの男はどこか遠くからこの地に向けて映し出されているに過ぎない。


(でも、いったいどこから?)


 しかも、その姿に違和感を覚えた……映像だからというわけではなく、その姿恰好にだ。

 大きな衣で大部分を隠してはいるが、頭から後ろに伸びる大きな角や腰から伸びる大きな翼は通常アステリムに現存するどの種族とも違うことが見て取れる。

 だが、アリステルはその姿に一つだけ心当たりがあった。そう、つい数時間前にも見た存在も、どこか似た気配を持っていたことを。


(まさ……か、新魔族!?)


 それはあまりにも衝撃的だった。つい先日までこの国に潜んでいた新魔族と同じ存在が、今この国の誰かと会話している。


 しかし、衝撃はそれだけでは終わらなかった……なぜなら、その会話の相手こそが……。



は我らが為すべき使命のため必要な事象の一つのはず。どんな些細な要因であろうと不穏因子は動き出す前に排除すべきではないのか? ……ベルゼブルよ」


「ダンタリオン、あなたは少々使命感に囚われがちではないでしょうか? 時には予測外の事象の流れに身を任せてみるのもおもしろいものですよ」



 新魔族の話し相手……それはあろうことかヴォリンレクス帝国のトップに立つ男、皇帝ダンタリオンだった。

 そしてもう一つ……。


(確かあの新魔族の名前は聞いたことがありますわ……)


 この時のアリステルでは知る由もないが、ダンタリオンと対等に会話をするこの男こそ各地の新魔族事件の現況でもあり、未だ得体の知れない謎に包まれた新魔族……七皇凶魔“暴食”のベルゼブルだった。



「過ぎ去った話はもうお終いにしましょう。それよりもあなた自身の問題の方が重要でしょう?」


「あれのことか……。あり得ないはずの事態だ、我が憂鬱が受け継がれないことなど……」



 その会話はアリステルには到底……いや、もしかしたら常人では理解できない、彼らにだけわかる内容なのかもしれない。



「それに関しては代用品を用意したんでしたっけ? 確か……サロマと言いましたか」


「名前などなんの意味もない。あれはただ他人の遺伝情報と魔力構成で人工的に培養された代用品にすぎない。だが貴様から渡された培養槽では10歳程度までしか成長を促進できかなかったからな。じっくり育つまでの年月を待つのは実に……憂鬱な日々だった」


「あれが限界なのですから無理を言わないでくださいよ。まったく、人の身というのは気が短くてしょうがないですね。……も似たようなものでしたが」



 遺伝情報……培養槽……相変わらずわけのわからない言葉だらけだが、その中で一つだけだが理解できることがあった。

 それはサロマが何者かということ。


(サロマがいったいなんだというのかしら?)



「ともかく、サロマの体はじきに熟す。その時こそ、死した我が伴侶のと同一の存在となる。そう、ディーオの母親の遺伝情報より生み出されたサロマこそ、我の次代の皇帝となるべき子を宿す新たな器となるのだ。あんな出来損ないではなく……な」


「まぁ、とりあえずそれはそれで期待させてもらうますよ。……でも、油断していると足元をすくわれるかもしれませんよ」



 そう言うと新魔族……ベルゼブルは視線を少しずらすと、丁度扉の方へと目を向ける。

 その先にいるのは……アリステルだ。だがアリステルは今の衝撃的な会話に動揺して動けないでいた。


(そんな! バレ……!)


 そして、ベルゼブルの視線にダンタリオンも釣られて扉の方にゆっくりと振り向こうと……。



「あ、そうそう。ルイファンがまた懲りずに進軍を始めようとしてるようですよ。連戦は面倒くさいでしょうけど、この戦いも体裁を保つためですので」


「ふん、それを早く言え。しかしあの小娘も懲りないことだ……。しかしそうだな、丁度いい……とも言える。、サロマに仕掛けた機構が熟す頃合いだ、それを試させてもらう」


「ああ、あれですか」


「ふん、あれも貴様が渡した技術だというのに淡泊な男だ」


「そうですね、ふふふ……」



 ベルゼブルが不敵に笑う視線の先、そこにはもうアリステルはいない。

 すでにカロフ達のいる部屋へと向かって走り出していた……精一杯声を殺しながら。この真実を誰かへと伝えるために。


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