120.5話 幼き龍の将来設計


「父様、なぜ我ら龍族は外界の他種族と交流されないのですか?」


 幼き日の出来事、この時の我は何も知らなかった。

 いや、外界に飛び出した今でこそ世界の広さを知ったが、それでもまだまだ我が知りえぬことは数え切れぬほど存在する。

 時代が変われば人の営みが変化していくように、我の知らない世界もまた増えていく。


「アポロよ……それは我らが他の種族とはまるで違うからだ。体格、能力、寿命、知識、我ら龍族はすべてにおいて他種族を圧倒する別の生き物なのだ」


「では人化をすればよいのでは?」


「たとえ人化したとしても我らの本質は変わらぬ。こちらがどんなに歩み寄ろうとも他種族は必ず思い知るだろう……自分達とは違う別の存在なのだとな」


 しかし、人化は古き龍族が編み出した他種族との共存のための術。

 だというのに、今まで龍族が人と共に暮らしていたという話は今も昔もまるで聞くことはない。

 ……たった一人の、偉大なる人物を除いては。


「ともかく話はここまでだ。龍族は外界と接するべきではない」


 そう短く言い残し父は去ってしまう。

 この我らが住む里は閉鎖的だ、比較する対象を知らぬ我にとってはその頑なさがどれほどのものか表現することはできなかったが。

 しかし、なにも閉鎖的なのは物理的な面だけではない……真に頑ななのはその心だ。

 特に父様の代の大人は誰もがその心を深く閉ざしている。


「外の世界はこんなにも近しいというのに……」


 そう呟きながら里を囲む壁の山に手を触れる。

 この里は周囲を高い山々に囲まれたまさに隔離された閉鎖地帯だ。

 しかし、壁とは言っても龍族ならば容易く飛び越えられる高さでもあり、なにも閉じ込められているわけではない。

 皆自ら望んでこの場所に留まっているのだ。


「しかし我にはまだ越えられぬか……」


 鍛錬を重ね、翼も十分に成長しきればここを超えることができる。

 その暁には……。


「ホッホッホ……アポロや、また外の世界のことを考えておるのかね?」


曾祖父ひいじい様」


 背後から優し気な声で語りかけてきた老龍……我が曾祖父だ。

 我が最も尊敬する龍族の一人であり、その有り余る知識をいつも英雄譚として聞かせてくれる素晴らしい人物だ。


「そんなに壁を見上げていようとお主にはまだ早いじゃろうて。後四百年近くは待たなければな。しかしそれは主も承知のはず……何か思うところでもあったのかね?」


 流石だ、曾祖父様は仏のような優し気な表情であれどその鋭い瞳の前では我の未熟な心情など容易く見透かされてしまう。


「はい……先日、外界に存在する国が滅んだと聞きました。この国に存命するたった一つの国家です。原因は知りませんが、襲撃であったとだけ聞いております」


「ふむ……して、なぜお主がそれを気にする必要がある? 外界でいくら問題が起きようがワシらには関係ない。何も気にすることはないであろう?」


「確かに我らには関係はないかもしれません……。しかし我らなら、我ら龍族の戦士ならば対処できたのではないかと考えると心が痛むのです。どんな襲撃者だろうと龍族にはそれを打ち払うだけの力がある。この大陸で起こる"悲劇"を一つでも多く防げるのではないかと思うと歯がゆくて仕方がないのです」


 まだ子供である我にはその力はない。

 しかし我が父様のような強く猛々しい肉体と魔力を持ち合わせていたならば、必ずや救援に向かったはずだと心の中で何度も考えた。


「我を助けを求める民の声があれば、そのためにこの拳を振るいたいのです」


「ホッホッホ、それがお主の求める"龍帝"としての在り方か。相も変わらずまっすぐな心じゃのう。ま、その"憧れ"の根底となる話を何度もしたワシが言えたことではないがのう」


 そう、我が龍帝を目指すことを志した理由。

 いつも曾祖父様から英雄譚のように聞かされてきた龍皇帝国、それと誇り高き龍族の話……。

 その話に出てくる龍族達は、強く、気高く、自らの"種"というものを誇りにしていた。

 ……しかし、その誇り故に他を疎かにしすべてを失ってしまった。


(だからこそ我はすべての者と共存を志す、まったく新しい龍帝を目指したいと考えるようなった)


 父様達は確かに強い、龍族としての気高さも持ち合わせている。

 だが、自らの"種"というものに対する執着心というものがとても低いのだ。

 まるで自分達が他種族と大きく違うことを恐れているかのように……。


「曾祖父様、本日はどのような話を聞かせてくれるのでしょうか」


「ホッホッホッ、そうじゃのう……では龍皇帝国が滅んだ後も一人他種族と共に生き抜いた伝説の龍族の話でも……」


「曾祖父様、その話は前回聞きました」


 我ら龍族が誇る伝説の人物……龍帝最後の子、ドラゴニクス・アウロラ・エンパイア。

 人族が現在の歴史を作り出す以前の時代、新魔族というこの世界に対する明確な敵が存在せず、人と人同士で争い合っていた時代の話だ。


 曰く、かの龍はその黄金の鱗で何者の攻撃も通さなかったという。

 曰く、雷の化身となり世界全土を覆ったという。

 曰く、"魔"を統べる者と共に世界を救ったという……。

 やがて、戦いのない時代が訪れると、美しき伴侶と共に静かに人々の前からその姿を消したとのこと。


 我ら龍族の誰もが一度は憧れる存在として今も語り継がれる伝説の龍だ。

 いつかは、我もそのような偉大なる存在になりたいと憧れを抱いている。


「おや、この話はもうしたか?」


「すでに五十回以上は聞いております」


 かの龍の話は我としても何度聞いても飽きないが、二度続けてというのは流石に遠慮しておきたいところだ。


「では……そうじゃのう。一人の……若い龍族の話をしてやろうかね。とても優しく……そして可哀想な男の、な」


 この話を聞くのは初めてだ。

 どこか遠い場所を見つめているような、それとも身近な何かを見ているような顔つきで語りはじめる曾祖父様。

 何か……思うことでもあるのだろうか?


「ある一人の龍族のお話じゃ。その龍族は他種族との共存を考えておった。しかしその方法がわからず、常に遠くから見守るだけの日々を過ごしていた」


 他種族と仲良くしたい龍族……。

 その話の内容に、我はどこかその龍族の男と自分を重ねて聞いていた。


「男は来る日も来る日も見つめていた。やがて男が見つめる場所には人が集まり、文明が発展し、国ができた。それでも男はキッカケを掴めずにいた」


「不器用な男なのですね」


「ホッホッホッ、そう言うでない」


 我の相槌にどこか嬉しそうに笑う曾祖父様。

 はて? 我はそれほど笑えることを言っただろうか?


「男が待ち続けたある日のことじゃ、その日災厄が人族の国に降り掛かった……」


「災……厄」


「“炎神”の狂乱じゃよ。高密度のマナを含んだ火山弾が宙を舞い、マグマの波が押し寄せていた」


 “炎神”……屈強な我ら龍族でさえその存在に近づくことは禁忌とされている。

 火という存在すべてを生み出すマナの源と言われる、大陸一巨大な火山の中にその身を潜めている我らの理解を超えたもの。


「その時じゃった……いつも人族を眺めていた男はこの危機を察知しいち早く行動を起こした。降り注ぐ火山弾を咆哮で吹き飛ばし、押し寄せるマグマを火山の山を砕いてせき止めた。」


 曾祖父様のその話に出てくる龍族は、まさに種族としての強さを体現した我の憧れる在り方そのものだった。


「そしてその火山は後に『龍皇の火山』と呼ばれるようになり、男は人族の国と交流を持つようになった……」


「おお、昔にはそのような龍族がいたのですね。我も見習いたいものです」


「ホッホッ……昔か……。だがなアポロや、この話はこれで終わりではないのじゃ。この先こそが、この話の本質と言えるやもしれぬ……」


 どこか含みのある言い方をする曾祖父様。

 この時点では我はこの物語がいつか昔の遠い出来事のことだと思っていた。


「その後も男は人族達と友好を深めようと国の者達の願いを聞き入れた。土地の開拓、魔物の討伐、知識の譲渡……龍族としての力を見せる度人族達もそれを称えた。だが、それが過ちのはじまりじゃった」


「……なぜそれが過ちなのですか?」


 自らの持つ能力を最大限にひけらかすことで他種族にはない有用性を持っていることをアピールする……そうすれば龍族という存在を理解してもらえるのではないのか。

 子供の頃の我が考えは、その物語の男ととても似通っていた。


「かつての龍皇帝国と同じじゃよ……。表の顔ではいい関係を築いていると思えても、裏ではその力に恐怖を抱いておる」


「恐怖……ですか?」


「事実その国は豊かになりめまぐるしい発展を遂げた、国の王も男と友好な関係じゃった。しかし人族というものは我ら龍族に比べると遥かに短命であり、上に立つ者が変われば国の考え方も大きく変わっていく」


 かつてその強大な力で中央大陸の大部分を支配したとされる龍皇帝国も、その恐ろしさ故に集まった多くの他種族達の結束によって滅ぼされた……。

 だが、今回のお話の男が行った行動はそれとは逆に思えるのだが。

 恐怖ではなく、人族達の力になれるよう全力を尽くしただけだというのに。


「届き得ない圧倒的な力というものは平和に馴れた人族にとって恐怖の対象でしかなかった。次代に移れば移るほど男を崇め称えはするが、裏では密かに排除する方法を考えていた……」


 男は確かに信頼を得た……しかしそれはその時代の人間だけであり、後の次代の者の信頼を得ることはできなかったということ……。


「やがて龍族の存在を完全に脅威と認識してしまった人族達は他の大陸に要請し、この大陸に蔓延る龍族の排除を計画したのじゃ。当時の国王が男に他の龍族の仲間を紹介してほしいと頼んだ……そう、一網打尽にするため罠を仕掛けたのじゃ」


「だが、我ら龍族なら並の相手でならば対処しきれると思うのですが?」


「そうじゃ、そう当時の男も考えていた。どのような事態が起きようと自分達屈強な龍族ならば超えていけると。しかし人族達の戦力は以外にも高かった。今や世界中に浸透している"人族主義"という連中と強国『ヴォリンレクス』は我らの強みを封じ、圧倒的な数で男とその仲間を追い詰めていった」


 それは自身であり慢心……人族は弱い生き物だと決めつけ侮っていた。

 男は他種族との共存を望んでいながら、心の奥底では人族達を見下していた。

 勿論そんなことは男自身は考えたこともなかっただろう……しかし、人族と接していく内に、自分でも気づかない内に芽生えていたのだ。


「それから……男達はどうなったのですか」


「逃げ延びたよ。そして二度と他種族と交流を求めないことを誓った。そう、いつまでも……変わらずな」


 曾祖父様の声に悲しい感情……というよりは誰かを憐れむような感情が含まれているのを感じる。

 最初、この話は曾祖父様自身の体験を語っていたのではないかと考えた。

 しかし、この話の若い龍族の男が曾祖父様だとしたら時代背景が合わない。

 人族主義もヴォリンレクスもここ数百年の間に力を伸ばしてきた精力だと聞いている。


(だとすると、その男というのは……)


「お祖父様、アポロに何を話しているのです」


「父様……」


 曾祖父様が話し終えたところで父様がこちらへやって来た。

 その表情にはどこか苦々しいものが感じられた。


 父様も、今の話を聞いていたのだろうか……。

 そしてそのせいでそんな表情になっているのだとしたら。


「曾祖父様、もしや今の話の男とは……」


「アポロよ、お前は余計なことを気にするな。お前は我らの跡を継ぎこの地を守っていく役目だけを考えていればいい。お前の夢は……叶わないのだから」


 そう言いながら背を向き立ち去る父様。


(もし我の考えが正しいのだとしたら、先ほどの話の男とその仲間というのは)


 里全体を見渡す……そこには閉鎖的な空間に閉じ込められながらも誰もが不満なくその在り方を受け入れている様子が目に写った。

 曾祖父様がなぜ今この話をしたのか理解できた気がする。

 もしかしたら、我がその男と同じ道を辿る可能性を示唆し、その背中を見た今でさえ夢を諦める気にならないかと……そういうことなのだ。


 我の目指す龍帝も、他種族と手を取り合う理想の龍皇帝国も、すべて裏切られて終わってしまうかもしれない。

 その可能性を今我はこの目で見ている。

 だが……。


「父様、我は諦めませぬ! いつか必ず龍帝となり、龍族の在り方を変えてみせましょうぞ!」


 我は去りゆく父の背中へ向け大声で宣言する。

 見てきたからこそ、聞いてしまった今だからこそ、我の想いはより一層強く、熱く燃え上がっていた。


「……」


 父は一度立ち止まるも、振り返らずに里の中へと戻っていった。

 だがこれでいい、我の意思は、決意はハッキリと伝えられたのだから。


「ホッホッホッ、やはりお主はまっすぐじゃのう。してアポロよ、先の話を聞いてなお諦めぬお主は何をすべきじゃと考える?」


 何をすべきか……か。

 里で誰にも負けない戦士となる……いや、これは前提条件だ。

 曾祖父様がおっしゃっているのは、里を出た後にまず何を行うのかということだ。


「そうだな……おお、そうだ! 曾祖父様、我は里を出たらまず将来の伴侶となりえる花嫁を探します!」


 これは我ながらとてもいい案だと思ったが、曾祖父様は何故かキョトンとした顔で目を見開いている。

 我は何かおかしなことを言っただろうか?


「ほ、ほう、してアポロよなぜ花嫁なのじゃ?」


「王と王妃が人と龍であれば、互いに手を取り合う国の象徴として申し分ないでしょう。いつかは世継ぎも必要となるでしょうしな。それにかのエンパイア一族の末裔も、他種族の美しい女性を伴侶に迎えたと言います」


 うむ、完璧だ。

 我という龍帝があり、それを支える伴侶、そしてそんな我らについてくるであろう民達と共に築き上げていく龍皇帝国……おお、最高ではないか!


「まったくお主というやつは……本当に、本当にまっすぐな奴じゃ、ホッホッホッ!」


「うむ! 曾祖父様、我が必ずや龍族と他種族の共存、その第一人者となってみせましょうぞ!」






 そして、それから時は経ち……我は里内で誰よりも強い龍族の戦士となった。

 そう、あの父様よりも強く。

 その我の姿を見届けた曾祖父様は、ゆっくりと眠るように息を引き取られた……。


 そしてその翌年……我は、子供の頃見上げていた巨大な壁の上に立ち里を見渡していた。

 今日この瞬間から、我の夢への旅立ちに向かう見納めとして。


「父様、母様、里の同胞達……そして、曾祖父様。行ってまいります!」


 我は大きく翼を広げて飛び出した、狭き箱庭からはるか彼方まで続いてゆく世界へ……。


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