#8 つづれおり

「そんな……ことを――」


 シャーリーの目の前で嬉々として、計画は語られた。

 オデールは愉快そうに哄笑する。


「つまりだ、街の連中は、警察の連中がつまらん良心を掻き立ててこちらに殺到しないためのデコイというわけだ、そして狙い通り連中は愉快なパレードで遊んでくれている! まったくもってディプスの奴は最高だな、ははは、ははははは――ははは、ははゲホッゲホッ」


 シャーリーは、歯噛みする。

 咳き込む彼の後ろでは、グレースが顔を背けている。さらにその奥に居るはずの女は、そもそも姿が見えない。だが糸だけははっきりそこから繋がっている。


「ふざけるな、どうしてディプスがッ」


 それでもなお、シャーリーは食って掛かろうとした。前のめりになって、椅子がガタガタと揺れる――転倒しそうになる。


「……」


 オデールは、心底鬱陶しそうにシャーリーを見た。

 それから。


「うるせぇ奴だなぁ、ガキ」


 そう言って――彼は、シャーリーの頬を平手でしたたかに打った。

 鋭い音とともに、シャーリーの椅子の揺れが収まる。

 彼女は顔を背ける――天井に乾いた音が響く。


「……っ」


 シャーリーは赤く腫れた頬のまま俯いた。わずかに鼻血も垂れる。


「ちっ」


 オデールは苛立たしげにつばを吐く。


「……ッ」


 だがシャーリーは……痛みを堪えた。

 そして、オデールをそのままにらみつける。


 彼女の中には怒りがあった。

 目の前の存在への。

 それ以上の……自分に対しての怒りが。


「なんて目をしてやがる……分かってんのか、お前は人質なんだぜ……」


 オデールが、わざと聞かせるようにして、雄牛のごとく吐息する。それから一歩、シャーリーに近づく。


「ちょっと、あんた……!」


 グレースがそんなオデールを止めようと、肩に手をかける。

 だがオデールは。


「黙ってろ」


 そう言って、あっさりと振り払う。

 その後方に居るあのモニカとかいう僧服の女は……無関心に、ガムを噛み続けている。


「俺は全てに絶望していた……あの女が、俺を変えちまった。だが俺のもとには……何にも残っちゃいなかった。身を焦がすような絶望しか、ありはしなかった。だがあいつは俺のところにやってきた! そしてこう言ったんだ、『あなたの絶望を怒りに変えてやろう』とな!! そして俺の計画は動き出した!! 俺の復讐計画が!! 苦くて甘い味わい、ああ、なんて素晴らしいんだ!! ははは!! 最高の夜になりそうだぜ!!!」


「冗談じゃないっ……」


 シャーリーは歯噛みしたまま、オデールに反論する。

 彼女の中には怒りが煮えたぎっていた。


 許せない。

 目の前で――あのニュース映像のような惨劇を嬉々として引き起こしたこの男を。

 エスタのときと同じような凄惨な破壊を、ひどく猥雑な言葉で表現してしまうこの男の浅薄さを。


「ディプスはあなたを騙してる――あの魔人が、何の対価もなしに他の誰かに手を貸すなんてありえないっ……きっと別の目的を腹の中で抱えてるんだ、そうに違いない、だから――」


「うるせぇ、そんなこたぁ関係ねぇんだよッ!!!!」


 オデールは……シャーリーを、拳で殴りつけた。

 激しい痛みが頬に奔り、再び顔を背ける。

 口の端と鼻から、血が垂れ流される。


「……――ッ」


 何より――シャーリーは許せない。

 自分自身を。

 肝心な時に力を発揮できずにのうのうと敵に捕まり、あまつさえディプスさえ事態に絡んでくる。全ては自分の不手際と衝動的な行動が原因である気がして――。


 時を遡る。

 ミランダの言葉。チヨの言葉。そしてキーラの言葉。それらが、胸に突き刺さった。

 そして、反論できない自分が居た。

 そこからさらに彼女は自分の過去に向き合い――その中で、全てが停止した。

 そうだ、自分は……自分の戦いの動機を信じることが出来ていない。自分自身を、誇ることが出来ていない。


 その半端な気持ちが、こんな状況を生んだ。第八の仲間たちに迷惑をかけている今の現状を生んだ。どれだけ願っても、付け焼刃的な戦意しか生まれない。どれだけそれを片腕に込めても、何にもならない。

 あぁ、あの時の――エスタを助けるために力に目覚めたあの瞬間の気持ちは、どんなものだったのだろう。今は、思い出せない。


 それが悔しくて悔しくて、腹立たしくて腹立たしくて。

 だが、自分は身動きができないから。自身を叱咤するために、自分を殴りつけることも出来ない。


 頭の中でマグマが煮えて、それが口から吐き出されそうな気持ちだった。

 その心のまま――シャーリーは問う。決定的な問いを。


「ここまでの状況を引き起こしておいて……あんたは、あの人に何を求めてるんだ、何をあの人に要求してるんだ……!!!!」


 シャーリーは充血した目でオデールを睨みつけて、そう問うた。


「……」


 一体何がこの男を、ここまで歪めてしまったのか。ただその答えを知ろうと思った。それで怒りが少しでも和らげられれば、あの人達への罪悪感も多少はマシになるかもしれないと、どこかで思ったからだ。


 ――しかし。


「あの女は……っ」


 オデールは、表情を……豹変させた。

 その顔面からにたにた笑いが消え去って、憤怒だけが残った。腹の底から怒りが湧き上がって、彼の全面を覆い尽くす。


「あの女はッ……あの女はなぁっ!!!!」



 ――そこで述べられる理由が。

 今画面の中で起きている惨劇と釣り合えば、シャーリーの溜飲も、少しは下がっていたのかもしれない。



「あの女はッ……俺のハイヤーグラウンド行きをあっさりと阻止しやがったッ!! 俺のオヤジの財産さえあれば、俺はあの場所で一山稼げたんだ!! なのにあいつは、そいつが法に触れてるってだけで俺を止めた……挙句の果て、財産はすべて奪われた……残ったのはこの下らねえ倉庫だけだッ!!!!」



「……――は?」


「……クソが、馬鹿にしやがって、あいつだってこのくだらねぇ世界にゃうんざりしてる筈だ、だのにどうしてあいつはこの世界を守る? イカれてんじゃねぇのか、そしてそのイカレたアホに、俺の夢は阻止された、そして今が、この最低な今があるんだッ!!!!」


「…………――――は????」


 シャーリーの中で感情が固まって、一時的に動かなくなる。

 その言葉の意味が、一瞬分からなかった。

 しかしやがて、一つの唖然にたどり着く。


「見下しやがって、断る条件がどこにある……俺の財力さえあれば、こんな場所とはおさらば出来たんだぞ……こんな地獄みてぇな場所とは――……」



 ――



 開いた口が塞がらない。


 ――たったそれだけの理由で、これだけの騒ぎを引き起こしたのか??


「あんたは……」


 息が荒くなる。何もかもが崩れていく。

 シャーリーの中で、彼女の過去が流れていく。これまでが、そして、この街に来てからのこれまでが。


 人に出会った。

 多くの異形に出会った。

 それから……彼らの、変えられない運命を知った。

 変えようとする者達を知った。

 自分自身でさえも。あの子の運命でさえも。

 変えられるのだと知った。


 それなのに、それなのに――。

 目の前の、この男は――。


「ッ……ああああああああああああッ、!!!!!!!!」


 シャーリーの中で、突如として怒りが限界まで膨れ上がった。それは怒号となって溢れ出て、身体を突き破ろうとした。


 動けない身体を無理やり捻る。糸が食い込む。修道服の女が怪訝な顔をする。耐え難い痛み。それでも構わない。前のめりになって、目の前の男に向かおうとする。だが――転倒する。そのまま男をにらみつける。痛い。痛い。


 だがそれ以上に許せない。この男が、そして……。

 こんなくだらない男に捕まった、自分自身が許せない――!!


「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなッ!! 今すぐやめろ、こんなこと――今すぐやめろッ!!!!」


 叫ぶ――涙さえ出てくる。何もかもが情けない。


「――うるせぇぞ、ガキがッ!! 自分の分際をわきまえやがれッ!!!!」


 対するオデールも怒りを顕にし、自分の足元にすがりつこうとするシャーリーを蹴りつける。容赦なく。


 咳き込み、鼻血が出る。頬が腫れる。糸がさらに食い込む。痛い、痛い。

 だがそれでも――力が出てこない。あの時の力が出せない。


(畜生――畜生ッ!!!!)


 どれだけ自身に怒りをぶつけても――。

 あの時エスタを救った力は、戻ってこない。


「ハァ……ハァ、ガキが、お前は人質なんだぞ……じゃなきゃ殺してるとこだ……」


 オデールはしばしシャーリーを蹴りつけた後、唾を吐いて背を向ける。


「ゲホッ、ゲホッ……」


 シャーリーは椅子ごと倒れ込んだまま身体を震わせる。

「しばらくそこで寝てろ……――おいモニカ、殺すんじゃねぇぞ」


 オデールは苛立ちを募らせたままの口調で、八つ当たり気味にモニカに対してそう言った。

 ガムを噛み続けていた彼女は、その一言に顔を上げて――中指を立てる。


「誰に口聞いてるでございますですか? 舐めたこと言うとお前さまもバラバラ、KO?」


「……」


 彼は僅かに――額に汗をかく。彼女の視線は刃物のように鋭く……底冷えするほど胡乱だった。


「――雇い主は俺だ。その手をしまえ。それから、『OK』だ」


「……ハッ」


 彼女は肩をすくめる。

 オデールは……僅かに滲んだ恐怖を隠すように平静を装って、彼女の横を通り過ぎていく。そして、闇に消えていく。たばこでも吸いに行くのだろう。


「……」


 モニカはまたも興味なさげに背を向ける。

 シャーリーは転倒したまま、呻いているだけ。


 そのまま時間が過ぎていく。

 彼女の手が、はっきりとした激情を握りしめる。だが何も出来ない。そんな悔しさが滲んでいる。

 エスタの母――グレースが、シャーリーを見ていた。


 シャーリーは全身の痛みに抗いながら、一言絞り出した。


「……――畜生」



「……ッ」


 しばらくして、転倒した椅子を起こしたのはグレースだった。

 椅子のきしむ音。シャーリーはうなだれたまま。


 ……ひどい顔だ。


「――……まさか、あなたがあんなところに居るだなんて。思わなかったのよ、私も」


 グレースは、血にまみれた彼女の顔から目を背けながら、歯切れ悪く言った。


「ごめんなさい、巻き込んで。そんなつもりじゃなかったの」


 ばつの悪そうな言葉。


「それなら……ボクだって。なんであなたが、って思った」


 シャーリーの顔は深く沈んでいる。

 そこから吐き出される言葉も、同様に暗い。


「でも……もう聞かないですよ。なんであなたが、こんなひどい場所に居るかなんて」


「……――ッ……しょうがないのよ、しょうがないのよッ!!」


 そこでグレースは、身体を腕で包みながら声を荒げる。

 やや嗄れた女の声が、がらんどうの倉庫に響く。

 今が何時かなんて、まるで分からない。


「夫が遺した弱みを、やつに握られていた……だから一緒に居るしかない。あの馬鹿な子は、そんな私の苦しみも分からなかったんでしょうけど」


 ――馬鹿な子、とは。

 エスタのことか。シャーリーの中で怒りが膨れ上がったが、今はもうそれに物申す気力すらない。

 彼女は今、失望と無気力の中に居る。


「あなたは……エスタのことで私を責めたわね。今でも同じことが、言えると思ってる?」


「……」


 シャーリーは黙り込む。

 そこに、グレースの声が静かに覆いかぶさる。


「この街では……運命なんてものは少しも変えられないの。抗えば抗うほど、バカを見る。そんな風に出来ているの。私はそれをずいぶんと早くから教えられたわ。そしてその事実は……あの子も、思い知るはずだった。そして、その中で生きていくはずだった。二人で、一緒に」


 彼女は歯噛みする。


 ――流れ続けるテレビの映像。オデールがつけっぱなしにしていった。

 荒ぶる化け物たちが、人々に襲いかかっている。


 そして――恐怖からか、暴走していない者たちでさえ、己の力を開放して立ち向かっていく。

 己の中の獣性を制御できずに。まるで逆らうことも出来ずに。


 ――そう。それがこの街に生きる、アウトレイスの本性。


 ……グレースは苦い顔をしてテレビを消した。

 それから、再び声を荒げる。


「なのに……そこへあなたがやってきたのよ。そしてあの子に、消えない呪いを植え付けた」


「呪い――……?」


 胸に、消えない棘として残りそうな言葉だった。


「あの子はあなたのせいで、半端な希望を夢見た……この街でも幸せに暮らしていけると、理想を抱いてしまったのよ……!!」


 シャーリーは顔を上げる、そして反論する。


「違う、ボクは……呪いなんかじゃない!! ボクとエスタは、本当にお互いを――」


 だが、そこで止まる。

 心の中で、別の声が殴りつけてくる。


 ――ならお前は。どうして自分の力を信じることが出来ていない?

 その力は、エスタを救うために発現したもののはずなのに。


 その思いが、シャーリーを言い淀ませた。


「……――ッ」


「ほら……やっぱり、答えられないじゃない」


 グレースは、どこか諦観の滲んだような皮肉な笑みを浮かべて、そっとシャーリーから離れていく。


「…………でも、せめて」


 シャーリーは、なんとかその言葉だけを絞り出す。グレースに向かって。


「……?」


「せめて……――あなたには母親として、エスタの傍に……居てあげてほしかった」


 彼女は……立ち止まる。

 それから、たっぷりと間をおいて。

 振り返って、言った。


「今更、母親をやれって言うの……? 私は、この街の住人よ」


 その笑みはあまりにも寂しく。

 急激に、彼女が老け込んで見えた。


 それだけ言い残して、再び彼女は離れていった。シャーリーはそこに、何も言うことが出来なかった。


 彼女の服の色――赤でありながら、どこか薄暗さの交じる色。

 その色に、見覚えがあった気がしたが、何かはわからない。


「……エスタ……――みんな」


 そうだ。

 皆は、どうしているんだろう。


 あの女の人達は。

 今の自分に、『諦めないこと』を教えてくれたあの人達は。

 今頃、自分の存在をいかように扱っているのだろう。


 ……あぁ。それだけで、ひどい罪悪感が湧いてくる。

 いっそのこと、助けは来なくていい。

 何もかもが、自業自得な気がしてきた。


 ――それに。身体が痛いし、重い。

 ひどく疲れた。


 シャーリーはそうして、無気力の澱に沈んでいく。意識が遠のいていく。縛り付けられたまま。


 ――彼女がその間際に思った『彼女たち』。


 その状況を、シャーリーは知らない。



空の色に藍が入り混じり始め、街を吹き抜ける風が冷たくなっていたが、それでもなお現状は何一つ沈静化する気配がなかった。


 窓の外を見る――遠くのビルで爆発。その手前では逃げ惑う人々、その後ろに全身をハリネズミのようにしながら暴れまわるテロド。彼らをかばうようにして武装した者達が立ちはだかる――その手前でショーウィンドウが倒れ、タクシーが気の狂ったような蛇行運転で歩道に突っ込んで街路樹をへし折る。どこもかしこも、悲鳴とサイレンで塗り込められていた。


 それらの音色が、硝子一枚を隔てて籠もった音質で伝わる時、フェイ達三人はパソコンの画面を見ていた。帯状に差し込む夕陽は、沈む手前で最大限の光を放射し、場を明るくクリーム色に染めている。


『では、彼女たちは――シャーロット・アーチャーを追跡したというんだな?』


「えぇ。しかし、心半ばで……愉快に狂ってしまったフリークスたちによって押し留められてしまったというわけです」


『状況は悪くなる一方だ――だが、このまま手をこまねいているわけにはいかない。前述の通り、これはれっきとした“世界の危機”に値する。ディプスは本気だ……――上にも確認をとっている。君たちの出撃が必要だ』


 グッドマンは、最後の言葉にとりわけ強い力を込めて――向かい合う画面から消えた。


 その後……三人の女が残される。


 やはり、サイレンの音が聞こえる。テレビは付けていない。どうせ、いつもの男が、いつものように過剰に騒ぎ立てて危機感を煽り、視聴率を稼いでいるだけなのだ。何の意味もない。


 それよりも、問題は――この現状だ。


「またディプスか……これじゃ世界の危機というよりは、あいつの接待ね」


 グロリアが愚痴をこぼす。軽い調子で。

 しかし、ミランダはそうではなかった。


「――……だから言ったのよ、私は」


 語気を荒げて、吐き捨てる。二人に目を合わせない。

 ぴくり、とグロリアが反応し、彼女を見た。


「……あの子が居ればどうなるかと…………そして今、結局こうなった。あの子がこの街に災厄を、ディプスを引き寄せるなら……私達は今後――」


 あの子、が誰を指しているのかは、あまりにも自明だった。グロリアが歯をきしらせて、彼女に近づいた。――その表情は、怒気と呆れが、豊富に、半分ずつ。


「ちょっとあんた、未だにそんなこと言ってんの!? いい加減にしなさいよ! これはフェイの決定よ!!」


「その決定者は……そこで腕を組んでいるだけよ。私達に何の示唆も与えてくれないじゃない」


 ――そのとおりだった。


 フェイは謎めいた表情をたたえながら、ただ煙草を吸っている。その顔の半分に、色濃く影がかかる。


 ……グロリアは一瞬激しく悪態をついてから、再びミランダに向き合って叫んだ。その腕はいつの間にか、彼女の胸ぐらを掴んでいた。後方でソファがずれる音がする。


「100歩譲って現状があの子によって悪化したことだったとして! あの子が力を発揮できないから起こったことだとして! それであんたはふんぞりかえって『それ見たことか』ってわけ!? 都合が良すぎるんじゃない、鷹の目!? あんたは言ったわよね、理解はしたけど納得はしないって……だけど認めたはずよ、あの子が仲間、だと……」


「……痛いわよ、バカ女。それより……私がひどく弱くて脆い人間だと、あなたは知っているでしょう? ……いつ私が主張を変えても、おかしくないのよ。もし私が、あの子を……邪魔に思っていたとしたら……????」


 乱れた黒髪。何本かが彼女の口元にかかる。そのまま低い声で、まるで呪いをかけるように、グロリアに言った。

 ――その視線はどこまでも、どこまでも冷たく……目の前を見ていた。


「……ッ、まさか、あんた……っ」


 胸ぐらを掴んだまま、グロリアは言葉に詰まった。そこへ、次の言葉が飛んでくる。


「……――場合によっては。『それ』も可能ということよ」


「そんなの……あたし達が許すはず……ッ」


「そうかしら……案外チヨも同じ気持ちなんじゃない……? 私達、仲良しクラブじゃあないのよ。あなたは忘れているようだけど。……それと、後ろの彼女も」


 ミランダの口元が、陰気に歪んだ。

 グロリアは、振り返る。


 フェイはひときわ長く煙草を吸い――煙を吐き出した。長く、長く。

 外の音を浴びながらも、その場でまるで動かない。それから、煙草を口から外す。


 その視線が……ミランダに向けられる。

 鋭く、胡乱に。


「そのまま言い合いを続けたければ、どうぞ。世界は、燃え続けるだけだぞ。それでもいいなら、わたしフェイは止めないが?」


 どこか挑むような響きさえあった。油断すれば、すぐ懐にまで忍び込んできそうな。フェイの表情に、いつもの冗談めかしたところはなかった。


 ……ミランダはそれを受けて歯噛みする。そして苛立たしげに吐き捨てる。


「この状況になるまで放置しておいたのは……あなたでしょう……」


 フェイは――返事をしない。


 電話がヒステリックに鳴った。

 その悲鳴の只中で、フェイとミランダが向かい合っている。沈黙。


 その狭間で、グロリアの視線が、二人と電話の交互を行き交うが……間もなく。


「ああ、もう」


 グロリアが、電話をとった。


「――何? ピザなら頼んでないわよ!!」


 そう言ったが。言い切る前に。


「俺だ、SCCのロットンだッ!! いいか聞け第八!! 現状はお前らも知ってるだろ、知りすぎてるぐらいに、ああちくしょうめ、いいか、くそっ言いたくねぇ……うるせぇよリコ、今伝える――」


 その声が遠慮なく飛び込んでくる。グロリアは顔をしかめて耳をふさぐ。


「あんッた、声でかッ――」


「いいか、LAPDからお前らに伝えることはこうだ、現状を解決するために、お前らも街に降り立って事態の沈静化に協力しろ、わかったか!!」


「ちょっと、ちょっとまって、それはキーラの命令!?」


「そうだよ!! 今回の首謀者はアジトに一人に来るようにキーラに要請した!! あの突撃豆タンク女はバカ正直にそいつに従うことにしたんだよッ!! だからてめぇらと俺達はあの女のケツ持ちをやらなきゃならねぇんだ――……ッオラァ、邪魔すんなぁッ!!」


 ロットン坊やの声は相変わらずバカでかく、受話器越しであってもフェイとミランダに伝わっていた。


「はぁ!? ちょっと、そんなの――」


 グロリアは振り返る――するとフェイは、一枚の紙切れをひらひらさせながら彼女に見せた。


 ……それは電子メールのプリントアウトのようだった。

 よく見れば――発信元は、キーラ。

 そして内容といえば。先程電話であった通りだ。


 彼女はこの事態を予期して、第八機関にまで情報を共有させたのだ。あれだけ荒々しく扉を開けて出ていったにもかかわらず。


 ……グロリアは金髪をかきむしりながら、ロットンに怒鳴り返す。


「あぁ……ッ、分かった、分かったわよ、どうせこっちもそうせざるを得ないのよ!! いい!? うちの仲間のこともあるんだから、あんたら、ヘマしたら承知しないからね!!」


「うるせぇ!! えらそうに言ってんじゃねぇぞ舐めやがってッ!! そもそもお前らなんかな、「はいはーい、じゃあ第八の皆さん、頼むねぇ」あっリコ、まだ話が――」


 そこで……電話が切れた。

 グロリアは荒っぽく受話器を置く。


 振り返る――沈黙は相変わらずそこにあった。

 だが、すでに……やるべきことは決まっているようなものだった。


 だからこそ、グロリアは再び盛大にため息を付いた。


「……万が一に備え、いつでもキーラをカバーリング出来るような位置で展開しろ。詳細は後で伝える。それ以外は……存分にやれ」


 フェイはグロリアに目を合わせることなく言った。グロリアは肩をすくめる。

 そのまま、何も言わずに、事務所のドアを開けて、去っていく。


 ……その後ろに、当然ミランダの存在がある。


「約束しろ、ミランダ。――シャーリーが自らの足で再び立ち上がることがあれば、彼女を認めろ」


 その言葉が、ミランダに刺さる。容赦なく、ずぶりと。ごまかしも冗談も許さない、透徹した口調。


 普段であれば、そんな口調を彼女が用いることはない。だが、今は。


「そんなこと……あるとは思えないわ。あの子の動機はあまりにも脆いし、あの子の出生はあまりにも不安定なのよ……」


 さしものミランダも……少しばかり口調が泳いでいた。彼女の視線は、フェイに合わせられない。


 だがそこへ、更に言葉が刺さる。


「二度は言わない。約束しろ、ミランダ・ベイカー」


 煙草が、ミランダに向けて突きつけられる。

 それが、何を意味しているのか。


 彼女が、その指先で――アウトレイスに対して、いかなる芸当を可能とするのか。

 当然ながら、ミランダはよく知っている。


「……――ッ」


 ミランダはなんとも言えない表情を創り出した。眉根が寄せられ、口が激しく引き結ばれた。手がこわばって、何かが彼女から吐き出されようとしても、何も出てこない状態だった。要するに、現状フェイに対しては何もやり返せないのだった。


「……――分かったわよ」


 フェイは、折れる。


「そのかわり。直接確かめさせて。あの子が、どこまでやれるのかを」


 その言葉を受けて、フェイの表情が変わる。

 ふっと空気が緩んで、いつもの余裕の浮かんだ笑みに戻る。

 彼女は言った。


「良いだろう。さぁ、うかうかしている暇はないぞ、鷹の目――お前もまた、カーニヴァルに加わる時だ」


「……あなたも来るんでしょう」


「お前のほうが早い」


 ひょうひょうと、フェイは言ってみせる。

 先程までの様子とは……何もかもが違っていた。


 ミランダは何もかもを諦めて、ドアノブを回した。

 フェイは後ろを、ゆったりとした動きでついてくる。

 

 間もなく、二人も戦場に立つ。一足先に向かったグロリアとともに。


 ミランダの背中は粟立っていた。


 それは前方に展開される激しい情景のせいではなく。


 後方に居る、自分たちの運命を大きく変えてしまった、あの油断ならない女への、畏怖にも似た敗北感によるものだった。

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